『0戦』堀越二郎氏の伝説と「とある事実」の検証?《リンク先原典推奨》追記が重い!!



0戦(ぜろせん・れいせん)』こといわゆる、「零式艦上戦闘機」および、その主任設計技師だった堀越二郎氏に関して、2013年08月現在かなり話題として盛り上がっています。
もちろん、それは宮崎駿氏が監督したオリジナル劇場用アニメ『風たちぬ』が公開中で、その主人公がそのまさにその堀越二郎氏が、モデルで有る為です。

まァ、とかく戦艦大和にしても、この0戦にしても「優秀あるいは強力ではあったが時期が悪かった」という感傷的な意見と、「戦争の道具としての避けられぬ悲劇」と言う哀愁が、漂っています。
という訳で、「戦艦同士の砲撃戦ならば、洋上に於ける敵戦闘機との、味方艦隊や洋上基地等の守備などの空中戦及び爆撃雷撃機の護衛ならば」負ける事はなかった!と言うような、悲壮な賛美?的な物を、見聞きする機会が増えました。
実際のところ、戦艦大和はもちろん同型艦・武蔵、そして悲劇の三番艦と言われる、建造途中から空母に変更された信濃。そして話題の0戦もまた、好きです。

ですが、敢えてここで面白い、アンチ0戦(ぜろせん・れいせん)』とでも、言うような意見を拝見して、とても興味深いので専門的な事はチンプンカンプンですが、何でもかんでも「昔の日本人は凄かった!」とは言え無い?のではないか!?と言う言御意見を、恐縮ながら無断拝借してみようと思います。


完全無断引用ですので、こちらの意見や感想は
最小限に、留めようと思います。
何しろ、内容につて行けませんから……!



旧日本軍弱小列伝リンク済み』より、
完全無断引用です。

前編〉〈中編〉〈後編〉別々にリンク済みです。

引用元では、可愛いキャラ・アイコンやユニークなアイコン・キャラが、文字色や大きさのデフォルメで、愛嬌タップリに会話しているテンプレート形式です。
こちらでは、飽くまでも文字(テキスト)コピーのみとし、アイコンはもちろん使用されている図表や写真などの掲載も、文字の無断引用しておいて何ですが御遠慮させていただきました。興味がお有りでしたら、是非リンク元の方を御訪問下さい。

なお、アイコンが無いこちらでは便宜的に、可愛い女の子を「姫」、ユニークな男性キャラを「下僕」と表記させていただきます。
また、図表や写真同様参考文献も等の記述も、こちらではテキスト・データーのみと、させていただきました。まァ、手抜きと言われれば、それまでですが……。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

下僕
「うおおおおおおおおおん!!嘆かわしい・・・・・なんと嘆かわしいんだ姫様あああああああッ!!」

「今度は何です?誰ですかあなたは」
下僕
「殿下は左翼にだまされているのよ~!!」

「キャアアアアアアアアアアッ!!!」
下僕
「日本には科学技術と呼べるものが無かったですと?」
「そんなの嘘ですッ!」

「あわ・・・あわわ・・・・・豚が人語を・・・・」
下僕
「ワタシは豚ではない!」

「あなたのどこがホモサピエンスに見えますか」
下僕
「ワタシは人間です!」

「ではどうしてそんなにおぞましい顔をしてらっしゃるのでしょうか・・・・私のように美しい女の子がいるかと思えば」
下僕
「なっ・・・・・・・・・話を逸らさないで!」
「戦車が何だというのですか!考えてみればすぐわかることでしょう!必然的に島嶼(引用註:「とうしょ」島々や諸島からなる国の事)作戦が多くなる島国日本になど、戦車など必要なかったのです!」

「フーン」
下僕
「島国日本が作った戦車と大陸国家が作った重戦車とを単純に比較するなんて言語道断!繰り返しましょう。島国日本には戦車は無用の長物であるからこそ、まともなものを作ろうとしなかった。決して技術がなかったから作れなかったわけではありません。」

「そうなんですか?じゃあ島国イギリスはどうですか?」
下僕
「イッ・・・・イギリスは金持ちだから・・・・・」

「イギリスが大戦前に開発した戦車にマチルダ歩兵戦車というのがあります。」

《歩兵戦車マチルダ2(全備重量27トン)》
(画像略・以下同じ)


「この戦車は大戦のごく初期のフランス戦では、その厚い装甲のおかげでそこそこ活躍できたのですが、北アフリカ戦が始まるとドイツ軍の88mmや機甲戦術に手ひどくやられて、1942年のエルアラメイン戦までにすべてが退役してしまいます。ハルファヤ峠での戦いで、バッハ牧師率いるわずか9台の高射砲部隊に64台のマチルダと27台の巡航戦車が破壊された話は有名ですね。」
「いわばマチルダは対独戦においては明らかなやられメカなんですが、これが極東に送られると無敵戦車に早代わりしてしまうんです。なんせ日本軍にはこの戦車を破壊する方法が無いんですよ。」
「大戦末期、オーストラリア軍のマチルダを日本側は九四式山砲の75ミリ徹甲弾でゼロ距離射撃をしますが、いくら命中しても擱座さえしないマチルダに日本軍陣地は散々蹂躙され、多大な犠牲を払わされてしまいました。ただ一件だけ、日本がこの戦車を破壊できたのは、1945年バリクババンでのことで、ドイツの技術供与によって作られた少数生産の「タ弾」と呼ばれる成形炸薬弾を潜水艦で持ってきて、これには適切な射出装置が付いていなかったものですから肉弾攻撃によって、やっとこの戦車の側面装甲板に穴を開けて動きを止めることに成功したそうです。」
「イギリスが極東戦線を中古兵器の在庫処分場にしてるのもアレですが、大戦末期に至っても大戦初期の中古戦車が日本軍にとっての街道上の怪物状態であるといったような日本軍の対戦車能力の低さにはあきれ返りますね。後にも先にもマチルダ戦車を日本軍が破壊したのはこの一件だけだったといいます。」
「また東南アジアの森林地帯だとか、山がちな島嶼部では戦車は役に立たないなどという考えは幻想にしか過ぎませんよ。戦車は陸上最強の兵器です。大戦末期のインパール作戦で、普通に戦っては全く英軍に太刀打ちできない日本軍は、基本的に夜間の強襲によって陣地を占領するのですが、翌朝になると戦車を先頭にした英印軍に殲滅されて退却し、また夜になると日本刀を振り回して陣地を襲う・・・ということが繰り返して行われました。」
「日本軍は山賊か?という疑念は別として、真昼の戦いではあっても何がしかの有効な対戦車兵器があれば、敵が来るやいなや潰走する必要はなかったはずなのです。それはたとえ技術的に日本では作るのが困難な対戦車砲、ましてや戦車の配備である必要はありません。ドイツから形成炸薬弾についての知識を教えてもらったとき、すぐにでもこれを研究、開発しておけばこれほどまでに惨めな思いはせずにすんだのに、すべては時の指導者の怠慢の産物と、その他の人々の批判精神がたりなかったせいで招いた事態なのですよ。」
下僕
「・・・・」

「山がちな島嶼部においても、同様に戦車の運用は一般に考えられているほど制限されるということはないです。朝鮮戦争ではそう考えていたアメリカ軍は当初、不利な境遇にたたされてしまったというのは周知の事実です。」
下僕
「・・・確かに当時の日本はその国内インフラの低さから、有力な自動車産業、ひいては欧米に比類しうる機械化部隊の創設が困難だったことも事実です。その上適切な対戦車兵器の開発を最後まで怠った。貧弱な装備の日本陸軍は米英軍に対して苦戦を強いられたわ。しかし、それは陸助限定の話!」
「マトモな戦車を開発するだけの技術力も科学力も日本には存在しなかったですと?そんなのウソです!!単に陸軍の連中が能無しだっただけの話よ!海軍と一緒にしないでいただきたい!」
「ましてや栄光ある大日本帝国を発展途上国呼ばわりなどと・・・・・いけません!!姫様はなにもわかってらっしゃらない!何もです!!」
「日本人の誇りにしてアジア開放の象徴、零式艦上戦闘機こと零戦を語らずして何が皇軍の強さと言えるのよ!」

「ア・・・アジア開・・・・・」

《零式艦上戦闘機(画像略・以下同じ)》

下僕
「日本人なら誰もが知っているはずの、偉大な零戦の存在をアナタも知らないわけでは無いでしょう!
その性能、フォルム、全てが美しく、全てが完全だった零戦は、
歴史に残る最強のレシプロ戦闘機として名を刻んだのよッ!」

「保健所に電話して引き取ってもらおうかしら」
下僕
「旧日本軍に関する悪評の裏には必ず一つの組織の関わりが確認されています。」
「韓国人は日本が第二次世界大戦でヘビークラスの戦いをやりとげたこと、その中でも零戦とか大和などの艦艇とか、世界でも一線級のメカを自力で開発して大活躍させたこと、そのことをものすごくうらやましがっているのです!」

「・・・・はあ、韓国人がですか」
下僕
「そうよ!反面、それに耐え切れず、それを否定するために、必死で、随所で、それらを貶し、はたまた『なーんだ、日本なんてたいしたことなかったじゃん』といったイメージを社会に植えつけ、心の平安を得ようとしているッ。そう。あなたは悪辣な朝鮮人どもに騙されているの!木を見て森を見ず。正に姫様の語る大日本帝国の印象は、悪いところのみを意図的に抽出された、連中の捏造したいわゆる自虐史観を鵜呑みにしてしまった物であることは疑いようがありません。」

「・・・・・・」
下僕
「雲霞の如く攻め寄せるアメリカ軍に敢然と立ちはだかった日本兵とその兵器。多勢に無勢、適するはずも無く、それでもなお挑みかかった。 恐怖、いかばかりであった事でしょう。最後まで折れなかった心、誇りを支えたものは一体なんだったのでしょう? 美しい我が国土。悠久の歴史、愛する人々への愛・・・零戦はその小さな機体の中に全てを宿していた。翼に込められた民族の祈り。零戦が有ったからこそ搭乗員達は最後まで諦めなかった。兵士の戦う気概を支えた一つのシンボル・・・零」

「それにしても旧軍オタクはよくしゃべりますね。下らないことを」
下僕
「下らなくなどないですぞ!結果、確かに日本は負けましたが、日本民族・・・・いや、全世界の非白人種に希望と夢を与えることに成功した大東亜戦争は、もはや実質的には日本の勝利と言ってもよいのです!」

「・・・・・旧日本軍を崇拝すると、こういう人間のものとは思えないブタの姿になってしまうのでしょうか?」
下僕
「呪いですか!」

「いえ、魔法です。紅の豚ならぬ、青竹色の豚ですね。」
下僕
「・・・・・アレは自分でかけたのでは」

「ところでゼロ戦って・・・・」
下僕
「おおっとオオオオオオッ!!」

びくッ!
下僕
「姫様、『ゼロセン』ではありません。『れいせん』とお読みください。」
「何がゼロですか。日本の誇り、零式艦上戦闘機を横文字で呼称するなどというのは、売国奴のすることですぞ!」

「・・・大戦当時も、零戦の搭乗員や整備員は、米軍の"zero fighter"という呼称にならって普通に『ゼロ戦』と呼んでいたそうですが・・・・零戦パイロットや整備員は売国奴なんですか?」
下僕
「・・・・てっ敵性言語なのでは・・・・」

「そうですね。しかし、当時であっても英語が完全に禁止されたというのは迷信で、一部では普通に用いられていたんですよ。」
下僕
「・・・・・・それはそうとして、何と美しい航空機なのでしょうな・・・・零戦は」

「そうでしょうか?私ゼロ戦の見た目大嫌いです。」
下僕
「は?」

「ズングリムックリした星型空冷エンジン機に汚い緑色一色で、デザインは最悪です。せめて英米独のようにカッコイイ迷彩塗装とかできなかったのでしょうか。」

《各種写真・省略》

下僕
「そんなの個人の好みの問題でしょ!ワタシは好きなの!」

「真珠湾攻撃時のゼロ戦に至っては白い機体に真っ赤な日の丸ですよ?」
下僕
「それのどこが悪いのよ!」

「余りにダサすぎて映画パールハーバーでは事実無視の濃緑色のゼロ戦が出てくるぐらいですからね。」


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〈日本人から非難轟々〉

下僕
「あんな史上最悪の国褥ハリウッド映画に零戦の気高さが分かってたまるもんですか!」

「そんなに酷い内容でしょうか。私はとても面白いと思いました。」
下僕
「な・・・・・・ななな何ということを・・・・」

「事実とチョット違うとか言って、史上最低の戦争映画だとか言う方は、きっと国士気取りと軍事オタクだけですよ」
下僕
「どこが面白いっていうのよ!あんな糞映画!」

「イヴリンとのロマンスとか、あとレイフとダニーの乗るP-40戦闘機がとてもカッコよかったです。」
下僕
「そ・・そんな安っぽい・・・・・大体ちょっとどころじゃなくて事実を捏造しまくってんじゃないのよ!日本軍は民間人を機銃掃射なんかしてない!」

「そうでしょうか?全くなかったわけではないですよ。」

《日本機に銃撃された救急車》
(赤十字のマークは事件の後に付けられたというが)

下僕
「・・・・・もういいわよ。どうでも」
「いいですか?とにかく話を元に戻すと、カラーリングなどのことはどうでもいいとして、零戦は当時としては欧米の古臭い戦闘機よりも洗練された、精悍で美しい平面的な先進的フォルムで登場しました。その零の近未来的フォルムがどれだけ欧米に衝撃を与えたかというと、テレビジョンのチャンネルがダイヤル式から一気にボタン式になったような衝撃。レコードから突然CDが現われた衝撃といってもよい。」

「 ・・・・・ 」
下僕
「前方からのアングルで捉えた零は低翼単葉上半角の美しさ。その美しさが性能に直結した。」

「当時の戦闘機はみんな低翼単葉じゃないですか?ドイツのBf109なんかゼロ戦の5年も前に初飛行を遂げてますし。」

《Bf109V1(1935年)》


「Bf109は大戦を通じて使われ、戦後も一部の国で使用されるロングセラーです。別にゼロ戦が先進的だったとは思えませんよ。」
下僕
「とにかく零戦は最強だった。日本の誇りだ、疑う奴は非国民よ」

「・・・・・子ブタさん、最強の意味をご存知ですか?」
下僕
「アナタこそ何で零戦を悪く言いたがるのよ!」
「零戦21型は登場当時、同時期の欧米機と比較しても、なんらヒケをとらない高速機であったのは事実。
戦闘機としての戦闘能力だけを見た場合、零は高速機、強力武装、高機動、高加速、強力な急上昇、航続力、素直な機体レスポンス、応答性。さらに空母搭載可能。これほど戦闘力の優れた優等生は世界に類を見ない。高性能機である零が無敵一時代を築いたのは奇跡ではなく必然だと感じる次第だ。」

「・・・速度は酷く遅く無いですか?」
下僕
「いいえ!そんなことない!登場した当初は世界の標準機とも肩を並べられるだけの最高速度をそなえてる一流機よ!」

「また登場した当初ですか・・・」
下僕
「零戦の最初の生産型である21型の最高速度は時速533km。それに対して同時期のヨーロッパの第一線機はドイツがメッサーシュミットBf109E型の時速578km、イギリスがスピットファイアMK.Ⅰの時速582kmとそれほど劣ったものではありません。」

「それおかしくないでしょう?1940年ごろと言ったらゼロ戦は数十機しか配備されていませんよ。またその頃にはメッサーシュミットやスピットファイアは更なる改良を遂げて、それぞれE型からF型、MK.ⅠからMK.Ⅱとして配備が始まっています。」


1940年
〈最高速度〉

零戦21型        533km/h
Bf109F-2     595km/h
スピットファイアMK.Ⅱ 595km/h



「ゼロ戦はその登場当時から世界の一流戦闘機に最高速度にして60km/hも劣っていたわけですね。」
下僕
「・・・・・」

「ところで、戦闘機というのは、その登場後も不断に改良され続け、大戦前や初期に開発された機体でも最高速度などの基本性能は戦争の推移とともに向上しつづけるものなんです。いわゆる名機の条件にも、改良され続けて長期間第一線に止まり続けるいうものも挙げられます。それに対してゼロ戦のお粗末な速度性能は年代が進むとさらに各国機との差が開いていったんですよ。」
「1940年には高々60km/hの速度差だったのが、大戦中ごろの1942年になると100km/h以上」
下僕
「・・・・・・」


1942年
《最高速度》
零戦32型        544km/h
Bf109G-6     640km/h
スピットファイアMK.Ⅸ 669km/h



「さらに大戦末期にはその差が150km/hにまで広がってしまいました」
下僕
「・・・・・!」

1944年

《最高速度》
零戦52型丙        541km/h
Bf109K-4      710km/h
スピットファイアMK.14 719km/h



「よくもまあ、こんな発展性の低い低速戦闘機が世界最強だなどといえますね。」
下僕
「ちょっとまって!日本機と欧米機のカタログスペックを単純に比べるのは間違っている!欧米機は武器ナシ、弾ナシ、防弾板ナシ、燃料最低限で専用にチューンナップしたエンジンの緊急出力で計ったサバを読んだ数値を公式の数値としている!」

「・・・また根拠も大してないようなヨタ話を・・・・」
下僕
「対して日本機の速度測定状態は、弾薬を積み、燃料を満載した戦闘状態での計測ですから必然的に重量増加を招き、最高速度が比較的遅くなってしまう。なんのことはない。『日本機の速度が遅い』などという迷信はそういった計測状況の違いから来るだけの違いにしかすぎない。」
下僕
「しかるに、燃料を満載して時速700km/h近くも出る大戦機など存在しない」

「・・・RAFやNASが厳密に測定した全備状態の各機の速度性能がここにあるんですが、これを見てどう思いますか?」


テンペストV(最大搭載状態)
速度 698m/h(高度6950m)

P-51D(燃料満載時計測)
最高速度 700km/h(高度7620m)

スピットファイアMK.14(燃料搭載量95%)
最高速度 719km/h(高度7800m)


下僕
「はッ・・・早ッ!」

「確かに、戦前アメリカが海外に輸出した戦闘機の中には、カタログスペックと実際の性能とがかけ離れていた機体が一部にあったということは事実です。しかし、そのごく一部の例外をもって、すべての外国機が額面を下回るなどということは言えるはずもありません。戦中に自国も実戦で使用する重要な機体が、メーカー発表のものと性能が大幅に違うなどというのは大問題ですからね。」
「大体重量の変化ぐらいで速度にこれほどの差が出るわけないでしょ。ゼロ戦の低速は、当時の日本がまともな高出力エンジンを製造できなかったことによる当然の結果であるのですよ。当たり前のことですが、出力が高いエンジンの飛行機ほど高速が出る。ゼロ戦の登場時のエンジン馬力は1000馬力にも満たない、たったの950馬力ですよ?」
「大戦末期になると各国とも2000馬力級のエンジンを装備していますが、一方のゼロ戦は1130馬力で頭打ちになっています。このような低性能機で、連合軍の新型戦闘機に対抗するのは事実上不可能となってしまったのは論を待たない史実でしょ。」
下僕
「・・・・」
「・・・・・フッ・・・なんにも分かってないですな。全くもって何もわかって無い!」
「速度性能が何だって言うのよ!零戦の類稀なる空戦性能はその格闘性能にあったの!格闘戦!わかる?つまりドッグファイトでは無敵を誇り、連合軍の戦闘機は零戦との格闘戦を避けたほどなの!」

「何といいましょうか・・・」
下僕
「いくら速かろうと、まっすぐにしか飛べない飛行機に戦闘機たる資格なし。零戦のように旋回性能を極めてこそ一流の戦闘機と呼べるのよ。」

「航空機の進化の流れに逆行するようなことを言う・・・・」
下僕
「戦闘機に速度なんて無意味なの!重要なのは格闘性能よ!実際の戦果を見てみるといいわ。大東亜戦争勃発後の緒戦では零戦は連合軍戦闘機を圧倒し、その類稀なる格闘性能によって人類の航空史上に名を刻んだ。」

「ゼロ戦の性能云々言う前に、すこしここで航空機の発達史のおさらいをしておいたほうがよいようですね。」
「1903年、ライト兄弟が初めて有人の飛行機を空に浮かべてから、わずか十数年後の第一次世界大戦の終了までに、この戦争遂行の上で不可欠となった空の兵器は目覚しい発展を遂げました。ライト兄弟のフライヤー号のエンジン馬力はわずか12馬力で、速度は50km/h程度だったのにたいして、大戦初期の戦闘機は100km/h、終戦近くには200km/hにまで速度性能が向上しています。その後も飛行機は劇的な進化を遂げ、布で作られた機体は金属製に、主翼は複葉から単葉に、固定脚は引っ込み式に改められました。」

《写真各種省略》


「30年代半ばの実験機の速度は時速400kmを超え、そしてついに1934年に時速700kmの速度の壁を破ったのが、イタリアのマッキMC.72です。その後の39年にドイツのMe209V1が時速749kmをはじき出し、以降はプロペラ機の速度性能は限界に達したため、ジェット機が実用化されていきます。」

《MC.72(イタリア)》


「戦闘機というものは、敵機を捕捉し、撃墜するためには少しでも高速であることが望ましいため、これらの先進的な高速化の技術は真っ先に戦闘機に投入され、30年代半ばの第一線戦闘機の最大速度は300km/hを突破、30年代末になると一流機は500kmを超え、大戦中には時速700kmに達し、末期にはドイツのジェット戦闘機Me262の時速860kmが実用機のうちでは最高速となりました。」
「完全にジェット時代に移行した戦後も基本的にこの流れは続き、現在では日本の航空自衛隊も使っているF15が時速1650kmほどです。」

《各種写真省略》


「戦闘機が高速化し続けるとともに、戦術もそれに合わせて変化していきました。飛行機の速度が百数十キロ程度しかなかった第一次世界大戦の頃の空戦術は、基本的に格闘戦やドッグファイトといって、旋回性能を生かした低速機がクルクルと旋回し、有利な射撃位置についたりして機銃弾を浴びせるといったもので、まあ早い話がジブリの紅の豚の世界ですよ。ちなみにドッグファイトという言葉は、犬が喧嘩しているときに、お互いの尻尾を噛み付き合おうとしてぐるぐる回る様子から来ています。」
「それに対して、第二次大戦の時代ともなると、戦闘機の速度は時速500kmを超えて複葉機のような旋回性能は失われ、とてもじゃないですが曲芸飛行によって敵機を撃墜するという戦法は成り立ちようがなくなります。各国はこの問題について大いに悩みました。中には高速な単葉機よりも、小回りの聞く複葉機のほうが優れているなどと懐古趣味的なことを言う軍人も現れて、ついには複葉機を主力戦闘機として正式採用してしまう国まで現れる始末です。」
「この新時代の戦闘機の戦法について初めて明確な答えを出したのが、ベルサイユ体制から新生後間もないドイツ空軍でした。
ドイツ空軍はスペイン内乱の実戦で、高速機による一撃離脱の有効性を再確認し、2機の戦闘機が一つのペアになる編隊空戦術を編み出し、これをロッテ戦法と名づけました。」

《写真省略》


「ヒットアンドランこと一撃離脱戦術の概要は一言で言うとエネルギー空戦です。具体的に言いますと、位置エネルギー、つまり高度の優位を基にした急降下機動によって敵を圧倒するというもので、この空戦法で重要となる航空機の性能は速度性能はもちろんですが、他に加速性能や急降下性能や高高度性能、上昇力といった、正に近代的な航空機の性能をフルに生かせる戦闘法だというわけです。いわばパイロットの空戦能力というよりも、機体の性能で戦うといった次第で、この空戦法ができない戦闘機というのは、それができる戦闘機に一方的に攻撃されるハメになるのです。」
下僕
「そうして思い上がった敵機が一方的に攻撃するつもりで、旋回性能の優れる零戦にひらりとかわされ、背後から猛烈な一連射を浴びせかけられるということが現実に起こったんでしょうな。」

「・・・・・急降下に入った戦闘機は、もちろん機種にもよりますが、大体時速700~900kmにも達する高速でもって、攻撃した後に速力を維持したまま離脱するんですよ。たかだか時速500km以下でうろちょろする零戦が、どんなに一生懸命芸をこらしてくるくる回ろうが、時速800kmで突入してくるP-38の攻撃を運良くかわせたとしても、くるっと回ってさあ攻撃しようとなっても敵機はもう地平線のかなたじゃないですか?」
「1943年、ブーゲンビル上空でゼロ戦6機が護衛する山本五十六長官の乗る一式陸攻が米軍のP-38に襲撃されたときのことです。降下した後、速度を維持したまま急上昇して一式陸攻に突入した2機のP-38にゼロ戦は全く追いつくことができず、あっという間に長官機は火達磨となってジャングルに墜落してしまったのです。」

《ロッキードP-38(米)》

下僕
「・・・・しかし、格闘性能が時代遅れだとばかりにおっしゃるのはいささか極論が過ぎるようですな。零戦の卓越した性能の一つに、高速性と格闘性能を両立させた、というのがあります。零戦は時速500kmというある程度の高速性能と旋回性能を併せ持った奇跡の戦闘機ですぞ。零より多少速度が速いだけの連合軍機をバッタバッタと打ち落としたという歴史的事実は、このアドヴァンテージを生かしたからに他ならない。」

「そんなの勝手な妄想です。さっきはゼロ戦はたかだか時速500km以下でうろちょろする~などといいましたが、実はゼロ戦の飛行特性には大きな欠陥があったため、この戦闘機は速度と格闘性能の両方を満たしていた、などということはとてもではないですがいえません。」
「それというのもゼロ戦は、高速度域での舵の応答性が最悪な戦闘機なのです。どのくらい最悪かというと、時速290kmを越えたあたりから舵が急激に重くなり、ほとんど両手で操作しないとまともに動かせなくなります。もちろん時速500kmで格闘戦ができたなんてゼロ戦パイロットは現実にはいません。なぜならそんな速度では真っ直ぐにしか飛行できないからです。実戦ではみんな300km以下の低速度域でアクロバットしていただけなんですよ?」
「このゼロ戦の欠陥は、たとえば時速850kmの降下時でも操縦性が良好なドイツのフォッケウルフFw190などとは対照的です。『ゼロ戦は速度と格闘性能を兼ね備えた戦闘機』などというのは嘘であることがよくわかります。」

《フォッケウルフFw190A(ドイツ)》


「また、近代的な飛行特性で重要なものにロールレイトの良し悪しというのもあります。
これは飛行中の機動性に直結する重要な性質で、ロールレイトのよい戦闘機というのは、たとえば敵の射線に入り、攻撃を受けた場合にも容易に敵の追尾を急旋回によって振り切ることが可能で、戦闘機同士の空戦では必須の性能とも言えるんですね。この性質でもFw190は抜群の性能を持っていた反面、ゼロ戦といわず日本機全般はおそらく大戦機では最低クラスのロール性能で、パイロット泣かせだったと思います。」
下僕
「あら・・・・・」
「いいや!やっぱり格闘戦は有効な戦法だね!現実の戦いを見てみてください!零戦の必殺技、ひねりこみは連合軍パイロットを恐怖のどん底に陥れたのよ!零戦は第二次大戦最強の格闘戦闘機として世界の賞賛を集めたのは誇りであることなのよ!」

「・・・別に格闘戦闘機としてもゼロ戦は第二次大戦で一番優れていたわけではないですよ。イタリアも頭の固い格闘戦闘至上主義者が幅を利かせる国の一つでしたが、そんなイタリアが新鋭機として正式採用した戦闘機にCR42というのがあります。ゼロ戦の1年前に初飛行を遂げたCR42は複葉機でした。」

《CR42ファルコ(イタリア)》


「格闘性能が戦闘機の優劣なら、間違いなくCR42が第二次大戦最強の戦闘機ということになるでしょう。」
下僕
「ちっ違・・・・」

「大体そんなに格闘性能が好きなら、高速になるとマトモに機動もできなくなるような中途半端な単葉機を採用せずに、イタリアみたいに複葉機を正式採用していればよかったんじゃないですか?」
下僕
「ふっ・・・・複葉機なんて論外よッ!日本の進んだ航空テクノロジーでそんな時代遅れな複葉機なんてつくれるわけないでしょ!」

「時代遅れは日本の戦術思想でしょ」
下僕
「イタリアは技術力が無いから仕方なしに作っただけよ!日本とは違う!」

「別に当時のイタリアの航空技術はそれほど劣ってなどいませんよ。日本は大戦を通じて、ついぞ時速700kmを超える航空機の製造が試作機でさえもできませんでしたが、イタリアは1943年にして時速709.2kmの世界記録をFAI認定で作っている国ですからね。技術がなくて作れなかったのと、技術があっても作らなかったというのは全くちがうと思います。」
下僕
「零戦は格闘戦だけでなく、一撃離脱もこなせた!複葉機なんて論外!」

「確かにゼロ戦でも、急降下一撃離脱は可能ですよ。というか、戦い方をわきまえた敵に対してはそれしか有効な攻撃法が無いのが第二次大戦の空戦術というものです。坂井三郎や岩本徹三のようなゼロ戦のエースパイロットは、基本的にほとんどのスコアを一撃離脱によって稼いでいるのも、他国のエースパイロットと同じです。坂井は特に『一撃離脱ができないパイロットは、無能』とまで言っています。」
「でも、ゼロ戦は速度を出すと舵が利かなくなる以外にも、近代的な戦闘機としては致命的な欠陥がいくつもありますからね・・・・」
下僕
「致命的な欠陥とは何ですか?優れた万能機である零戦は、エースパイロットを中心に一撃離脱機としても活躍できたんでしょ?」

「それはそうなんですが、圧倒的に不利なんですよ。他国の機体と比べると。さっきも言いましたが、位置エネルギーを運動エネルギーに変える際、つまり急降下時ですが、戦闘機の速度は一般的に時速800kmぐらいにまでなることがあるのですが、その際機体の剛性が十分に確保されていることが必須ですよね。」
「ところでゼロ戦の量産前のプロトタイプは十二試艦上戦闘機というのですが、この十二試艦戦の第二号機が飛行時間2千時間のベテラン奥山益美の搭乗で急降下テストをしたことがありました。その際、彼が高度1500m辺りから約50度の降下角度で降下を始めたところ・・・・」
「突然、飛行場上空にすさまじい大音響が鳴り響き、人々はとんでもない現象を目の当たりにします。
第二号機は翼と機体が一瞬で飛散、発動機がポロリと落っこちました。他の部分は上空で粉々に粉砕されます。そうです。零戦のプロトタイプはものの見事に空中分解したのですよ。」
下僕
「空中分・・・」

「滑走路の周辺に降り注ぐ無数の機体の破片は、太陽の光をキラキラと反射してそれは美しかったといいます。機は見事に四散しパイロットは帰らぬ人となりましたが、事故原因ははっきりとはわからず、結局のところ機体の一部の補強工事でお茶を濁してゼロ戦は海軍の艦上戦闘機として制式化されるのですが・・・・」
「その後再び、アクロバット飛行をしていた二階堂中尉のゼロ戦が、急降下中時速540kmに達したとき左翼に皺がはしり、外板にたるみが生じました。危険を感じた中尉が機を静かに引き起こしたそのときに、突然激しい振動が襲い、一瞬彼は失神しかけました。そして意識を回復した中尉が見たものは、左右の補助翼が無くなり、右主翼の上面外板の一部も消えていた無残な自機だったのです。」
「彼は運良く墜落の危機を免れ、無事に飛行場に降り立つことができましたが、今度はその事故原因を調べるためにゼロ戦に搭乗した下川大尉が高度4000mから55度程度の角度で急降下テストを行ったとき、突然機体の一部がいくつか剥がれ落ち、そのままコントロールを失った大尉機は海上に墜落してしまいました。」
「再三にわたるゼロ戦の空中分解事故はいずれも、水平最大速度近辺で機体に異常が生じ、時速600km程度という低速で空中分解にまで至るというお粗末なものです。事故原因は風洞実験での計算間違いや、『フラッター』と呼ばれる機体の振動が日本の基礎科学力不足で解決できなかったこともあるのですが、根本はゼロ戦の機体強度の低さが大きな原因であることは明らかでした。」

《最高速度近辺でゼロ戦の主翼に走る皺
NHK ETV特集「ゼロ戦に欠陥あり」より》


「その結果、これらの事故をうけて量産されたゼロ戦21型の急降下制限速度は、時速629kmに制限されることになってしましました。」
「零戦の開発は三菱が担当しましたが、現代では走行中タイヤがバラバラになる程度ですが、当時は飛行中機体がバラバラになるという、クレームも付けようの無いほど酷い欠陥飛行機を製作していたというわけですね。」
下僕
「け・・・・けけけ欠陥飛行機」

「ゼロ戦の機体剛性が他国のものと比べて情けないほど低くかった一つの原因は、日本の工業力では出力の高いエンジンをまともに作ることができないことにありました。つまりゼロ戦を設計した堀越技師は、例のごとく自国の産業水準の程度などまるで理解していない当時の軍部が提示した無理なカタログ要求を安易に満たすため、極端な機体の軽量化によってそれを実現した、というのは結構よく知られた話なんですが、その際に機体の骨組みにバカ穴と呼ばれるくり抜きを多用した結果、近代的な飛行特性を確保するだけの機体強度が得られず、低い急降下制限速度に繋がってしまったというわけです。」
「でもさすがに戦争が進行するに従い、用兵側からもこのゼロ戦の急降下性能の低さは問題になり始め、その後の改良型では、少しずつ機体強度や急降下性能などは改善されていきました。最初の21型の629kmから、32型の660km、最終的には52型の740.8kmにまで向上していきます。」
下僕
「おお・・・つまり最後には零戦は、格闘性能と急降下性能を併せ持つ万能戦闘機へと改良されたというわけですな。」

「・・・・そういうわけじゃないですよ。機体強度や翼面加重の増加は、同時にゼロ戦の格闘性能の大幅な低下も引き起こしました。それに急降下速度制限は最終型でも時速740km程度で、たとえばドイツの主力戦闘機Bf109は戦争中期ごろのG-6型で960kmですよ。実戦では1100km出たこともあったといいますから、結局ゼロ戦はその改良の結果で中途半端な性能で落ち着いてしまったといえるでしょう。」
下僕
「改悪ッ!」
「・・・・・」
下僕
「格闘性能こそ零戦の命!それを捨てて、中途半端な性能を実現するとは、堀越は血迷ったか?!」

「何でゼロ戦オタクは格闘戦がそれほどまでに好きなんでしょうね?この一連のゼロ戦の改良は連合軍と実際戦っていた現場の意見を反映して行われたものなんですよ?低速旋回能力に頼った格闘戦なんて時代遅れな事に拘って、近代戦について行けなかった愚かな軍部が出した最初の仕様要求書自体が大きな間違いだったんじゃないですか?」

「12試艦上戦闘機の使用要求も、中国戦線での現場の意見を反映したものだったはず。日本人パイロットの好みを勘案しての性能要求が、初代零戦の仕様となったのよ。」
「ドイツにハインケルHe112という戦闘機があります。Bf109との競合試験で破れ、量産されなかったこの戦闘機は、Bf109にくらべておっとりした飛行特性が複葉機時代の戦闘機乗りに好まれ、日本にも輸出されたこともあり、日本人のパイロットからは何故当機ではなく、真っ直ぐにしか飛べないBf109が制式採用されたのか?と不思議がられたことがありました。」

《ハインケルHe112(独)》


「軍人というのは元来保守的なもので、新しい時代の変化にはすぐに対応できないことがままあります。Bf109は急降下性能などの飛行特性や量産性などの点でHe112よりも優れていたのです。現場の意見ももちろん重要ですが、だからといって、あまりに保守的な軍人の意見を全面的にに鵜呑みにするのも考え物でしょう。行き着く先は複葉機を制式採用したイタリアということになってしまいます。」
「ほかにも、ゼロ戦の低い機体強度がもたらした、艦上戦闘機としての収納性に対する制約についても、ここで話しておきましょうか。空母に搭載される艦載機というのは、一般的に言ってスペースをとらないように小さく翼が折りたためるのが望ましいんですね。たとえば米海軍の艦上戦闘機はこのように・・・」

《写真省略》


「根元から折りたためてコンパクトに運用、収納ができるのです。」

《写真省略》


「一方、日本海軍の零戦は、鹵獲機の写真ですがこのように・・・」
「はじっこだけしか申し訳程度に折りたためないのです。」
「元はゼロ戦が空母のエレベーターに引っかかってしまうため、こんな子供だましの先っちょだけの折りたたみ機構が付けられたのですが、無駄に生産性を阻害するだけのこの部分は、32型のモデルなんかでは切り取られてしまいました。」

《翼端を切り取られてしまった零戦32型》


「陸上機を改造しただけのイギリスの艦上戦闘機シーファイアですら根元から折りたためるのに、まったくゼロ戦ってほんとに艦上機なのか疑いたくなるぐらいですね」

《艦上戦闘機シーファイア(英)》

下僕
「・・・・・・」
「全く随分と酷く零戦をコケにくれましたな。
零戦はその飛行性能や細かな使いまわしだけで戦闘機の寵児になったわけじゃないのですぞ?」
「零戦といえば20mm機関砲!当時20ミリという絶大なる威力を誇る大口径砲の機関砲を装備していたのは零戦だけ!」
「蝶のように舞い、蜂のように刺す!」

「・・・・・」
下僕
「零式艦上戦闘機は、その優れた格闘性能と高威力20mm機関砲の重武装とで、太平洋の空から連合軍機を駆逐し、アジアに解放をもたらしたのよッ!」

「それにしても、日本軍マニアはなぜそこまで大口径という言葉が好きなのでしょう・・・大体20mm機関砲を最初に装備したのはゼロ戦なんかではないですよ。1930年代前半にしてフランスのD.500が20mmをエンジン下に装備した戦闘機として設計されています。実戦での使用に関しても、スペイン内乱でHe112の一部が20mmを装備して使用しています。どちらも日本に参考輸入されていますよ。」

《ドボアチンD.510(仏)》


「それにゼロ戦の20mm航空機銃はスイス・エリコン社のライセンス生産品ですが、真珠湾の頃にはもうすでに旧式化していて、その遅い初速による弾道特性の悪さから、かなりのベテランでしか敵機に命中させるのが困難だったといいます。」
「航空用機銃の性能で重要なのは、信頼性や重量などを除けば、弾丸の初速と発射速度があげられます。初速は速ければ速いほど弾道が直進して、ねらった敵機に当てやすいですが、逆に遅いと弾道が放物線を描き、新米パイロットでは命中させるのが困難となるのです。」
「また三次元空間を自由に動き回る航空戦では敵機を捕捉し、射撃できるタイミングは非常に限られたものになりがちですから、そこで重要になるのは銃の発射速度で、発射した場合にたくさんの銃弾をばら撒ければ、それだけ命中率が向上しますよね。ここでちょっと、真珠湾攻撃前後の各国の20mm機関砲のカタログスペックを見てみましょう。」


1941年

《各国20mm機関砲》

初速 発射速度
エリコンFF(日本)        600m/s 500rpm
MG151/20(ドイツ)     800m/s 700rpm
Hispano Mk.Ⅱ(イギリス)880m/s 600rpm
ShVAK(ソ連)         860m/s 800rpm



「ゼロ戦の20mm機関砲は、もともと大型機迎撃用に搭載が決定されたものなのですが、その初速の低さからくる威力不足で、敵の4発重爆に対してはほとんど効き目がありませんでした。しかし、小型で俊敏な戦闘機に対しては命中するはずもありません。」
「おまけに携行弾数が少ないために、わずか数秒で全弾撃ちつくしてしまい、20mmを使い果たしたゼロ戦は、残りの7.7mm機銃2つで12.7mm機銃4~6つを装備する米軍機と戦わなければならないのです。」
「とはいっても、ゼロ戦の7.7mm機銃も他国の同級の機銃に比べて別段高性能なわけではないのですから、パイロットはかわいそうですよね・・・・・」


初速 発射速度

7.7mm 97式機銃(日本)
          723m/s 900rpm
7.92mm MG17(ドイツ)
          840m/s 1000rpm
7.7mm ブローニング303(イギリス)
          811m/s 1200rpm



「結局のところ、坂井三郎の言うように、何の役にもたたない20mmなんて無かったほうがよかったんじゃないですか?」
下僕
「言いがかりだ!20mm機関砲は全く無用の長物ではありませんぞ!!」
「零戦に搭載されていたエリコン機銃は、たしかドイツのメッサーシュミットBf-109も搭載していたことがあるはずです。その際、これほどまでに酷い評価を受けることは無かったはずよ!」

《Bf109E》


「確かにBf109にも、ゼロ戦と同じエリコンの20mm機関砲が1940年初頭に搭載されていました。これもやはり弾道特性の悪さからすぐに小改造がなされ、その後MG151/20などに換装されていますが、ゼロ戦のエリコン20mmはメッサーシュミットのそれよりもさらに酷い性能だったのですよ。なぜなら、機体の剛性がしっかりしているBf109と違い、ゼロ戦は20mmを撃つと主翼がしなって弾道がそれてしまうのです。」
「タダでさえ遅い初速に加え、土台そのものがヤワであるという相乗効果によって、ゼロ戦20mm最低伝説が芽生えてしまったのですね。ドイツのものと日本のものとで機銃の品質が同一であったなどということも考えがたいでしょう。上に示した初速の表は、あくまでエリコン社のカタログスペック値ですからね。日本製の機銃はその工作精度の低さからよく弾づまりや、果ては筒内爆発まで頻繁に起こっていたといいますから。」
下僕
「しかしそれらの欠陥も長くは続いたわけではないでしょ?零戦の20mmは初速750m/sに性能アップされ、99式2号銃として1943年ごろから配備が始まってる。」

「確かに、ゼロ戦の20mmは大戦後半より砲身を長くしたエリコンFFLに生産が切り替わっていきましたが、43年ごろではまだ1号の生産のほうが多いぐらいです。新しい2号銃は初速が750m/sで発射速度は450rpmに減少しています。」
「しかし重量と反動が増えた2号銃は、ゼロ戦が一連射するごとに翼がよじれるようだなどと評されていますからね。もちろん弾はあさっての方向に飛んでいきます。下手をすれば初速のもっと低かった1号銃よりも酷いんじゃないですか?日本軍オタクはなぜかやたらと大口径砲が大好きでたまらないようですが、結局のところ脆い零戦に20mmを積んだのは全くの無駄ということだったんでしょうね。」
「全くろくなこと無いですよね。無闇にカタログスペックだけ欧米機に近づけようとした代償が、これらの機体の頑丈さの不足となって多方面に問題を噴出させたのです。こんな練習機並みのヤワな機体に武装だけ施したようなボロい戦闘機で戦争になるわけがないですよ。零戦などのフニャフニャな戦闘機は日本を滅ぼした一つの元凶といっても差し支えないぐらいです。」
下僕
「・・・・・・」
「まったく、予想通りの展開ですな。」

「なっ何がですか!・・・・今までの私の説明を聞いてて言うことはそれだけですか?」
下僕
「速度が遅かっただの、20mm砲が使い物にならなかっただとかいう戦術的な問題などというのは零戦の優秀さを脅かす要素にはなりえないということよ。零戦といえば、そう!絶大なる航続性能で太平洋の覇者となったことは日本人なら誰でも知っていることです!」
「その航続距離たるや、3,350kmにも達し、他の国にはまねのできない長距離の作戦を可能にした。」
「ところで、姫様はバトルオブブリテンという戦いをご存知ですかな?」

「英国上空の戦いでしょうか・・・・・」
下僕
「この1940年に勃発した、史上空前の航空戦といわれるイギリス本土上空戦では、ナチス空軍とイギリス空軍が文字どおり死力を尽くして戦ったわけですが、侵攻した側のドイツは1819機もの損害を出して敗退、その後に予定されていた上陸作戦は頓挫し、西ヨーロッパでのドイツの快進撃に一大転機をもたらしたという重要な航空戦です。」
「フヒッ・・・・フヒヒヒヒ・・・・」

「・・・・何なんですか」
下僕
「このときドイツ側が敗退した最も大きな原因はなんだかわかる?」

「・・・・・」
下僕
「それはドイツの主力戦闘機、Bf109Eの航続距離が足りなかったためなのよ!航続距離の短いメッサーは、フランスの航空基地から離陸、編隊を組んで、さあいざイギリス上空へときた段階になると、滞空時間が30分しかなかった。そのために戦闘機の十分な護衛を受けられない爆撃機は、イギリスの戦闘機に蜂の巣にされ、大損害を受けた結果作戦続行が不可能になったというわけ。いわばドイツは航続距離不足で敗退した」
「Bf109Eの航続距離は、たったの660km。その点、零戦はどうですか。我が海軍の零式艦上戦闘機の航続距離は、落下増槽無しの状態でも2,200kmも飛行できるのですぞ!」
「・・・・これはもちろん仮説の話だが・・・・」
「もしもドイツ空軍が装備する戦闘機が零戦だったとしたら、バトルオブブリテンはドイツの勝利に終わっていたであろうというのは定説だ。」

「・・・ちょっと立ちくらみが・・・・」
下僕
「ドイツ空軍に零戦があればイギリス空軍は殲滅されていたのは間違いない!」

「だから1940年にはゼロ戦は数えるくらいしか生産されていないと・・・・」
下僕
「・・・・ああっ・・・・ワタシは零戦の高性能ぶりが恐ろしいッ!零戦のその滞空時間たるや、6時間にも及ぶのです!当時の日本の航空技術の高さは、あの技術先進国ドイツを超越してしまっていたのよ!」

「・・・・・まったく、どんな怪しげな仮想戦記に影響されたのか知りませんが、ゼロ戦の航続距離がただ長いからといって無邪気に喜ぶのは馬鹿げています。戦闘機の航続距離なんて、戦場の使用要求にしたがって決定されるもので、その長短などは技術力とは何の関連性もないのですよ?」
下僕
「いーや、違いますね。すべては零戦に採用された低燃費技術の賜物よ。」

「・・・・ではそのゼロ戦の低燃費技術とやらをこれから解説して差し上げましょう。それとヨーロッパの戦闘機の航続距離が短い理由も。」

中編へ続く


「ヨーロッパ機の航続距離が少ない大きな理由は、翼内タンクが装備されていないことにありました。翼内タンクとは、飛行機の機体の中で比較的大きな面積を占めている翼の部分にまで燃料タンクを設置することで、燃料の積載量が飛躍的に伸びるんですね。」
下僕
「プッ・・・ヨーロッパの戦闘機開発者たちはそんなことも知らないで航空機先進国面してたの?馬鹿ね~でもなおさら零戦の優秀さが際立つからいいけど」

「・・・・彼らが大した理由もなしに翼内タンクの増設に乗り気でなかったと思いますか。ところでブタオさん、戦闘機が被弾する確率の最も高い部位はどこでしょう?」
下僕
「・・・・・」

「翼ですよね。」
「当時のヨーロッパの空は過酷そのものでした。飛行場を飛び立ち、海峡上空でレーダーに探知されると敵機がすぐに迎撃に飛び立ってきて、激しい空中戦が展開されます。イギリス空軍の装備するハリケーンやスピットファイアは、7.7mm機銃を8~12門も装備しており、両翼から放たれた弾丸は、まるでライスシャワーのようにドイツ機を包み込みました。ひとしきり作戦を終えたドイツの戦闘機や爆撃機は、穴だらけになって基地に帰還するのです。イギリス側も似たようなものでした。」
「穴だらけになって帰ってくるというのは逆に言えば、それだけヨーロッパの航空機の防御力は高かったということです。」
「つまり戦闘機の最も被弾確率が高い翼に燃料を詰めるのは、第一次大戦からの教訓もあってヨーロッパではあまりにも非人道的なことと認識されていたんです。翻って日本のゼロ戦の翼には翼内タンクが装備されており、これに一切の防弾処理も消火装置の設置もしていませんでした。」
「つまり、言うなれば、ゼロ戦はガソリンを充満させた空飛ぶポリタンクですよ。流れ弾が一発でも翼に命中したならば、即火達磨になって空中分解する殺人飛行機です。戦後、各国のガンカメラ映像を見た、世界最高の撃墜王であるエーリッヒ・ハルトマンは、『日本軍機が簡単に発火しているのが印象に残った』というコメントを残しています。」
下僕
「ちょっとまった!弾など当たらなければどうということはない!零戦の高い運動性で敵弾などすべてかわせばいいこと!」

「かわせばって・・・・・マトリックスじゃあるまいし、一度も失敗せずにそんなことが可能だと思いますか?飛行経験の浅いパイロットであれば、必ずといってもいいほど被弾しますし、ベテランであってもそれは例外ではないです。要は、被弾しても火達磨などにならず、パイロットも死亡せずに生還できることが重要なのであって、そんな神がかり的な技能に頼ったことでは、大切な人的資源をあっという間に消耗させてしまうことは防ぎようがないでしょう。」
「パイロットを保護するための背面鋼板などの装甲も、ゼロ戦には一切装備されていませんでした。7.7mmのような小口径弾であっても、当たればパイロットは負傷してしまい、当たり所が悪ければ死んでしまいます。この背面鋼板の設置は各国とも戦争が始まるやいなや、すぐに行っているのに対して日本海軍は大戦末期、44年まで設置を見送ったのは、日本陸軍ですら42年ごろに取り付けているのに対しても常軌を逸しているといわざるを得ませんね。」
「さて、そこでもしも、当時のバトルオブブリテンで、ドイツ側が日本海軍の零式艦上戦闘機を装備していたら、という下らない仮想戦記ですが、結論から申しますとドイツ空軍は1940年に消滅していたということは間違いないでしょう。」
下僕
「嘘よ!何いってんのッ!類稀なる格闘性能と航続距離の長さでドイツに勝利をもたらしていたはず!」

「そんなことは絶対にありえません。まず第一には今話した防御装甲の問題のせいで、出撃回数が過大で、パイロットに多大な負担を強いられるドイツ空軍のパイロットは次々と死亡してしまい、人的資源は早期に底をつきます。」
「軍用機たる戦闘機の防弾装甲は極めて重要な装備の一つです。過酷なヨーロッパ戦線では防弾のない戦闘機は軍用機ですらないのですよ。」
「また、パイロットの確保そのものにも問題があります。ゼロ戦は低速低高度の格闘戦でしか敵と戦うことができません。ゼロ戦はその機体強度の不味さから、急降下機動ができないと以前言いましたよね?問題はパイロットの養成なのです。」
「格闘戦ができるパイロットというのを養成するには、最短でも2~3年もの期間を飛行訓練に当てなければならないのです。対するバトルオブブリテン時のイギリス空軍のパイロットたちは基礎訓練の後、3~6ヶ月間の訓練中隊での飛行のあとは、すぐに実戦投入が可能でした。」
「ゼロ戦に搭載されている無線機が使い物にならないということも大きすぎる問題です。末期は多少改善されたようですが、日本の低い工業技術力で作られた無線機は、基本的に雑音だらけで実用に耐えるものではありませんでした。坂井三郎などの日本のパイロットは、使い物にならないゼロ戦の無線機用のアンテナの支柱をノコギリで切り落としたなんていう冗談みたいな話もあるのです。」
下僕
「・・・・・別に無線機など必要ないでしょ。パイロット間のコミュニケーションであれば、ハンドサインで事足りる。」

「ハンドサインって・・・・そんな原始的な方法で近代的な編隊空戦ができるわけが・・・・」
下僕
「いいや!やればできる!日本のパイロットは以心伝心、阿吽の呼吸で乗り切った!
やろうと思えばどんなに高度な意思の疎通でも図れる。」

「・・・・じゃあ、たとえば自機と逆の方角を向いているパイロットに向かって、『危険だ、アドラー7!敵機に追尾されている。左に急旋回して離脱せよ!』とかハンドサインでどうやって伝えるのですか?」
「しょ・・・しょれは・・・・・」

「これでは奇襲を受けても、僚機は気が付きもしないまま火達磨になってしまいます。高性能な無線機は近代的な編隊空戦術にはなくてはならない必須の装備ですから、ゼロ戦をそのまま使ったりしたらドイツ空軍がイギリス上空でRAFに優位に立てる要素はなくなってしまうのではないでしょうか。」
下僕
「ベ・・・ベテランパイロットに単機で格闘戦をさせなきゃ零の真価は・・・・・」

「ドイツ空軍のパイロットはたとえベテランであっても、格闘戦なんて前近代的な戦い方は多分できない人が大多数でしょう。急降下すると空中分解するゼロ戦を与えられても、有効な戦法も確立できないまま、かわいそうにそれこそ敵戦闘機のカモと化してドーバー海峡の海の藻屑になっていたでしょうね。」
下僕
「べ・・・別に格闘戦が得意なドイツ空軍パイロットだっていたじゃないの!撃墜王のマルセイユは格闘戦を好んだことは有名。」

「それは極少数の例外ではないでしょうか。アフリカの星ことマルセイユは不良さんですからね。彼は組織に反発して自己流の空戦法で戦った人です。」

《ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉》
 総撃墜数158機(西部戦線のみ) 


「まあとにかく、エスコートすべき爆撃機の目の前で次々と火達磨になるゼロ戦のせいで、爆撃機は史実以上の敵戦闘機による一方的な攻撃に晒されるでしょう。一方でパイロットの数も次々と減少していきますが、短期間では補充するすべもありません。
結果、早期に作戦が継続可能な最低機数を下回り、パイロットの大量犠牲とともに作戦は頓挫していたことでしょう。そのまま無理やり続ければドイツ空軍は壊滅したでしょうね。」
「そう考えて見ますと、ドイツ空軍内でゼロ戦はすぐにでも練習機に回されることにならないとするならば、オリジナルのゼロ戦を実戦でも使用可能なだけの改造が行われる羽目になるのは当然の成り行きだとおもいます。」
「まず手始めに防弾装備からでしょうね。翼内タンクはまず間違えなく取り外されて、胴体内タンクも位置が改められ、防漏処理が施されて容量が大幅に減少します。パイロット用の防弾鋼板や防弾ガラスが取り付けられ、空中分解しないよう機体強度も軍用機にふさわしいだけ確保され、重量は大幅に増加します。ちゃんと通じる無線機が取り付けられ、航空機銃もドイツ製に取り替えられるかもしれません。」
「時間があれば空力的リファインと急降下性能の改善のために、エンジンを液冷のダイムラーベンツにすることも望ましいでしょう。―――もうこれはゼロ戦とは呼べる代物ではありませんね―――結果、構造が強化され実戦向きとなったゼロ戦は重量増加と燃費の悪化によって、その特徴であった航続距離の長さは失われ、ロンドンでの滞空時間は30分程度、何の変哲もない凡作機としてバトルオブブリテンは史実以下のドイツ空軍の敗北に終わっていたでしょうね。」
下僕
「ちょっとまってよ~、重量増加や燃料タンクの容量減少だけでそれほどまでに航続距離が減ったりしないわよ。他の零戦の優れた低燃費技術をわすれてもらっちゃこまるのよ」
「その優れた低燃費技術というのは何のことでしょうか?ただ単に何も考えず装甲を引っぺがし燃料をたくさん積むことじゃないんですか?」
下僕
「・・・・栄エンジンの低燃費性よ!零戦の燃料搭載量とメッサーシュミットやスピットファイアのそれを比べてみるがいいわ。いくら燃料搭載量が異なるといっても、零戦はメッサーやスピットの3倍も4倍も燃料を積んでるわけではないのにかかわらず、5、6倍も長く飛べる!これはひとえに日本の低燃費エンジンの製造技術のおかげに違いない。」

「それは単にゼロ戦のエンジン出力の低さと低巡航速度が理由じゃないでしょうか」
下僕
「そ・・・そんな単純な問題じゃ・・・」

「言うまでもないことですが、戦闘機というのは滞空している間中、最高速度で飛行するわけではありません。大体が目的地につくまでの間、もしくは敵機に遭遇するまでの間は巡航速度で飛行するんですね。そうでないと大量の燃料を消費してしまうからです。車にたとえると、すごい速度で全力疾走するよりも、とろとろと低速度で走ったほうがより多くの距離を走れますよね。いうなれば巡航速度は低いほうが自ずと燃費は良くなるのです。同時代の日本機とヨーロッパ機の巡航速度は、大体100km/hくらい違うんでよ。」
「ガダルカナルなどに長距離侵攻したときのゼロ戦の巡航速度は時速200km台という超低速度です。一方で特にヨーロッパの空は上がればすぐにでも敵機に遭遇するため、巡航速度も有る程度高くなければ圧倒的に不利になってしまうので、一様に高く設定されていました。もしゼロ戦でヨーロッパの空を飛んで不意に敵機に遭遇したら、その時点で時速100km以上の速度差ではいかんともしがたいでしょ?」
「結局のところ、ゼロ戦をバトルオブブリテンなどに参加させてみたところで、さまざまな要素からその長い航続距離を生かすことはできなかったことでしょう。史実でルフトバッフェがイギリス空軍をつぶせなかった最大の要因は、航続距離なども含めた機体の問題というよりもむしろ、上層部の作戦指揮能力にあったのではないでしょうか?」
「なにせBf109はイギリスの戦闘機を圧倒し、イギリス空軍は作戦期間中に一度壊滅寸前にまで追い詰められています。にもかかわらず、愚かなヒトラーは些細な行き違いから、攻撃を航空施設からロンドン爆撃にシフトさせてしまったために、再びイギリスは空軍力を再建するだけの時間的猶予を与えられ、その結果ドイツは作戦を継続することができなくなりました。」
「メッサーシュミットBf109の航続距離の短さについてですが、この頃はそれほど問題となる声も上がってはいなかったのです。バトルオブブリテンの当初の作戦目標にはロンドンまでは含まれていませんでした。ドーバー海峡の幅は大体30~40kmにしか過ぎず、たとえ海峡上空で燃料が尽きたとしても、滑空するだけでも飛行場に帰り着くことができるほどの距離でした。」

《ドーバー海峡を横断するBf109E》


「単発戦闘機の航続距離を手っ取り早く伸ばすには、落下増槽と呼ばれる、使い捨て方式の外部タンクを機体に取り付けるというアイディアがあります。ドイツ空軍はスペイン内乱のころにして応急的な増槽をHe112などに取り付けて運用していたにもかかわらず、バトルオブブリテンでは末期までBf109に装備することをしませんでした。もともとドイツ空軍の役割というのは、陸軍の電撃戦構想に基づいた戦術空軍ですから、一ヶ月でイギリス空軍を殲滅してみせる、などといきまいた空軍元帥のゲーリングの言が大本の間違いだったのかもしれませんね・・・・・」
「ところで戦闘機の航続距離と戦闘能力。この2つは相反する要素であるようにも一見見受けられますが、戦闘能力を追求するというコンセプトのBf109を設計したヴィリー・メッサーシュミット博士に関してこんな話が一つあります。」

《ヴィリー・メッサーシュミット博士》


「Bf109はその登場から10年近くもの間、不断に改良され続け、エンジン出力が強化されて常に速度性能がアップしていきましたが、一方で航続距離は当初からさして増加していないことがドイツの空軍技術局長の不満のタネでした。Bf109Gの航続距離は増槽付きで約1000km程度です。」
「そこで彼はメッサーシュミットに次のようなことを言いました。『Bf109GBは速度性能こそ要求を満たしているが、ドイツ空軍はこの速度にさらに大きい航続力と、強い上昇力をプラスした戦闘機を必要としている』と。すると博士はこの言葉に腹を立て、『あなたの望むものは、速い戦闘機なのか、それともただの納屋の戸なのか』と怒鳴ったといいます。」
「Bf109は可能な限りコンパクトに切り詰めた機体に、高出力なエンジンを搭載するというコンセプトの元に設計されていました。いくら航続距離が長い戦闘機であっても、防弾もなし、機体強度も最低、速度も遅いとあっては、ひらひらと宙に舞うだけの納屋の戸にしか過ぎないというわけです。」
「とどのつまり、このとき彼の主張した空飛ぶ納屋の戸とは、正に日本の零式艦上戦闘機みたいなへっぽこ戦闘機のことだったんですね。」
下僕
「へ・・・・へっぽ・・・・」
「零戦は単なる納屋の戸ではないわ!そもそもドイツが長距離単座戦闘機を運用思想の問題で作らなかったというのが大きな間違い!」
「零戦はさまざまな要素からナンバーワンの戦闘機ではなかったかもしれない・・・・・しかしオンリーワンだったことは確実。結局のところドイツに長躯3000kmを飛行できる単座戦闘機が存在しまし?」

「・・・・・・」
下僕
「なんだかんだへ理屈をこねてみても、ドイツには長距離単座戦闘機は存在しなかった。このメッサーシュミットの話のように軍はその必要性を認識していたのにもかかわらずよ。これは何を意味するか?作らなかったのではない。作れなかった。これが事実。一部のドイツオタクの言い訳に翻弄されるのはもうたくさん!」

「なぜ存在しないと言い切れるのでしょうか・・・・」
下僕
「フヒッ、だってそうでしょう。Bf109の航続距離は700kmかそこら。それ以上の航続距離のタイプなんて存在しないもの。一方栄光の零戦は3000km。これがすべてなのよ。繰り返しましょう。作らなかったのではなく、作れなかっただけ。」

「いいえ。日本機マニアの間では航続距離というただ一点だけに関してささやかな優越感(?)を与えてくれるドイツの主力機のBf109ですが、燃料を翼内にまで搭載した長距離型がちゃんと存在します。それが高高度戦闘機型であるBf109H-1です。」
「Bf109H-1は翼内燃料タンクの増設と主翼の延長などによって、増層を付けないだけでも、その航続距離は1700kmにもおよび、さらに300リットル増槽を両翼にそれぞれ一つずつ取り付けられたといいますから、正確な距離はよく分かりませんが、搭載燃料の割合から言って、少なくとも2500kmは飛行できたはずで、一般的にアシが短かったBf109シリーズの中でも異例の大航続性能を誇ったといいます。」
「どうでしょうか?2500kmの距離を飛翔するBf109。Bf109H-1の最高速度は、高度9000mで687km/h、巡航速度は470km/hと高速ながら、ちゃんと防弾装置などもついています。長距離機の中でも、ゼロ戦などとは偉い違いです。」
下僕
「ウソよッ、バッタ戦闘機のメッサーシュミットにがそんな飛べるわけない!そんなタイプはドイツを崇拝してる連中の捏造に違いない!」

「捏造などではないですよ。H-1の生産と実戦配備は43年暮れからで、44年にはイギリス本土の高高度偵察の任務に使用されていたということです。急降下テスト中、時速800kmを越えた際に、フラッターで左翼がもげる事故が起き、またTa152ほどは高性能を示さなかったため、それ以上の改善や生産はされませんでしたが。」
「またドイツの補助戦闘機であるFw190にも、翼内にまで燃料を搭載したTa152は、1500kmぐらいは余裕で飛行できました。イギリスのスピットファイアもそうです。型によっては増槽をつければ2000kmは飛行可能なものがあります。」
「戦後、戦闘機はジェット化し、速度、武装、機動性などの基本性能は飛躍的に進歩しましたが、一方で航続距離はほとんど向上してはいないのです。これはつまり、戦闘機の航続距離というものは、想定される戦場での要求に応じて決定されるものであるということで、パリ-ロンドン間でも300kmにしか過ぎないヨーロッパを戦場とする場合、初期の頃であれば無駄に長い航続距離は必要なかったということでしょう。」
「アメリカの艦載機のF4Fには主翼折りたたみ機構を廃し、武装や防弾装甲まで取り外して翼内に燃料を詰めた長距離写真偵察機型が存在するのですが、その膨大な燃料搭載量から生み出される航続距離は7,310kmにも達しました。」

《グラマンF4F-7》


「やたらと長い航続距離が大好きな日本機オタクの皆様方に崇拝されてしかるべきこの機体ですが、一体こんなもの何に使うというのでしょうね?いくら果てしなく長く飛べるといったって、実用的ではないのは誰に目にも明らかで、航続距離はただ長ければいいというものでもないということの好例であるような気がします。」
下僕
「フガ・・・・」

「結局のところ、航続距離と他の性能はソリースの配分の問題であって、たとえば日本の技術に何か特別優れていた点があったから、ゼロ戦のアシが長かった、ということはありえないようです。」
「ところでさっきの、メッサーシュミット博士と空軍当局者のひと悶着の話には続きがあります。それから2年後のことで、たまたまこの技術局長と博士の二人は、ドイツ南部のアウグスブルクでアメリカ軍のP-47サンダーボルト戦闘機の空襲を受けて、防空壕に駆け込むハメになりました。そこで技術局長は敵地深くまで侵入してきたP-47をさしてメッサーシュミットに、『ほら、そこにきみの言った納屋の戸が飛んでいるぞ』とやり返したといいます。」
「長距離機に関する真に誇るべき技術力を持っていたのは日本などではなく、アメリカだったようですね。
アメリカの中期以降の戦闘機は優れた速度性能や防御力を有していながら、きちんと防弾処理のされた翼内タンクを持ち、航続性能もとても優れたものでした。」
「ここで出てきたP-47Dは、プラット&ホイットニー社製2,430馬力のエンジンを搭載しており、堅牢な防御力を備え、最高速度は時速697km、8丁のブローニング機銃と大量の弾薬を搭載し、巡航速度は零戦の最高速度に匹敵する時速563kmと高速ながら、最大3,060kmもの航続距離がありました。」

《リパブリックP47サンダーボルト》
 (総生産機数15660機)


「また他のアメリカ機のなかでも双発単座戦闘機ですが、山本五十六機を撃墜したP-38は、最高速度が時速666kmで、航続距離は最大4200km近くもあります。余談ですが、「星の王子様」で有名な作家サン=テグジュペリも地中海で消息を絶ったときの乗機も本機の偵察機型です。」

《ロッキードP-38ライトニング》
 (生産機数1万機)


「でもなんといっても、アメリカの長距離戦闘機として決定的な存在であるのはP-51Dを置いて他はないでしょう。第二次大戦で量産されたレシプロ戦闘機の中で最優秀といわれるP-51Dムスタングは、1,700馬力のイギリスのマーリンエンジンを搭載しており、最高速度は時速703km/h、巡航速度は400~500km/h程度ながら、増槽をつけた場合の最大航続距離は3,500kmもありました。」

《ノースアメリカンP-51Dムスタング》
 (総生産機数15600機)


「P-51Dは非常に優速な戦闘機で、ドイツのBf109Gなどでは緊急ブーストをふかさない限りは追いつくことすらできないほどでした。いわんや日本機など、これは高空性能の違いもあるのでしょうが、ゼロ戦では増槽を付けたまま巡航速度で飛行するP-51Dにすら追いつけなかったといいます。」
「おまけにP-51は生産性も非常に優れており、P-47サンダーボルトの三分の二程度のコストで生産できます。量産性を全く考慮していないゼロ戦などとはこれまたえらい違いですよね。」
「日本の零式艦上戦闘機は、大戦初期の部類では比較的航続距離が長かったですが、それが日本の技術的先進性とは何らの関係もないということは今見てきた通りです。ところでゼロ戦21型の3,500kmという航続距離も、はなはだろくなものではないといわざるをえないのではないかと私には思えるのです。」
下僕
「長いことはいいことよっ!貴方様はそんなことにまでケチつける気なの?!」

「だってそうでしょう。戦闘機の重要なリソースほぼすべてを航続距離というただ一点に注いだことを抜きにしても、ゼロ戦の滞空時間は飛び方によっては8時間にも及ぶのですよ。操縦するのは機械ではなく人間であること忘れてませんか?」
下僕
「それがどうしたのよ!零戦のパイロットたちはそんなヤワじゃない!それにガダルカナル攻防戦などは、ひとえにこの航続距離が多かったおかげで成り立ったのよ!」

「ですからそういった無茶な作戦は、ゼロ戦の無駄に長い航続距離によって立案されたというわけでしょう。」
「ガダルカナル航空戦は、1942年にガダルカナル島の上空で、日米の戦闘機が同島の制空権をめぐった戦いであるわけですが、このとき日本側の最も近い飛行場というのが、島から1,000kmも離れたニューギニアのラバウルだったのです。」

《ガダルカナル島・地図省略》


「普通ならこんな遠くにある飛行場から出かけていって、空戦して帰ってくるなんて無茶なことやろうとはしません。米軍もガダルカナル上空に現れる戦闘機はすべて空母から飛び立ってきたものだと信じていたぐらいですから。しかし、航続距離という数字が許せば多少無茶であろうとお得意の精神力とやらでやってしまおうとするのが日本上層部の中の人たちであったのです。」
下僕
「たしかに日本人の精神力なら不可能なことではない。」

「当時の日本人は生理的限界とは無縁な人間以外の生物だったのでしょうか・・・・往復2,000kmという長大な距離をスロットルワークを気にしながらの計器飛行を行い、さらに空戦までしなければならない。車にたとえてみてください。東京から九州までの間をノンストップですっとばして全く負担にならない人などいると思いますか?」
「結果、この一連の航空戦で笹井中尉をはじめとしたベテランの大量死を招いてしまい、坂井三郎もドーントレスを戦闘機と見間違えた挙句重傷を負い入院、台南航空隊は実質的に壊滅してしまいました。」
「これは愚かな司令部が、カタログスペック上の航続距離の数字しか頭に無く、搭乗員の生理的限界を無視した長距離作戦を立案したことによる当然の結果だということでしょう。さらにゼロ戦の航続距離というのは、果てしなく低い巡航速度によって得られたものですから、ガダルカナル島上空で空戦をした場合はとたんに大量に燃料を消費してしまい、帰りの燃料を確保するには島での滞空時間がたったの15分に限られてしまいました。」
「そうです。これはバトルオブブリテンのロンドン上空でのBf109の滞空時間以下なのですよ。ルフトバッフェの結果をバカにするゼロ戦オタクの方たちは、一体どの口でそんな恥知らずなことが言えるんでしょうね。」
「日本の場合では、3.000kmを飛べる長距離戦闘機は、ただ単に航続距離が長いというだけで、パイロットのことは何も考えていない人命軽視の殺人機にしか過ぎません。ゼロ戦とほぼ同時期に設計されたドイツのFw190にはコマンドゲレートという、ブースト圧やミクスチャーレバーなどのエンジン管制のほとんどを自動化する機械式のコンピュータが付いており、さらに長距離侵攻型のG型には自動操縦装置まで付いていて、パイロットの疲労は最小限に抑えられるように工夫する措置がとられていました。この長距離型のフォッケウルフの航続距離は一体何キロだと思います?」

《Fw190G-3》


「これが1,000kmにしか過ぎないのです。一方で3,000km飛ぶゼロ戦には何がついていましたか?」
「アメリカの長距離機P-51などにもコマンドゲレートほどではないですが、過給機やブースト圧などを自動化する装置くらいは搭載されていました。人力で3,000kmも飛ぼうなんて馬鹿げてるとしかいいようがないですよね。それにP-51などに比べ、ゼロ戦は巡航速度が遅いものですから、なかなか目的地に着かない。」
「何なんでしょうね。日本軍にとってパイロットは消耗品ですか?結果、大戦中のゼロ戦の洋上損失の3割が、長距離飛行による疲労のせいで、集中力や判断力が低下し航法を間違えての墜落だったといいます。もう目も当てられない。」
下僕
「仕方がなかったのよ!太平洋戦線は基本的に島嶼戦と海上での戦いよ?だから長大な航続距離は欠かせなかった。コマンドゲレーテ?そんなもん戦前の日本の工業力で作れるわけないでしょ!」
「そうよ!日本機はたとえ撃墜されて、落下傘降下しても下は海。陸上戦が主体のヨーロッパ戦線では、そのまま本隊に歩いて帰ればすむことですが、日本のパイロットはサメの餌。零戦の防弾装備の不備にしたって、落ちればどうせ死んでしまうんだから、全部航続距離にまわして正解だった!」

「パイロットの死亡原因の第一位は機上火災だそうですが・・・・そりゃ不時着する前に死んでしまえば救出する必要もないですけどね。それに墜落したら助からない可能性が高いのなら、なおさら防弾装備などの生存性を高める装備が重要になるのではないでしょうか。」
「なお、海上にパイロットが落下傘降下しても必ず死ぬわけではありません。救助体制が整ってあるかどうかで随分と違いますよ。米軍は潜水艦や飛行艇を駆使して海上に不時着した航空機のパイロットの救助を積極的に行ない、B-29の乗員の分も合わせれば50%もの割合で救助に成功できたといいます。」
「その一方で日本側は始終消極的で、パイロットは落下傘すら装着しないことも多く、大部分が墜落とともに海の中で死んでしまいました。これはもちろん国力の問題もあったわけですが、人的資源が豊富な国がパイロットの救助に力を入れ、逆に貧困な国が使い捨てにしていたというのは皮肉な話ですね。」
下僕
「嗚呼・・・それにしても海軍の空の勇士たちはよくこの過酷な任務に耐えたものだと思いませんか?帝国の若き航空兵たちの精神力や体力、忠誠心には本当に頭の下がる思いです。アジア解放の聖戦の為に戦った英霊には畏怖の念すら覚える。今の日本に帝国主義になれとは言わないが、せめてあの頃の精神を少しでもよみがえらせれば・・・・・ 大日本帝國崩壊とともに魂を失った日本人の転機がまさに今訪れているのではないか?」

「・・・・なんてこと言うんでしょうか。それってどんなに酷い殺人ミッションにも文句も言わず、もしくは言えずに、抑圧された体制には従順するしかできない精神が貧困な国民になれということですか?
今、現在進行形でそんな国家がありますが・・・」

《某半島北部の国の写真省略》


「移住してみてはどうでしょうか?誰も引き止めませんよ。」
下僕
「戦前の日本人とそんな連中を一緒にしないでよ!零戦のパイロットは素直に凄かった!それだけのことなのに!」

「あなたはゼロ戦パイロットに憧れをいだいているのでしょうか?」
下僕
「当然ですぞ!零戦といえば当時海軍の最新鋭戦闘機。国民には詳細こそ知られてはおりませんでしたが、この栄光の銀翼のパイロットは必然的にエリートです。大空に思いを馳せた少年の頃より彼らは憧れの的でありました。」

「無邪気なものですね。ゼロ戦の搭乗員なんてそんなにカッコイイものでもないですよ。」
下僕
「イイエッ!そんなことはない!小生の幼少の頃よりの憧憬にケチをつけないで!」

「ゼロ戦の滞空時間は半日以上にも及ぶのです。そうするとパイロットのほうは相当グロッキーな状態になってしまうということはさっき述べましたが、またもう一つ生理的な問題が生じてくるのでが・・・・」
下僕
「ああ、お腹が空くわね。きっと。食事用のおにぎりを持参したことでしょうね。」

「そうじゃなくて・・・・アッチの問題ですよ」
下僕
「何よ?」

「・・・・トイレです。どうしたって行きたくなるでしょ?なんせ半日もコクピットの中にすし詰め状態で、我慢できるものではなかったそうですが・・・・」
下僕
「ヤ・・・ヤァァァァアアアア!!それ以上言わないで!」

「ゼロ戦パイロットはいつもコクピット内でそそうしていたということです。ゼロ戦の非人道的な航続能力のもたらした当然の負担だということでしょうけど、全くもって不潔な話ですよね。」
下僕
「・・・・・アアアア・・・・」

「まあもっとも、高空で気圧の低い場合はそれほど不快には感じなかったというパイロットもいますが、
かわいそうなのは整備員です。落下傘は通常、おしりの下にしいてあるものですから、この絹製の布は腐・・・・・・もう語るに落ちたとでもいいましょうか・・・・」
「たとえばP-51のように外国機の中には零戦よりも航続距離の長い単座戦闘機も存在しますが、それらの場合はそもそも巡航速度がゼロ戦よりも遥かに速いですから、パイロットは食事の量を調節すれば何とかなったようです。」
「ところで画面の前で、顔を真っ赤にしながら本コンテンツを読んで下さっているゼロ戦ファンの皆様も、ゼロ戦の無思慮な長い航続距離を誇らしげに思うのなら、その搭乗員はカッコイイとは程遠い、悪臭を放つ不潔な人たちだったことを忘れないでくださいね
下僕
「もう沢山よ!零戦は確かに欧米機に比べれば全般的に性能が劣っていたかもしれない。その長大な航続距離も、多くのものを犠牲にすることで得たのは事実でしょうよ・・・・・・・しかし一つ重大なことを忘れている。」
「日本で生まれた零には、日本の技術のみならず日本固有の様々な要素が組み込まれていました。戦いの哲学、そこには民族の性格そのものが結集される。重要な事は日本軍は日本の兵器で戦いを挑んだ事。もし仮に日本軍の手元に外国製の、例えばP-51を上回る性能の機体が有ったとして、それで日本軍はアメリカに勝てたでしょうか?私はそうは思わない。もっと完膚なきまでに敗北したであろうと思います。」

「そりゃP-51があったらパイロットの消耗も最小限に抑えられて、敗戦の時期が延びたかもしれませんけど。」
下僕
「違うの!そういう意味じゃない!」
「日本は有色人種として始めて世界と戦える機体を生み出した。敗れたりとはいえ、縦横無尽に太平洋の空を駆け回り戦った。借り物ではない、日本の誇りを武器に。この気概こそがアジアで唯一大をなしえた根源ではないか。 中国、朝鮮はどうか? 今日世界に冠たる大国である日本。世界最貧国から50年でのし上がった。二度と敗北の辛酸を舐めることの無いよう、文字通り死力を賭した。その精神の中に零は生きている。」

「ゼロ戦の一体全体どこに独自の技術が用いられているというのでしょうか・・・・?」
下僕
「何てこというの?!零戦は隅から隅まで日本独自の技術で作られてるじゃないのよ!」

「 ・・・・・」
下僕
「日本の航空技術は優れていた。そうであるからアメリカは、日本の航空技術をパクった上に、戦後はそれを恐れて日本の航空開発に圧力をかけたのだ。卑劣な奴らだ。 」

「アメリカが日本の航空技術をパクったって・・・・・一体どこからそんなとんでもない発想がでてくるのでしょうか・・・・本当に何も知らないのですね。これから私がそのアメリカもパクるほどのゼロ戦の先進的技術水準とやらを解説してあげましょう。」


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《零戦の航空機銃》
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下僕
「先ほどは隅から隅までなどといいましたが、実際のところは確かに零戦の99式20mm機関砲はスイス、エリコンFFのライセンス生産品ですな。しかし!航空機銃などどこの国でもライセンス品を選択している例などいくらでもある。言うなれば普通のこと。このエリコンFFは一時期、ドイツのメッサーシュミットにも装備されていた。」

「でも、97式7.7mm機銃も外国製のライセンス生産品ですよね。これはイギリスのヴィッカース社のを国産品にしたものです。」
下僕
「 ・・・・・ 」

「ところでライセンス元のヴィッカースE自体は、第一次大戦中1917年に英空軍採用の骨董品でして、こんなものを後生大事に大戦末期まで使い続ける日本海軍の気が知れませんわね。」
「ゼロ戦に1944年から搭載された、3式13mm機銃はアメリカの傑作機銃ブローニングM2のコピー品です。このように海軍だけによらず、日本の航空機銃のほとんどすべては、外国製品のコピー品か、ライセンス生産品で占められていました。エリコンFFなどのライセンス生産品はちゃんとした正規のものですが、大部分の模倣品はライセンス料など一円も払っていない、完全に他国製品をパクっただけのものだったようです。開発能力を一切持たない国は惨めですね。」
下僕
「んなこと言ったって、当時の機関銃の開発なんてもんはそれこそ他国の優れた物のパクリ合いよ?どこだってそうやって多くの技術をいわば共有しながら、よりすぐれたものを開発してるのに日本だけ惨めになるなんておかしいじゃない!」

「確かに、たとえばスイスのエリコンFFなどは、第一次大戦のときのドイツのベッカー機銃を改良したもので、その後またドイツがそれをライセンス生産する・・・・というふうに各国同士で銃器の開発には繋がりがありますが、一方的にコピーだけしておいて、それ以上のものを作り出すことができず、もちろん基本メカニズムから独自に開発することなど一切できなかった日本の場合は明らかにそれらの国々とは別格の扱いでしょう。」
「日本の工業界の基礎技術力の低さを象徴する話として、ドイツのマウザー砲ことMG151/20という、口径20mmの機関砲を輸入したときの話があります。それまでの日本の劣化コピー航空機銃というのは、作動不良の頻発や威力不足、弾道の直進性などで酷く劣ったものしかなかったのですが、1943年のニューギニアで、ドイツから潜水艦で800丁も運ばれてきたマウザー砲を陸軍の戦闘機飛燕に搭載して運用したところ、すべてが電気操作で作動するこの故障知らずの機関砲は、ボタンを押すと「ジー」というモーター回転音を立てて滑らかに作動し、実戦でも双発爆撃機のB-25の主翼を一撃で吹き飛ばしたりしたため、日本の関係者の度肝を抜いたということがありました。」

《MG151/20 20mm機関砲》
引用註:「マウザー」とは通常日本では、
モーゼルと呼んでいる銃器メーカー名。


「もちろん日本はこの優れた機関砲の国産化をしたいと考えますが、まずは試作をしてみようと技術者が見てみたところ、日本では量産どころか職人によるコピーすら不可能な技術で作られていることが判明します。」
「なにせ、MG151/20は銃本体がプレス加工という、一枚の鉄板を加工して形作るという高度な工作技術によってできており、電気式による同調装置も到底模倣不可能で、何より圧倒的だったのは、弾丸までプレス加工でできていたことあり、通常であれば弾丸の弾頭というのは金属の塊を削りだして形にするのですが、MG151/20の場合は一枚の薄い板を叩いたり曲げたりして弾丸の形に加工するわけですよ。こうすると削りだしの場合と比べて弾頭の炸薬量が大幅に増えて、威力が非常に大きくなる利点があります。まさに金属加工の芸術品ですので、日本では職人ですら作れなかったのです。」
下僕
「ちょ・・・ちょっとまって・・・・マウザー砲ってアメリカですら量産に失敗したっていう話じゃ・・・」

「確かにアメリカもマウザー砲と同系列のMG151のコピー品の量産に着手しますが、数千丁生産したにもかかわらず製造不良多発で、すべて廃棄するハメになったそうですけど、手も足も出なかった日本に比べればずいぶんとマシでしょう。まあこんなものを普通の町工場でも生産できるドイツの金属加工技術が尋常ではなかったということもあったでしょうが、とにかく日本には航空機銃に関する見るべき技術など一切存在していなかったことは事実だろうと思います。」

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零戦のエンジン
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「ゼロ戦のエンジンの名前は『栄』といいます。この栄エンジンの説明をする前に、ちょっと日本の航空用エンジンの開発史を振り返ってみましょう。1925年、日本の中島飛行機は、イギリスのブリストル社製の450馬力の『ジュピター』空冷エンジンのライセンス権を取得、1927年にブリストル社から生産指導技術者2名を迎えて、国内でエンジンの製造を開始しました。」

《ブリストル社 ジュピター》
 (イギリス)


「中島は1930年に、アメリカのプラット&ホイットニー社製の空冷エンジン『ワスプ』をこのエンジンに融合させ、これをジュピターの頭文字から『寿』エンジンと名づけ、これを国産第一号エンジンとし、海軍に制式採用されるようになります。」

《プラット&ホイットニー社 ワスプ》
(アメリカ)


「この寿エンジンのノウハウを元に、アメリカのプラット&ホイットニー社のツイン・ワスプをコピーしたのがゼロ戦の940馬力の栄です。」

《プラット&ホイットニー社 ツインワスプ》
 (アメリカ)


「つまりゼロ戦のエンジンも含めて、日本の航空用エンジン全般はほとんど外国製の模倣品だったであったわけで、戦争が始まり外国からの技術の流入がなくなると、もうこれ以上の本質的な出力向上の改造ができなくなってしまい、各国とも大戦末期には2,000馬力級のエンジンを搭載した戦闘機を開発しているのに対して、ゼロ戦は1,130馬力にしか満たない大戦初期並の低出力エンジンで一方的に撃墜されるだけのカモになってしまったのでした。」
「中島は苦肉の策で、栄エンジンを無理やり18気筒化したりして、公称2,000馬力級のエンジン『誉』を作り出しますが、1,000馬力を超えた辺りからすでにカタログスペック通りの出力が出なくなるといった次第の日本の低い工業技術力では、不良品の続出、もしくはうまく作動したとしても、2,000馬力などとは程遠い低出力しか出せない欠陥エンジンにしかなりませんでした。」
下僕
「別に日本以外でも他国のエンジンをコピーとかライセンス生産をしてた国があるでしょ?」

「確かに第二次大戦の時代、一からオリジナルのエンジンを設計、製造できる能力があった国は、ドイツ、アメリカ、イギリス、フランスの四カ国だけで、そのほかの航空機生産国はすべて、上記のいずれかの国のエンジンをライセンスしたり、コピーしたりしていたという事情があったため、日本のエンジンだけが他国の技術に依存していたということはありません。」
「しかし、問題は日本の主力機のエンジンが敵国のアメリカとイギリスのものに全面的に依存していたということでして、当然戦争が始まってしまえばそこで発展性が失われてしまいます。」
「おまけに中島の航空機関連施設には開戦の直前まで、プラット&ホイットニー社の技術者が滞在していたものですから、工場の位置や設備がアメリカ側にバレバレという情けないことにもなっています。」
「日本は同盟国ドイツのエンジンもライセンス生産しましたが、彼の国は液冷エンジンと呼ばれる、エンジンを空気で冷却する空冷エンジンとは違って、グリコールなどの液体で冷却する複雑な方式のエンジンが主流であったため、日本の手には余り、また工業技術力の低さとも相まって欠陥エンジンを大量産するハメになり、このエンジンを搭載した陸軍の飛燕戦闘機は、初めてのフェリー飛行にして27機中4機がエンジン故障によって墜落してしまうなど、とてもモノにできたとはいいがたい状況でした。」

《ダイムラーベンツ DB601A》
 (ドイツ)


「ドイツのDB600系統のエンジンは日本のほかにも、イタリアやスウェーデンで戦中ライセンス生産されていましたが、これらの国では日本の場合ほど製造にてこずったという話は余り聞きません。これはいかに日本の工業技術力が他国に比べて劣っていたかということが浮き彫りになる事例でしょうね。」

《各国のDB600系統エンジン搭載機》

《川崎 三式戦飛燕》
(日本)

《マッキ MC205Vベルトロ》
 (イタリア)

《サーブ 21》
 (スウェーデン)


「なお、ゼロ戦のエンジンに用いられているボールベアリングの精度は、
現在の日本が作ったパチンコの玉以下だそうです。」


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零戦の降着装置
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「ゼロ戦の油圧式引き込み脚機構は、アメリカから参考輸入したヴォートV-143を真似て作られました。」

《ヴォートV-143》
(アメリカ) 購入価格$64,800

下僕
「・・・・・アナタがこれから言わんとしていることはわかってるわ。」

「はい?」
下僕
「零戦はV-143のパクリだとか言うつもりでしょう!」
「零戦がV-143をパクったとかいう頓珍漢な意見は、零戦に叩きのめされたアメ公たちが悔し紛れに流布した妄言!降着装置を真似たぐらいで機体すべてを模倣したなんて言語同断!!言いがかりもいいとこよ!第一零戦とは全然似てないじゃない!!!」

「私まだ何も言ってませんけど・・・・」
「確かに、ゼロ戦の脚が輸入したアメリカのV-143を参考にしている点をあげつらって、これをフルコピーしたのがゼロ戦だ、などという人もアメリカを中心として存在しますけど、荒唐無稽な意見だといわざるを得ないでしょう。」
下僕
「・・・・・おお・・・・私はまたてっきり、『零戦の機体はヴォートのフルコピーだと思われます。こんな機体で米軍機に勝った負けたとか言ってる零戦オタクははっきり言ってバカですよね~』ぐらいのことはおっしゃるものとばかり・・・・・」

「・・・・・・・そんなこと言いませんよ。ゼロ戦は明らかにヴォートを模倣したものではありません。なぜならゼロ戦は・・・・・」


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零戦の照準機
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「ゼロ戦の98式射爆照準器は、1938年にドイツから輸入したHe112に搭載されていた、Revic2のコピー品です。このレヴィ照準機は、日本がコピーをした時点ですでにドイツでは旧式となっていたにもかかわらず、日本では大戦末期まで採用され続け、大戦初期に開発されたRevic22のコピー品である4式射爆照準器が零戦に搭載されたのは1944年のことでした。ジャイロ式の照準機は最後まで搭載されておりません。」
「なお、ゼロ戦が最初に装備していたのは、光像式ではなく鏡筒式と呼ばれる望遠鏡型の原始的な射撃用照準機でした。余談ですが、日本は海軍艦艇の分野でも、その光学照準機はドイツのカール・ツァイス製の模倣品が大多数だったようです。」

《Bf109のRevic照準機》

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零戦のプロペラ
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「プロペラについてですが、これはアメリカのハミルトン・スタンダード社のもののライセンス生産品です。日本は戦時中でも、この半ば涸れかけた技術のプロペラに何らの改良も加えることがないまま、終戦まで使い続けました。戦後、ハミルトン社に戦時中に払わなかった分のライセンス料を日本が支払おうとしたところ、料金は1ドルでいいなどと冗談を返されてしまったという逸話さえあります。こんなもの後生大事に生産し続けていた日本の工業界には涙がちょちょぎれてしまいます。」


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零戦の無線装置
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「無線帰投装置は、無線の誘導電波を利用して自機の方向を確認したり、基地や空母に帰還するときに用いられる航法装置です。日本ではこれも自主開発など不可能であったため、対日経済制裁発動前にアメリカから輸入したフェアチャイルド社のクルシー式RC-4をコピーしてゼロ戦などに搭載しました。ですからこれもかなりの年代モノだったわけですが、代替品を作れずに終戦まで使用され続けます。」
「ゼロ戦が搭載していた無線電話は、直接どこかの国の製品を模倣したとかいうことはちょっとわかりませんが、以前にも言った通りこれは大戦末期まで全く通じるものではない欠陥品で、戦後アメリカに教えてもらったところによると、この原因はただアースの取り方が間違っていたというだけのことだったそうです。」
「また日本は当時、電線のコードに、銅線に布を巻いて塗料を塗っただけという信じられないような粗悪品を用いていたともいいます。普通なら絶縁体にはビニールか何かを用いるものです。それが布であったために漏電は酷いものであったことでしょう。」
「しかし、経済制裁前の日本の無線機は、戦中とは違って結構通じたという話も存在しますが、これはアメリカ製の高品質な真空管を用いていたからというわけがありまして、輸入が途絶えて国産のものに切り替えた途端にあのような欠陥品になってしまったということです。」
「今見てきました通り、ゼロ戦に用いられた戦前の日本の航空技術といったものはおよそ、純国産とは言いがたいような外国製品の物まね、ライセンス生産品の使用によって成り立っているというのが真実で、それでもライセンスしたものは正当な権利がありますが、そのほかは無断コピー、今の感覚で言うところのパチモンですよ。」
「これがブタさんの言う日本の誇りだというのなら、あまりにも惨めで安っぽい誇りだという思いを禁じえないのは私だけでしょうか?当時の日本に他国に誇りうる技術など何も存在しはしません。すべてが他国の焼き増し、模倣品ばかりだったのです。」
「無論、他国が日本の航空技術をパクったり、参考にしたりしたという事実はほとんどありません。
というか、どこからそんなとんでもない発想が出てくるのかが不思議なくらいですよ。MMRの調査結果でしょうか?」
下僕
「 ・・・・・・・」
「・・・・・三国人は全員死んでいいよ」

「なっなっ・・・突然何てこと言うんですか?」
下僕
「だってさーこれちょっと見てくださいよ~」

《日本T社製自動車VSK国H社製自動車》

《日本N社製自動車VSK国H社製自動車》


「・・・・・・」
下僕
「フヒッどうですか?これが零戦にケチつけてる連中の現在の姿ですよ」

「ケチつけてるのは私ですが・・・・・」
下僕
「確かに零戦はその多くの構成部品を外国の技術に頼っていたかもしれない。
当時の日本は開国してからまだ日が浅かったがために、そうせざるを得なかったのも確かに事実でしょうよ。」
「でも機体設計そのものは日本独自だったという重要なことをお忘れではないですか?これがどこぞのパクリ国家と日本との本質的な違い。連中と日本は日本海溝より深遠な違いだあんのよッ」

《似た車同士を並べて比較》


「そんなに似てるでしょうか・・・・・?」
下僕
「何いってんの?そっくりでしょ?!K国H自動車の関係者はパクリ具合を指摘されると、『遠くから見れば同じように見えるかもしれないが、『近くから見ると細部が違う』などと苦し紛れの言い訳を言う始末!」
「何なんですか?コイツラは?こんな日本の製品をパクるしか能のない連中が、自国では反日教育に精を出してんのよ?日本がいなくなれば困るのは自分たちだってことが明らかだってのに!」
「馬ッ鹿よね~自分たちを養ってくれている保護者を罵倒したりして何になるのって話!犬でも恩を忘れないというけど、彼の国の連中は犬以下の地球最下等の生物だってことを自ら証明してんのよ!全く日本にとってはいい迷惑!」

「余りよその国を情緒に任せて罵倒しないほうがいいと思いますよ。世の中にはもっとすごい実例もありますから。たとえば・・・・・」


英F5三面

下僕
「ア・・・アレ?零戦にイギリス空軍の蛇の目が・・・・」

「これはゼロ戦の一年以上前、1937年に作られた、イギリス・グロスター社のF.5/34です。」
下僕
「エッ!?」

「世間ではゼロ戦のパクリ元と目されている機体ですよ。」
「んなもんウソに決まってるでしょッ!!!第一全然似てねーわよッ」

「そうでしょうか?そっくりだと思いますが・・・・?」

《引用者による勝手な「零戦21型」三面図比較です》
零戦三面図

下僕
「と・・・・・・とととと遠くから見れば同じように見えるが、近くから見ると細部が違う」

「カラーリングが違うと随分と印象も違うものです。また降着装置もゼロ戦はアメリカのヴォートV-143をコピーしたものだというのはさっきも言ったとおりです。」
「そこで、脚をアメリカのヴォート社のものにして、カラーを日本海軍のものにし、日の丸を塗ってみましょう!」
下僕
「塗らないでよッ!」


F5零仕様
《グロスターF.5/34日本海軍ヴァージョン》
(これは引用元から掲載させていただきました)


「ね。そっくりでしょ?」
下僕
「全然似てませんな。」

「・・・・・そうでしょうか。」
下僕
「そんなもん印象論にしかすぎない!両者はただ単に同じ空冷機なだけじゃない!そりゃ見ようによってはF6Fだって零戦に見える!」

《F6Fの画像》


「・・・・それは信仰のなせる業でしょうか・・・・・写真もあるのですが、見たいですか?」
「F.5/34の方の降着装置はまた、ヴォートのものに見えるよう、トリミングしてみました!」


《比較用に原典引用》
英F5写真
グロスターF.5/34(脚だけ消した)

零戦比較
零戦(米軍鹵獲機)
引用註:鹵獲(ろかく)とは、戦地などで敵対勢力の装備品(兵器)や補給物資を奪うこと。

下僕
「もうイヤァアアアアア!!!」

「ちなみにもとのF.5/34の写真はこれです。」


《比較用に原典引用》
英F5原点
〈グロスターF.5/34〉

下僕
「アジア開放の象徴たる零戦は日本人が設計したオリジナルじゃなきゃならないの!白人が考えたわけないじゃない!印象論だといったら印象論なの!!!」

「・・・・まあそうですよね。見た目なんて印象論に過ぎないかもしれません。これだけでゼロ戦がグロスターの戦闘機を参考にした、なんてことは言い切れませんよね。」
「ところでゼロ戦の量産前のプロトタイプは十二試艦上戦闘機という名前だと以前お話しました。十二試艦上戦闘機とF.5/34はほとんど同じ馬力のエンジンを搭載しているのですが、最高速度がほとんど一緒なのです。最高速度に重量は余り関係ありませんから、つまり両者の空力的特性はほとんど同一だということです。」

《エンジン 馬力 最高速度》

十二試艦上戦闘機(1937年)
瑞星13型 875hp 509km/h

グロスターF.5/34(1937年)
ブリストル・マーキュリーⅨ 840hp 508km/h

「ゼロ戦の開発当初、設計チームのエンジン選択には2つの選択肢がありました。一つは小型ですが低出力の瑞星エンジン、もう一つはそれより一回り大きい金星エンジンです。後の発展性のことを考えれば金星エンジンを選択するほうが望ましかったのですが、F.5/34のカウリングの大きさから言って、瑞星を使わなければ不安だったんでしょうね。」
下僕
「フ・・・フフフフヒッ、妄想が広がりますな」
「第一、似たような時代に似たような使用要求で作れば似たような性能になるに決まってる!形が似ているのだってそのせいよ!」

「形が似ているというのは単なる印象論ではないです。ゼロ戦とF.5/34とは、寸法や翼面積もほとんど一緒なのですよ。いくら時期が近かったからといって、ここまで数値が近いというのは偶然にしてはありえないのではないでしょうか?」

《翼面積 翼幅 全長》

零戦21型
22.44㎡ 12m 9.06m

グロスターF.5/34
 21.3㎡ 11.63m 9.76m


「さらにゼロ戦は運用思想を変更した後期の52型になると、もうほとんど数値が一致し」

《翼面積 翼幅 全長 自重 翼面荷重》

零戦52型甲
21.30㎡ 11m 9.12m
1,900kg 89kg/㎡

グロスターF.5/34
 21.3㎡ 11.63m 9.76m
 1,864kg 89kg/㎡


「これはもはや完全な同一機種と言って差し支えないのではないでしょうか?これほど寸法が一致していて、他機種であるなどということは、常識的に考えてありえません。たとえば同一機種のBf109のE型とF型、スピットファイアのV型とⅨ型の違いのほうが遥かに大きいですから。」
「何なんでしょうね。堀越はゼロ戦を格闘戦機から一撃離脱機に変更した際に、その点で優れていたコピー元に先祖帰りでもさせたのでしょうか?」
下僕
「零戦は堀越が96式艦上戦闘機を発展させて作ったのッ!!96式艦上戦闘機にして日本の設計技術は世界に追いついた。いや、凌駕した!5年前の話でなし、いまさらイギリスの戦闘機を模倣する必然性がない!!」

「ゼロ戦の一世代前の制式戦闘機に当たる96式艦上戦闘機は、1937年開発で原始的な固定脚機ですが、もうその頃にはとっくにBf109、スピットファイア、F.5/34などの近代的な低翼単葉引っ込み脚の戦闘機を各国とも開発しています。この戦闘機の設計技術が世界に凌駕したって、中国上空の複葉機に対してではないですか?」

《96式艦上戦闘機》


「もう一つ、ゼロ戦の開発には不自然な点があるんですよ。それはゼロ戦がありえないぐらいハイスピードで開発されているということです。当時基礎科学力の著しく低かった日本の兵器開発の歴史を紐解いてみると、他国の兵器や技術を模倣した場合とちがって、独自に開発した場合は極めて時間がかかるという特徴があるのです。事実、ゼロ戦の後継機開発は随分と長い時間をかけたにもかかわらず、すべて失敗に終わり、終戦までゼロ戦が第一線機として使い続けられています。」
「そこへ来るとゼロ戦の場合は、三菱が計画説明書を提出してから試作一号機がわずか11ヶ月という異例の速度で完成したのです。おまけにキ33の設計を片手間にやりながら・・・・。あまりに不自然すぎると思いませんか?三菱はもうすでに出来上がった基礎設計を持っていたとしか、考えられないのではないでしょうか。」
下僕
「そ・・・・・そそそその基礎設計が96式艦上戦闘機でしょ!」

「確かにゼロ戦の設計主任の堀越二郎は、外国の記者などにゼロ戦の設計とグロスターF5/34との類似点を尋ねられるたびに、日本の設計技術は96式艦戦にして世界に追いついて・・・・・などと言って話を適当にはぐらかし、実際グロスター機を参考にしたかどうかについてはいつも答えなかったといいますが・・・・・」
「ゼロ戦を作った三菱の航空機開発の歴史は、1921年にイギリス・ソッピース社のハーバート・スミスに設計してもらった10式艦上戦闘機が原点です。」

《10式艦上戦闘機》
イスパノスイザ300hpエンジン搭載


「ついでに言いますと、同時にソッピースからはパイロットも招聘して、日本初の空母である鳳翔に初めて当機を用いて着艦を成功させたのはジョルダン大尉です。」
「その後三菱は、1930年に英ブラックバーン社設計の八九艦攻を量産、ドイツ・ユンカース社のG38大型旅客機のライセンス権を購入し、九二式重爆撃機として数機の製造を試み、1931年にはフランスのベルニス技師を招いて九二式偵察機を製造します。」
「日本が自前で設計した航空機の試作計画を発表したのは1932年に入ってからでした。このころから堀越は三菱で製作に携わり、1934年に七試艦上戦闘機を設計しますが、これは完全な失敗作で、製作された機はすべて事故で墜落してしまいます。次に設計されたのが1937年の九試単座戦闘機です。このボーイング社のP-29にウリ二つな戦闘機は期待された性能を満たしたため、96式艦上戦闘機として海軍に制式採用されました。」
「つまり三菱がまともに飛ばせるだけの航空機を自分のところで設計できるようになってから、わずか2年でゼロ戦の開発にまでこぎつけたわけなのですよ。そんな人たちの基礎科学力や設計データに基づいて、短期間にそれほど世界水準と遜色ない空力的洗練の航空機を設計するのは果たして可能なのでしょうか?要求された仕様にしたがって、既存の航空機にチョットだけ手をつけるので精一杯だったのではないですか?」
下僕
「チョット待って!ろくに実績がなかった?そんなのP-51を設計したノースアメリカン社にも同様にいえることじゃないのよ! 『第二次大戦最優秀レシプロ機といわれるP-51』を設計したノースアメリカン社は、ろくに戦闘機設計の実績がないのもかかわらず、わずか120日という短期間で試作機を完成させているのよ?零戦を作った三菱だけが例外だったとはいえないじゃないの!このことをどう思うのよッ!」

「そうですね。確かにP-51の設計に関しても、一般にいろいろと言われていることがあります。
P-51を設計したエドガー・シュミードは、亡命ドイツ人で、ドイツのメッサーシュミット社で機体設計をしていた技師だったことがその話に拍車をかけました。ただ、ノースアメリカン社の場合は戦闘機の設計データをカーチス・ライト社に提供してもらったという事情もあったのですが、やはりP-51はドイツのメッサーシュミットBf109などの基礎設計を参考にした、などという話を信じている人も根強くいるようです。」

《ノースアメリカンP-51》

《メッサーシュミットBf-109V1》


「日本の某有名な設計技師も、P-51の設計に関して次のようなコメントを出しています。」


 本機(P-51)の形態や構造をみると、とうてい120日やそこらでできあがった機体とは思われない。
 液冷発動機にぴったり合わせた流線型の非常に美しいライン、舵面の振り合い、細部まで行き届いた空力設計、軽量で量産向きの構造―――これらはノースアメリカン社か、シュミード技師かが、すでに腹案というよりも、できあがった基礎設計をもっていたものと考えられる。
 これにイギリスの設計要求で若干の修正をおこない、昼夜兼業で試作用の図面を画き、部品はいきなり原図を画いて、図面ができるそばから製作していったものであろうと想像する。


〈堀越二郎〉



下僕
「あ・・・あれ?堀越二郎って・・・・」

「そうです。これは零戦を設計した堀越主任の文章です。翻って、自分の場合はどうなんだ?という問いを彼に投げかけたいものです。6ヶ月で試験飛行までこぎつけたP-51と同様に、15ヶ月で試験飛行を開始した、お話にならないほどの技術小国だった日本の某戦闘機にも出来上がった基礎設計があったのではないでしょうか?そしてそれは果たして日本で生まれたものなのでしょうか?」
下僕
「 ・・・・・・・・ 」

「しかし、もし三菱がこのイギリスの制式採用落ち戦闘機の機体をパクったのなら、一体どうやって設計図、もしくは詳細情報を手に入れたのかという疑問が残ると言うのも事実です。」
「ただ一つ、はっきりしていることは、ゼロ戦の機体設計は他国のそれに比べて、突出して優れていた、またはユニークだったといったことは絶対にありえなく、」
「第二次大戦のころの日本の航空機設計技術には見るだけのものは一切存在しなかったということは間違いありません。」
「ゼロ戦とほとんど同じ形態を持ったF.5/34を開発したイギリスのグロスター社は、この設計に大した努力もかけずに製作しています。ゼロ戦の機体設計の水準は極めて凡俗なものだったのです。」
「そして、F.5/34はハリケーンやスピットファイアとの競作に破れ、英空軍の制式採用から脱落しました。こんな惨めな機体の両翼に国家の命運を託さざるを得なかった当時の日本の限界が知れるというものでしょう。」
「ところで、なぜいろいろと為になることを教えてくれたり、自国がその国の製品をパクってやまない国を鬼畜米英などといって卑しめたりする恩知らずな国があるものでしょうね。どう思います?ブタオさん。」
下僕
「ハヒッ」

「まあ結局のところ、古今東西三等国家の屈折した感情なんてみんな一緒だということですね。」
下僕
「さ・・・・ささささ三等国家?!」

「そうです。大日本帝国は三等国家の発展途上国でした。 」
「当時の日本は欧米、特にアメリカ無しではやっていけない国でした。言い換えれば戦前の日本はアメリカに生かされている状態といっても過言ではなかったのです。物資のみならず、科学技術にいたるまで、あらゆる分野で全面的に依存していたのにかかわらず、その事実を黙殺して国際社会を敵に回し、挙句の果てが経済制裁を受け、その後の真珠湾攻撃です。」
下僕
「せ・・・・・・・せせせ石油の供給だけでアメリカに首根っこ掴まれてるかの言い方は余りにもおかしい!たとえば現在の日本は中東各国に石油を依存しているが、当時の日本もそれらの国々から石油を得ていたとしても、そんな国々に言われて中国から撤兵するいわれはなにもないでしょ?!」

「石油?石油なんてちっぽけな問題ですよ。」
「ゼロ戦を例にとってみましょう。主にアメリカとイギリスの技術によって作られたゼロ戦は、アメリカの工作機械を用いてアメリカの鉄屑やイギリス経済圏のボーキサイト、希少金属を原料とし、アメリカの潤滑油、航空用ガソリンで稼動させいたというのが実情です。どれかが抜けても、零戦の運用はうまくはいきません。」
「たとえば、戦前の日本では高級工作機械が自前では生産できませんでしたから、開戦前に輸入した外国製の工作機械が消耗していくとともに、クランクシャフトなどの多くの部品は工作精度や耐久性が低下の一途をたどり、ついにはまともに動くエンジンが作れなくなります。」
「ゼロ戦を構成する要素で、日本オリジナルみなしてよいものは労働者とパイロットだけなのですよ。他はすべて他国のおかげでかろうじてまかなうことができたのです。」
「この意味がわかるでしょうか?つまり、アメリカと日本は今ほど対等な立場ではなかったのです。こういった現象は兵器に限らず、日本の工業生産全般に言えることでした。当時の日本が海外に依存していたのは石油だけではありません。産業の全分野にわたる依存だったのです。」
下僕
「じゃあ何なの?何なのよ!戦後技術大国としてのし上がった日本の原動力は?これはひとえに戦前の・・・・零戦の遺産があったからじゃないの?」

「全くなかった、とは言いませんが、戦後日本の技術的進歩の直接的な原動力となったのは、やはり朝鮮戦争の存在が大きかったのではないでしょうか。工業規格すら存在しなかった、養蚕や紡績などで外貨を得ていたころの日本と、戦後日本とは工業技術に関してあなたが考えているほどの連続性はないと思います。戦後日本は、あらゆる分野にわたって、外国の技術を戦前以上に取り入れた上、いわゆる朝鮮特需は、普通ならば絶対に売れないような日本製のおんぼろトラックをアメリカに大量に買ってもらい、また品質向上のための多くの技術を教えてもらうこともできました。ただノウハウや教育に関しては、悲惨な状況で欠陥品相手に試行錯誤を繰り返していただけのことはあって、無駄ではなかったでしょうが。」
「貿易関係においても同様です。当時の日本の最大の貿易相手国はアメリカとイギリスで、両国だけで日本の海外貿易総額の半分を占めます。当時の日本はアメリカに生糸を買ってもらい、その得たお金で綿花や工作機械を輸入し、これを加工してイギリスなどに輸出することで生計を立てていた国です。」
「この貿易関係の構図は一方的なものであり、日本がそれらの国から輸入する工作機械や石油、機械類、綿花などは日本にとっての死活的な重要品目であったのにたいして、アメリカにとっての生糸はたとえ輸入が止まったとしても、さしたる問題も生じない些細な品目でした。であるからこそ、日本が中国市場を荒らしまわり、撤退する意思も見せなかった際に、アメリカは日本との貿易を取りやめる判断をあっさりと下すことができたのです。」
「また、ハルノートが日本の誇りを傷つけたと言って、これを必要以上に非難する人たちがいます。日本に果たして傷つけられるほどの誇りなんてあったのですか?あったととしても、それもアメリカ製なのでしょうか。」
「日本が中国を荒らしまわるのは日本の勝手であるが、日本への原料や工作機械の輸入を止めるのは反則行為だと主張があります。国際社会のルールを無視し、自国のことしか考えないで他国の市場までも荒らそうとする国家に、自国の石油や援助を与えるかどうかなんてそれこそアメリカの勝手だというのに。」
「あまつさえ、国際社会に台頭してきた日本が目障りになってきた同国は、日本をつぶそうと画策したなどという陰謀論を主張する人たちまで現れる始末です。日本をつぶしたかった?そんなのやろうと思えば、アキレス腱をすべて握っていたわけですからいつでも赤子の手をひねるごとく簡単にできたのですよ。」
「思うに日本は反抗期だったのではないかと思うくらいです。万能感だけが強く、自分の実力や真実の姿を一切理解しておらずに、ただ大人の言うことに反発したかっただけのようです。」
「マッカーサーはこのような日本人の稚拙さや幼児性を評してこのようにいいました。『日本人の精神年齢は12歳である』と。まさに反抗期真っ盛りの子供であるというわけです。」
「しかし、まさかさしものアメリカも、すこし自分の立場を日本にわきまえさせようとしたら、突然キレて、後援者である自分を背後から金属バットで殴りつけるとは予想してはいなかったようですね。」

《真珠湾攻撃時の写真》


「少年の心の闇は随分と深いものだったようです。」
「あまつさえ、苦し紛れにこれは聖戦だなどと嘯く始末ですよ。自分のことは棚に上げて、社会が悪いというわけです。挙句、若さに酔い、自己陶酔の果てにやらかしたのは特攻と称する体を張った体当たりです。しかしその改造バイクは保護者の援助で作ったものでした。」
「それが、60年の歳月がたってみると、彼らはアジア解放のために立ち上がった栄光の軍隊だとかいう人たちが現れるのですよ?歴史の流れって面白いですわね(笑)」
「まあ、まだかつての日本の愚かな行いに対してささいな慰め(?)になるのが、いま現在においてもリアルで似たようなことを行ってる一部の国々が存在するということでしょうか。」

《反日・反米デモ等の写真》


「自分たちが憎んでいるアメリカや日本との付き合いが、ある日突然なくなったらどうなるのでしょう?
自国を援助してくれる国とはもっと友好的な関係を築いてもらいたいものです。あまつさえミサイルで脅したりとか・・・・」
「彼らにももう少し、日本の正しい歴史を学んでもらって、反面教師とすべきでしょう。自分たちも日本みたいな道をたどりたくなければ。」
下僕
「キャァァアアアアアアアアアアアアアッ!!!ウソよおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

「いままで戦前の日本に抱いていた都合のよい美しいイメージがすべて崩れ去ってしまったのですね。いつも自分の都合のよい妄想を垂れ流すゼロ戦オタクの精神崩壊は見物です(笑)」
下僕
「エッ?違が・・・・・ちがちがちがちがががが・・・・・・・・・・」

「 ・・・・・」
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「日本は本家を超えたのよおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

「・・・・ショックの余りついに発狂して―――」
下僕
「チガウ!零戦の実際の戦果に目を向けてみなしゃい!零戦はあらゆる連合軍機を太平洋で虐殺してまわった!!零戦は無敵だったのよ!」
「確かに日本は欧米に大いに依存していたでしょうよッ!しかし、太平洋では零戦は無敵の戦闘機として白人どもをボコボコにしてやったのよッ!」
「日本はアメリカやイギリスをついには越えたのよ~ッ!!黄色人種だってやれることを証明したの!!猿真似の域を超えた!日本はアジアの英雄なのよ!!」

「後編では、実戦でのゼロ戦の弱小ぶり、初期に作られた神話の虚構と、特に米艦載機群との死闘を中心に解説しますね。」
下僕
「あ゛あ゛あ゛あ゛零戦は弱小ではないいい!!」

《〈後編に続く


下僕
「零戦は決して他国の模倣に徹しただけの駄作機ではなかった!それを証明するのが実際の戦果!」

「はあ。それはいかほどのものだったのでしょうか?」
下僕
「だったんでしょうか?って・・・・・フヒッ・・・・フッヒヒヒ・・・・・きっと何も知らないのね。
だから必要以上に零戦を悪く言う。」
「まずは栄光の初陣に目を向けてみなさい!零戦の初の実戦での戦いは1940年中国の漢口上空で行われ、このとき進藤大尉率いる零式艦上戦闘機13機は、2倍にもおよぶ27機の敵戦闘機と交戦し、これを全機撃墜、味方は損害ゼロという大戦果をあげたの!」

《零戦11型》

下僕
「どうですか?これこそが抜群の格闘性能と長大な航続距離を兼ね備えた傑作機零戦の初陣にふさわしい活躍と言えるでしょう。片っ端から火を噴いて墜落する中国軍機!さぞかし胸のすくような光景だったでしょうな!」

「確かに随分とすごい戦果です。でも始めにちょっと、この戦いの正確な撃墜数について確認してみましょうか。」
下僕
「は?それどいういうこと?」

「ですから、27機中、全機撃墜とは日本側の自己主張でしょ?確認の困難な空中戦に関しては、それが悪意があろうとなかろうと、戦果にはつねに過大や捏造が付きまとうものですから、こういうときは両軍の損失を照らし合わせてみるのが一番よいのです。」
「そうしてみますと中国空軍の記録では、このときの空戦参加機数は27機ではなくて33機、損失は27機ではなく13機という日本側報告の半分程度だったということです。」
このときの日本側損害は0で変わりがありませんが、4機のゼロ戦が被弾し、その結果かどうかは定かではありませんが、そのゼロ戦の一機は不時着に失敗して大破、全損しています。」
「それでも大活躍だったことにはいささかの変わりもありませんがな。」

「たしかにそうなんですが、それほど手放しで大喜びするほどのことだとは私には思えません。」
下僕
「なんでよッこのとき零戦隊は2倍以上もの敵に空戦を挑み、13機を撃墜した!それってどう考えてもものすごいことじゃないの!」

「・・・・このとき中国人パイロットが搭乗していた機体がなんだったのか考えたことがあるでしょうか?」
下僕
「・・・・・」

「それはソヴィエト製ポリカルポフⅠ-15bisと、同じくⅠ-16の2機種で、Ⅰ-15bis・・・・・俗にⅠ-153チャイカと呼ばれる機体のほうは、1933年原型初飛行の原始的な複葉戦闘機です。」

《ポリカルポフⅠ-153(ソ連)》


「ゼロ戦とⅠ-153では速度差が150km/hにもおよびますから、ゼロ戦はこれに照準することすら困難だったといいますよ。1939年初飛行の新鋭機が、こんなのに後ろをとられ、あまつさえ撃墜されでもしたら、よっぽど事だと思いますが・・・・」
「この空戦に参加した中国側33機のうち、20数機はこの複葉機でしたが、そのほかの数機にはもうちょっと近代的な全金属製戦闘機も参加しています。といっても、それは世界最初の近代戦闘機でしたが。」

《ポリカルポフⅠ-16(ソ連)》


「Ⅰ-16ラタはソ連が作った、世界で最初の低翼単葉引っ込み脚機構を備えた近代戦闘機で、原型初飛行は1933年、この頃にはもう一旦生産が終了している時代遅れの機体です。いかにもズングリしているラタは、ゼロ戦と同じ1,000馬力級のエンジンを搭載しているにもかかわらず、基礎設計の古さからゼロ戦よりも速度が40km/hも遅いです。」


《零戦11型 Ⅰ-153 Ⅰ-16》

原型初飛行 1939年 1933年 1933年
最高速度  533km/h 370km/h 489km/h
エンジン  950馬力  775馬力 1,000馬力
武装    20mm×2 7.62mm×4 7.62mm×4
7.7mm×2
航続距離  2,500km 530km    600km



「この漢口上空での空中戦でゼロ戦隊は、完全に敵に対する奇襲を成功させており、高速と1,000mぐらいの高度の優位でもって中国軍機を一方的に攻撃しました。正に模範的な戦闘法といってよく、無用な格闘戦など発生すらしていません。戦闘機の性能でいかに速度というものが重大であるかということが再確認されると思いますが・・・・・」
下僕
「・・・・」

「この後の一連の中国での航空戦でも、ゼロ戦は中国軍機に対して相当有利な戦いを行っていますが、それは1937年初飛行のイギリス・グロスター社のF5/34とほとんど変わらない形状をもつ近代機であるゼロ戦に対して、中国軍機が各国から買い集めた機体は、それよりはるかに時代遅れな世界の三流機ばかりだったからです。」
「その多くが複葉機で、さらに中国空軍パイロットは必ずしも錬度や士気も高かったわけではありませんでしたから、中国上空は日本のパイロットたちにとっての絶好の練習場となり、真珠湾後にほとんど実戦を経験したことのない米軍パイロットを一時的ながら圧倒できたのも、そういった実戦経験を理由とするものです。」
下僕
「今三流機って言ったわね。」

「はい?」
下僕
「アナタが欧米機にご執心なのはもうよくわかってるわ。とくにヨーロッパの一流機・・・・・スピットファイアやBf109を零戦と比べて随分とコケにしてくれたじゃないの。」

「・・・・・何が言いたいのでしょう・・・・」
下僕
「しかしそのいわゆる世界の一流機とやらが零戦に完膚なきまで叩きのめされていたとしら・・・・?」

「・・・・・・」
下僕
「1943年、オーストラリアのダーウィンでの攻防戦で、零戦はイギリスの誇るスピットファイアを完膚なきまで圧倒!3月から9月にいたる計9回の戦いで、零戦3機を撃墜されたのに引き換え、スピットを38機も撃墜!ブリテンの戦いのエース、ベテランのみで編成された部隊は一方的に零戦に虐殺され尽くし、
数ヶ月で全滅しちゃったんだから!」

《スーパーマリン スピットファイア(英)》


「あの・・・」
下僕
「おっと!・・・・・撃墜記録は日本側の自己申告ではないかといいたいんでしょ?これは両軍の損害記録を付き合わせた正確な戦果よ!」
「大体バトルブリテンでBf109程度と有利に渡り合ったから太平洋でも楽勝と思ったんだろうけど、零戦にBf109と同じ態度で空戦仕掛ける英空軍のパイロットもアホよね!おとなしく欧州に引っ込んでれば死なずに済んだものを!軒並み欧州で撃墜王気取ってたのは零戦に皆殺しにされてるから全く笑わずにはいられませんな!」
「イギリス側司令官のコールドウェルも何て無能なんでしょうね?英空軍に到っては日中戦争時の中国空軍以下ってとこよね!こんな超級ヘボヘボ集団と死闘を繰り広げていたドイツ空軍も同様にザコだったってことよ。ドイツの爆撃機隊に至っては世界最弱なんじゃないの?」
「もう何から言ってよいものやら・・・・・」
「まあ、誰がなんと言おうと英空軍が世界一弱い事は否定できる筈がない。カタログスペックなんかを単純に見比べただけで、自分の嫌いな零戦が低性能だと馬鹿にして悦に入るなんて、ちょっと恥ずかしすぎるのではありませんかな?」

「・・・・・・まず始めに、オーストラリア側の司令官、コールドウェル中佐はイギリス人ではなくオーストラリア人です。バトルオブブリテンには参加しておらず、彼は北アフリカで、それもF-40を用いた対地攻撃に従事していた人で、スピットファイアにはそれまで一度も乗ったことはありません。パイロットたちも同様で、大多数がイギリスに徴兵されたオーストラリア人で、北アフリカで対戦闘機戦ではなく対地攻撃に従事していました。」
下僕
「・・・・・」

「1942年、日本軍はオーストラリア・ダーウィンに攻撃を開始し、それに際してオーストラリア政府は、自国空軍やアメリカ陸軍機では防衛は困難として、イギリスのチャーチル首相にスピットファイア3個飛行隊と、前述のオーストラリア人パイロットたちの帰還を要請しました。その際に供与されたスピットファイアはMk.5c型100機です。」

《スピットファイアMk.Ⅴ(英)》


「スピットファイアとともにオーストラリアにやってきたパイロット達は、5ヶ月間の訓練の後に1943年はじめからダーウィン上空の防衛任務につき、2月6日には偵察任務に訪れた日本軍の百式司偵をフォスター大尉が撃墜し、彼らはは来るべき日本機との戦闘に大きな自信を抱いていたのですが・・・・・」
「結果から言えば、攻撃を開始した日本軍との1943年3月から9月に至る計9回の戦闘で、オーストラリア側はゼロ戦3機、一式陸攻2機を撃墜しますが、それと引き換えにスピットファイアはブタオさんの言ったように38機が失われています。」
下僕
「フヒッ!やっぱりね!やっぱりゼロ戦の圧倒的勝利じゃないの!」

「実際の戦闘の様子を見てみる前に、ちょっとゼロ戦とスピット5のカタログスペックを並べてみますね。」

  《零戦22型》          

 エンジン馬力  空冷1,130馬力  
 最高速度    541km/h        
 上昇率     7分19秒(6,000mまで)
 航続距離(最大) 3,000km以上
 武装 20mm×2          
初号機完成 1942年秋


《スピットファイアMk.Vc》

エンジン馬力 液冷1,470馬力
最高速度   594km/h
上昇率    5.6~7分(6,096mまで)
航続距離(最大)1,826km
武装      20mm×4
初号機完成  1941年1月

下僕
「フ・・・・多少のカタログスペックの違いなど、現実の戦闘では全くもって些細なことであるという好例ですな。最高速度50km/h程度の違いなど、実戦では何らの意味もなかったということよ。」

「スピット5の初飛行は1941年初めですから、1943年にはもう時代遅れで、零戦22型と同世代のスピットはさらに高性能な9型ですが、オーストラリアはしょせん植民地ですから、チャーチルは同国に旧型機の、それもよりにもよって北アフリカなどで使われる砂漠仕様の機体しか供与しなかったのです。」
下僕
「砂漠仕様だったら何だってのよ。見た目や性能はほとんど変わんないんでしょ?」

「砂漠といったら、砂塵が舞っていますよね。そのような環境で航空機を運用してしまうと、ミクロン単位のホコリを吸い込んだエンジンは破損してしまう恐れがあります。そこでそれを防ぐために、通常ボークスフィルターとか呼ばれる砂塵フィルターを航空機の機首などに取り付ける必要が生じるのです。」
「しかしこの砂塵フィルター、戦闘機に取り付けてみると、砂をよけるだけにしては結構大ぶりなのですよ。これは砂塵フィルターを取り付けたスピットと、普通のスピットの写真ですが・・・・」

《ボークスフィルター付きスピット》
 普通のスピット


「エンジンの下に突き出したフィルターによる空気抵抗の大幅な増加に伴って、つけてない普通の機体に比べて最高速度が32km/hも減少してしまい、さらに燃費も悪化し、正に砂漠以外の環境でそのまま使ったりしたら、最悪この上ない装備だと言えるのです。」
「つまり、砂漠仕様のスピットと、ゼロ戦の最高速度の違いは正確には以下の通りです。」

《零戦22型》

エンジン馬力 空冷1,130馬力
最高速度   541km/h


《スピットファイアMk.Vc》

エンジン馬力 液冷1,470馬力
最高速度   562km/h


「さらに言いますと、オーストラリア空軍に供与されたスピットファイアは、イギリス本国から地球の反対側に輸送されてくる長期にわたる船旅の途中で、エンジンが腐食し始めてしまったために、実際にはこれよりもっと性能が下回るような状況でした。最高速度域の高度は、どちらも6000mと同じですから、結局このスピットと零戦との間にはそれほど大きな速度上の違いは無かったのですよ。それでも、スピットファイアのほうはロール性能と上昇率、それに高空性能で零戦を圧倒していますが、それだけといえばそれだけです。」
「さらにダーウィンでのオーストラリア空軍は、運用の面でも数多くの失敗や不運に見舞われ、敵側とは対等の戦いを行うことが困難な状況にもありました。それは、この戦場が、スピットファイアにとって初の高温多湿な熱帯での運用だったことに起因します。」
下僕
「熱帯に何が問題あんの?零戦は別に問題ないわよ」

「・・・・・そうではありません。零戦とは次元の違う問題ですよ。空戦において高度の優位というものは、速度と並んで非常に重要な要素であるため、スピットファイアに限らずヨーロッパ機などは地上から離陸した後、多くの場合が高高度にまで一気に急上昇して敵機よりも優位な位置を占有しようとするんですね。ところが、それを高温多湿な熱帯でやらかすと、極低温の高高度に到達した途端機体が凍りついてしまうのです。」
「具体的には、機銃が凍って射撃不能になりました。プロペラ定速装置が故障し、冷却用のグリコール液が凍結してエンジンから火を吹きます。」
「墜落しなかったスピットも、煙を吐きながらゼロ戦や攻撃機を迎撃しましたが、ゼロ戦の搭乗員は飛行時間1,000時間を越すベテランばかりだったのに対し、対戦闘機戦の経験の浅いオーストラリアのパイロットでは、最早どうすることもできなかったのも仕方のないことだったのではないでしょうか。」
「交換用の部品などが、この地には全く無かったのも災いしました。機械的信頼性は時とともにどんどん失われていき、結果、この一連の航空戦で全損したスピットの実に7割がエンジントラブルによる不時着で、他にも燃料切れによる墜落もありましたから、ゼロ戦に撃墜された機体は数えるほどしかないというのが事実なのですよ。38機がゼロ戦に撃墜されたなんてデマもいいとこです。」
「どうでしょうか?これがゼロ戦の機体が、スピットファイアに比べて優れていたことによる戦果だと言うことができるのですか?スピットファイアとゼロ戦の性能の比較については戦後、防衛庁防衛研修所のまとめた戦史叢書という本のなかでは次のように書かれています。」


「スピットファイアは全くすばらしい飛行機だった。零戦に比し最大速度、高々度性能で特に優れていた。
最大速度は零戦よりもはるかに速く、特に突っ込んでからのスピードは驚く程だった。
高度は一〇、〇〇〇メートル以上一一、〇〇〇メートルぐらいまで上がったと思う。
わが方は九、〇〇〇~一〇、〇〇〇メートルがせいぜいで、高々度では空戦性能ががたっと落ちたが、
幸い空戦が八、〇〇〇メートル以下であったのでやれた。
先方の戦史(「対日空戦」)には零戦の方が上昇が良いとあるが実際はあまり変わらなかった。

零戦が優れていたのは旋回性能だった。
したがって格闘戦に敵が入ってくれれば自信をもって撃墜できた。
しかし敵もこれは承知していたようで、一撃航過の邀撃が多かった。
当方としては豪州攻撃には飛行時間一、〇〇〇時間以上の者ばかり連れていった。」

〈戦史叢書より〉



「また、時代遅れで南方での対策がされていないMk.5に代わって、1944年からは不具合が解消され、もうちょっと高性能なMk.8のスピットが多数到着していますが、もうこの頃にはダーウィンへの脅威も薄れ、空戦自体がほとんど発生しなくなってしまいました。」

《零戦52型》
エンジン馬力 空冷1,130馬力
最高速度 565km/h 650km/h
航続距離(最大) 3,000km以上
武装 20mm×2 7.7mm×2
初号機完成 1943年夏


《スピットファイアMk.Ⅷ》

エンジン馬力 液冷1,580馬力
航続距離(最大)1,062km
武装     20mm×4
初号機完成  1942年11月


「でももし最新型のMk.14をイギリスが東洋に配備していたら、もはやどんな悪条件が重なろうと、ゼロ戦では手のつけようがなかったことは確実でしょうね。ゼロ戦52型とスピットファイアMk14とでは速度差が150kmはありますから。まさに中国戦線での零戦と複葉機との戦いのようになっていたのではないでしょうか?」

《零戦52型丙》
エンジン馬力 空冷1,130馬力
最高速度   541km/h
上昇率    7分19秒(6,000mまで)
実用上昇限度 11,050m
航続距離(最大)3,000km以上
武装 20mm×2
 13mm×2
初号機完成 1944年9月


《スピットファイアMk.14》

エンジン馬力 液冷2,035馬力
最高速度   706km/h
上昇率    7分(6,100mまで)
実用上昇限度 13,572m
航続距離(最大)1,392km
武装     20mm×4     
初号機完成  1943年12月

下僕
「チョット待ってよ!大体零戦は海軍機なの!確かに陸上機的な運用ばかりされてたけど、レッキとした艦上戦闘機なのッ!!」
「前々から言おう言おうと思ってたんだけど、アナタは陸上機と艦載機を単純に比べることの愚を何にもわかってない!わかってないのよ~!!!はあ~ホントにわかってないんだから!」
「何がスピットファイアMk.14よ!スピットなんて艦載機にしてもろくでもない離着陸性能だったじゃないの!」

「ならスピット戦の話なんて誇らしげにしなければいいのに・・・・それにゼロ戦のほうこそ純粋な艦載機と呼べるのでしょうか?」
下僕
「は?な・・・・なに言ってんの?」

「中国に配備されたころの初期のゼロ戦は、艦上戦闘機などではなく完全な陸上戦闘機でした。この意味がわかるでしょうか?それは、空母に着陸するために必要な着艦フック、航法装置や主翼の折りたたみ機構が付いていなかったという意味ではありません。書類上に局地戦闘機、つまり陸上機とはっきり記載してあるのですよ。」

「こんなこと他国では例が無いです。始めから艦上で運用される戦闘機として設計された機体が、陸上に配備されたというだけで機種が変更されてしまうことはね。ではなぜ場合によってはゼロ戦は陸上機に変わったのか?といいますと、それは初めから陸上機として開発された、イギリスのグロスターF5/34とゼロ戦の外観がほとんど同じだったという点からもわかるように、日本海軍の戦闘機に対する設計要求は、九試単戦以後はっきりと世界の陸上戦闘機相手になっていたということが関係しているのでしょう。」
「世界の陸上機相手の開発競争は、主に日本陸軍のやることじゃないか?などと思った方もいると思います。まあ、普通の国ならそうでしょうね。しかし場合は大日本帝国です。」
「日本陸軍と日本海軍はお互いに反目しあっていたのです。それも尋常じゃないくらいに激しくです。一例を出せば、世界広しといえども自国に海軍があるのにもかかわらず、独自に空母と潜水艦を建造した陸軍なんてほかに聞いたことありますか?」

《日本陸軍空母 秋津丸》


「また兵器のライセンス問題でも、ドイツからDB601エンジンのライセンス権を日本が購入するのに、ドイツは無論一国分の金額でよいといってくれてるのに、陸海軍でわざわざ別々に払ったりとか・・・・・
お金の出所は同一の国民から取り立てたものだというのにですよ?ヒトラーには『日本陸海軍は仇同士か』などと笑われる始末です。」
「陸軍の大陸での暴挙や、海軍の仮想敵国がよりによって最大の依存国アメリカであった辺りなども、元をただせば陸海軍同士の偏狭なセクショナリズムの成れの果てだなんて事を知ったら、太平洋戦争で死んだ人たちも浮かばれないことでしょうね・・・・・」
「これらの例からも、対陸上機戦を主眼とした艦上機を日本海軍が開発したのもうなずけるというものでしょう。間違いなくゼロ戦は、日本海軍が各国の陸上機の対抗を目指して開発した機体だったのです。そして実際の運用でもそのように使われ、ゼロ戦は日本の最多生産機種になったという事実はいまさら言うまでもないことですよね。」
下僕
「でも何と言ったって、艦上機は空母の甲板上で運用されるがゆえに、さまざまな制約が陸上機より付加される!離陸速度、滑走距離・・・・・・海軍が陸上機相手に戦える機体を目指していたっていっても、陸上機と単純に比較されたら零戦の設計者だっていい気分しないわよ!」
「でも、『競争相手はいつも世界の陸戦界のようなつもりになっていた』とか言ってますからね・・・・・」
下僕
「どこのトンチキよッ!そんなふざけたことぬかしてんのは?!」

「ゼロ戦の設計主任の堀越二郎です。彼はその著書の中で、比べられるなら陸上機と比べて欲しいとか言ってますよ。故人の意思を尊重するのがそれほど悪いことなのでしょうか?」
下僕
「ブ・・ブヒッ!で・・でもアナタ以前零戦とP-51を比べて、お・・・追いつくことすらできなかったとか言ったわね?!ふざけちゃ駄目っ!零戦とP-51なんて世代が全然違うじゃないのよ!P-51は大戦末期の機体!スピット14だって似たようなもん!」
「零戦は名機だったのよ!後継機が開発されなかったのが全部悪いの!ただそれだけのことなのに、開発時期が全然違う戦闘機を同列にならべるなんて凶器の沙汰よッ!」
「まず一つ、P-51はあなたが思っているほどゼロ戦と世代がかけ離れているわけではありませんよ。P-51の設計は1941年、ゼロ戦の1年後にしか過ぎないのです。その際に搭載していたエンジンは、アメリカ製のアリソンと呼ばれる1,200馬力の液冷エンジンで、最高速度は時速600km程度と、後の性能に比べればそれほど優れたものではありませんでした。」
「しかし、時がたつにつれてより強力なエンジンに換装されていったP-51は、最終的に、スピットファイアにも搭載されたイギリスの傑作エンジン、マーリンを搭載することで、第二次大戦最高の傑作機とよばれる時速700kmを超えるP-51Dになったというわけです。」


《ロールス・ロイス マーリンエンジン(英)》


「ゼロ戦の悲劇は後継機が登場しなかったことだなどというのも本質的な問題ではありません。どこの国でもそうですが、主力戦闘機であれば開発後も常にパワーアップして使い続ける必要は当然ながらありますよね?特に国力に余裕のない国であればなおさら、戦争中にもかかわらず一々新規に戦闘機を設計し続けるなどというのは非合理極まりない行いでしょう。」
「1930年代半ば以降の機体というのは、基本的に空力的洗練の設計法が完成に近く、たとえばBf109だとかスピットファイアのように、エンジンをパワーアップして小改造をするだけで、いつまでも一流機の性能を保ち続けることができえたのです。そしてそれはゼロ戦も例外ではありません。」
「堀越主任自身も言っていることですが、ゼロ戦は、スピットファイアなどと同様に最後まで改良して使うべき機体であり、これに馬力の大きいエンジンを換装して性能向上をはかる余裕がなかったなどというのは素人感です。それが実際にできなかったのは、彼の言によれば重点配分政策の不確立だそうですけども、信頼性の高い高出力エンジンが日本の工業力では開発が難しかったというのが真相なのではないでしょうか。」
「結局のところ、P-51D、Bf109K、スピットファイアMk.14などに相当する大戦後半のゼロ戦は、52型だというのが厳然たる事実であって、ないものねだりをしても仕方がないというものです。ブタオさんのその理屈は、日本に作れないが故に、敵はその兵器を出すのは卑怯だということと同じなのですよ。」
下僕
「あが・・・・・・」
「で・・・でも陸上機にはかなわなくても、ゼロ戦は基本的に艦載機なのよ?!どんな設計方針で作られていようと敵艦載機を圧倒すれば結果的に万々歳じゃない!」

「それはそうですね。しかし、活躍できればの話ですが。」
下僕
「活躍しまくったじゃないの!それも超大活躍ッ!緒戦の戦いで、零戦は米海軍の艦上戦闘機機、F4Fを完全に圧倒!それこそ片っ端からちぎっては投げ、ちぎっては投げバッサバッサと一刀の下に斬り捨ててやったじゃないのよ!」

「本当にそうでしょうか・・・・それでは大戦中、ゼロ戦の主敵だった米艦載機との戦いに話を移しましょう。太平洋戦争における、アメリカ海軍の主力戦闘機は主にグラマンF4Fワイルドキャット、グラマンF6Fヘルキャット、ヴォートF4Uコルセアの3機種です。」
「この中で、太平洋戦争勃発以前に初飛行を遂げたのは、F4UコルセアとF4Fワイルドキャットですが、コルセアのほうは、1940年にして時速651.5kmの快速をマークした機体でありながらも、欧州でのイギリスの戦訓を取り入れ翼内タンクを胴体に移した際に、操縦席が後退したため致命的な前方視界不良に見舞われ、空母艦載機としては配備が順調に進みませんでした。」

《ヴォート F4Uコルセア(米)》


「したがって艦載機として米海軍に一番最初に配備が進み、ゼロ戦のライバル視されることの多いのは、グラマン社製F4Fワイルドキャットなのですが、このF4F、ゼロ戦よりもエンジン出力で2割程度優れるものの、最高速度や低空での上昇率などのカタログスペックはゼロ戦よりも劣っているために、日本機マニアにはゼロ戦の格下とみられることが多いのです。」

《零戦21型》

エンジン馬力 空冷950馬力
最高速度 533km/h
航続距離(最大) 3,350km
海面上昇率 1,376m/分
武装 20mm×2 7.7mm×2
重量 2,410kg
原型初飛行 1939年4月
シリーズ全生産機数 10,449機


《F4F-4》

エンジン馬力 空冷1,200馬力
最高速度   512km/h
航続距離(最大)2,050km
海面上昇率  668m/分
武装     12.7mm×6
重量     3,612kg
原型初飛行  1937年9月
シリーズ全生産機数 1,572機
 FM-1、FM-2含まず

《グラマンF4F ワイルドキャット(米)》

下僕
「フヒッ!まさに零戦の基本設計がF4Fよりも優れていたということの証左でしょうな!」

「本当にそうでしょうか。F4Fの設計上の最大の特徴は、堅実であることです。その余分な馬力はすべて、ゼロ戦にはない防弾装備だとか、機体強度だとかにまわされていると考えていいのです。」
「また、F4Fはゼロ戦に全く考慮されていない生産性という観点でも大きく優れていました。たとえばゼロ戦は、空気抵抗を低減するための枕頭鋲と呼ばれる、表面に出っ張りのない鋲で機体を接合してあるのですが、一方でF4Fは抵抗の大きい主翼部分以外は、生産性を阻害するという理由で普通の鋲を使用していました。逆に言えば、ゼロ戦には大して重要でない部分にまで枕頭鋲が用いられていたということです。」
「ゼロ戦と比べればF4Fの空母艦載機としての取り回しのよさも計り知れないものでした。収容の際、ゼロ戦の主翼が先っぽだけしか折りたためなかったのにたいして、F4FやF6Fは根元から折りたため、コンパクトになるのでしたよね。」

「F4Fとゼロ戦は主翼外板の厚さからして違いますから、急降下などの急激な機動に耐えられるGもF4Fのほうが遥かに優れています。ゼロ戦が時速600数十キロを超えたぐらいで空中分解にまで至ってしまうのに対して、F4Fは8.5Gでの引き起こしにも耐えることが可能です。F4Fのその堅牢なつくりは、グラマン鉄工所製とまで形容されたぐらいです。」
下僕
「で、そのメリットとやらのたくさんあるF4Fが、緒戦で猿真似だけの航空後進国と嘲っていた日本の零戦の手によって、さんざん痛めつけられて茫然自失したわけでしょ?御託がそれでも実際の戦果がヘボヘボなもんだから、大層なことぬかしてるアナタだけじゃなくてこっちまで赤面しちゃうくらいよ!」

「・・・・もう、ゼロ戦が完全にF4Fを凌駕していたとかいう根強い迷信を取り払うために、これから両機の実戦での戦いを私が詳細に解説てあげましょう。」


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ウェーキ島上空戦
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「ゼロ戦とF4Fとの戦いが初めて起きたのは、真珠湾攻撃すぐ後のウェーキ島での戦いです。この地に駐留していた米軍航空部隊は、奇襲直後にほぼ壊滅しており、爆撃によってF4Fは6機が破壊、パイロット4人と整備士全員が死傷し燃料設備もほとんどが破壊されるという戦闘する以前の有様でした。ですが、パイロットたちの努力によってなんとか4機のF4Fを修復し、これに45kg爆弾を取り付けて日本海軍の上陸部隊を攻撃して、駆逐艦如月を撃沈するなどの戦果をあげました。」
「日本の部隊は一旦撤退しましたが、面目回復の再攻撃を開始した22日に初めて、ゼロ戦とF4Fとの間で戦闘が発生しました。この時点で生き残っていたF4Fはたった2機に過ぎませんでしたが、2隻の日本空母から発艦した攻撃部隊を果敢に迎撃に飛び立ちます。」
「その際、1機は護衛のゼロ戦6機と交戦中に行方不明になりますが、もう1機のフリューラー大尉のF4Fはゼロ戦群を突破し、日本の艦上攻撃機2機を撃墜、自機も被弾し彼は重傷を負ってしまいますが、飛行場になんとか着陸を成功させています。この戦いでのF4Fの報告撃墜戦果は8機、自機は2機とも失われていますが、日本側の記録でも損害は対空砲火による1機を除けば9機喪失となっていますから、これは正確な戦果でしょうね。」
下僕
「ア・・・アレ?なかなか善戦してるじゃない。」

「その後の数ヶ月はゼロ戦とF4Fの戦いはほとんど起きていませんが、2月20日に空母レキシントンのF4Fパイロット、オヘア大尉がわずか4分間に5機の一式陸攻を撃墜した有名な戦いがおこっていますね。この時期、F4F部隊は多くの日本の攻撃機などを撃墜しています。日本側の記録によれば、このときの空戦ではラバウルから出発した2個中隊の攻撃部隊のうち、無事に帰ってこれたのはたったの2機だけだったそうです。」

《エドワード・H・オヘア大尉》
(最終撃墜戦果12機)


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珊瑚海海戦
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「ゼロ戦とF4Fとの本格的な戦いが起こったのは、1942年5月の珊瑚海海戦を初としてでしょう。」
下僕
「知ってるわよ!この海戦で零戦隊は敵艦載機を104機も撃墜する大戦果を挙げてんだから!」

「104機・・・・・?まあとにかく海戦の経過は、初め米軍側が先手を打ち、2隻の米空母から発艦した攻撃部隊が日本空母の祥鳳を捕捉、このときに同空母の上空に上がった艦載機は96式艦戦2機とゼロ戦3機だけだったため、多勢に無勢でしたから空母祥鳳はあっという間に撃沈されてしまい、96式艦戦も2機ともF4Fに撃墜されました。」
「このとき、艦上攻撃機を護衛していたベーカー中尉の機編隊のF4Fは、2機のゼロ戦と交戦、ゼロ戦は単機同士の格闘戦に持ち込もうとしますが、ベーカーはこれを無視。高速の一撃離脱降下を反復させ、低空に追い込んだ両機を撃墜しました。これが、F4Fがゼロ戦を撃墜した初戦果です。」
「一方、午後になっても敵部隊の位置を掴みかねていた日本側の2隻の空母部隊は、推定敵位置に向かって護衛機無しの27機の艦攻と艦爆部隊を発艦させましたが、この動きは米艦側にレーダーによって筒抜けになっており、迎撃に上がったF4F部隊によって日本側損害記録で9機が撃墜されました。しかしこのときにF4Fも2機を失っています。」
「翌朝、米空母のレキシントンとヨークタウンは、日本艦隊攻撃のため、15機のF4Fを含む合計75の攻撃隊を発艦させます。これを迎え撃つのは13機のゼロ戦で、始めに攻撃をかけたのはヨークタウンの部隊ですが、F4Fの護衛を離れた艦爆2機がゼロ戦に撃墜された代わりに150kg爆弾2発を空母翔鶴に命中させ、同艦を発着艦不能にさせました。」
「その後遅れていたレキシントンの部隊は雲の中で編隊が崩れてしまい、空母攻撃に参加できたのは4機のF4Fと15機の艦攻、艦爆だけで、ゼロ戦1機を撃墜した代わりにF4Fが4機の内3機が撃墜されてしまい、攻撃は失敗に終わりました。」
「最後に攻撃をかけたのは日本の艦隊側です。日本の攻撃部隊はゼロ戦18機と41機の艦攻、艦爆で、それを迎え撃つ米軍の側は17機のF4Fと、23機のドーントレス艦爆。まず単機で突っ込んで1機の日本艦攻を撃墜したF4Fが数機のゼロ戦に襲われて撃墜されてしまいます。このとき他の1機のF4Fも撃墜されました。同時に、ドーントレス艦爆は日本艦攻を2機撃墜していますが、ゼロ戦によって4機が撃墜され、レキシントンには2本の魚雷が命中しました。」
「その後、F4Fの6機はゼロ戦6機との混戦で守勢に立たされますが、日本艦爆を1機撃墜する一方、レキシントンは2発の爆弾を受けました。その後に20機以上のF4Fが攻撃を終えた日本機を追撃し、日本損害記録で4機の艦爆を撃墜した代わりに、4機のF4Fが失われました。ドーントレスも5機失った代わりに4機の艦攻を撃墜しています。このとき1機のゼロ戦を含む7機が艦隊周辺に不時着しています。魚雷2発を受け行動不能になったレキシントンは友軍の魚雷で処分されました。」


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ミッドウェー海戦
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「次の両機の戦いは、1942年6月のミッドウェー海戦で起きました。ミッドウェー島を巡る一連の航空戦は、日本艦隊の4隻の空母から発進した36機のゼロ戦、72機の他の艦載機からなる攻撃部隊の同島に対する空襲から始まりました。対するアメリカ側の基地配備機は、F4F戦闘機7機と、F2Aバッファロー戦闘機21機です。」
下僕
「知ってるわ!こんときの零戦隊は物量に勝る敵戦闘機部隊と交戦して、40数機を撃墜!しかも友軍の艦爆部隊にはそれらアメリカ戦闘機を一切寄せ付けなかった!」

「・・・・・私が言ったこと聞いていましたか?何で28機しかいないのに40機以上も撃墜できるのでしょう・・・・・」
「始めにレーダーに映った日本機の大部隊を米軍はF4Fを5機とF2Aの7機で洋上迎撃に上がりましたが、F4Fが高空から日本機に降下攻撃を仕掛け、敵艦爆2機に火を吹かせたとたん、すぐにゼロ戦に襲撃され、1機が酷く穴だらけにされてしまい、パイロットも負傷したため基地に引き返しています。その後に米軍機合計24機と日本機の大編隊との間に激しい空戦が繰り広げられ、約一時間の戦いで、日本損失記録ではゼロ戦2機を含む10機を喪失、55機が損傷を負いましたが、米軍側もF2Aを十数機、F4Fが2機を失っており、帰ってきたF4Fと残りのF2Aも多くが激しい損傷を受けています。」
「その後日本艦隊の位置を掴んだ米艦隊は、3隻の空母から日本空母攻撃部隊を発艦させましたが、そのうちの空母ホーネットの部隊は、完全な新米の集団であったため、全機発艦に40分以上も時間をかけ燃料を無駄に消費したばかりでなく、目標の発見に失敗したため、すべてのF4Fは母艦に引き返しますが、訓練不足が祟って10機のうち8機が海上に不時着してしまうという悲惨な結果になりました。」
「護衛機をすべて失ってしまった同部隊の艦攻15機は、その後日本艦隊を発見しますが、全機がゼロ戦に撃墜されてしまうという悲劇が起きています。ほとんど何もしないうちに艦爆以外のホーネットの艦載機は壊滅してしまいました。」
「空母エンタープライズの部隊も似たようなもので、護衛のF4Fは艦爆とのランデブーに失敗し、艦爆14機はまたも丸腰で、2倍以上のゼロ戦の群れに突入するハメになり、10機が撃墜されています・・・・」
下僕
「一体何やってんの?錬度が低いにもほどがあるんじゃない?」

「このときほとんどの部隊が実戦参加は初めてのことだったんです。逆に言えば、日本側は中国以来の歴戦のパイロットを多数そろえ、洋上航法も満足にできないような米軍パイロットを翻弄していたことになります。」
「頼みの綱は、最も遅く艦載機を発艦させた空母ヨークタウンの部隊でしたが、攻撃に飛び立ったF4Fは6機にしか過ぎず、残りは母艦防衛に当てられ、この少ない機数で29機の艦攻、艦爆を護衛しながらゼロ戦の群れに突っ込まなければならなかったのです。とはいっても、この部隊は他の空母のパイロットたちとは違い、少なくとも航法を間違えることなく日本艦隊まで到達することはできました。」
「しかし敵に近づくやいなや、6機のF4Fは突如ゼロ戦15機以上に背後から襲撃され、1機が撃墜されます。反転したサッチ少佐のF4Fはゼロ戦3機を撃墜し、他の2機編隊も多数のゼロ戦と交戦して2機を撃墜しますが、艦攻の援護は不可能であったため、全機の艦攻が撃墜されるか、または不時着してしまいます。日本空母は無傷でした。」
「ですがその後、護衛のゼロ戦群は皆すべて低空に集中していたために、遅れてやってきた米急降下爆撃部隊が中高度から空母群に攻撃をかけた際、これを邪魔するものがいなく空母赤城、加賀、蒼龍の3隻はすべて撃沈されます。」
「残る1隻の日本空母飛龍はすぐさま、6機のゼロ戦と18機の艦爆を敵部隊攻撃に出撃させ、空母ヨークタウンを目指します。一方ヨークタウンのF4Fは、応援に来たものも合わせ20機が上空で敵を待ち受けており、これと交戦した日本機は4機のゼロ戦と18機の艦爆でした。
さっきのF4Fとゼロ戦の立場が逆になったこの戦いは、日本側の損害記録によればゼロ戦はF4Fによって、4機のうち3機が撃墜され、艦爆も11機が撃墜されていますが、F4Fを突破した日本の艦爆はヨークタウンに損傷を与えることに成功しました。」
「空母飛龍はヨークタウンに第二次攻撃隊を送り込みます。それはゼロ戦6機と艦攻10機の部隊でした。迎撃したのは16機のF4Fで、2機が撃墜されたものの、日本の喪失記録によればF4Fによってゼロ戦3機が撃墜され、艦攻も5機が撃墜されました。数機の艦攻は防御を突破し、ヨークタウンの撃沈に成功、その後に攻撃をかけた米艦爆が日本の飛龍を撃沈して、ミッドウェー海戦は幕を閉じました。」

「純粋にここまでの戦いを振り返ってみると、戦闘の中でのF4Fとゼロ戦との損失比は、つねに数が多かったほうが少ないだけで、両者の間にそれほど大きな優劣は存在しないかのように思えます。」
「ただ、ゼロ戦のパイロットの多くが中国戦線での実戦経験があるのに対して、F4Fのパイロットのほうは、実戦参加が初めてという人たちが大多数であったようですから、ゼロ戦がF4Fの性能を凌いでいたとは特に言えないでしょう。またミッドウェー海戦では、米軍側で、『サッチ・ウィーブ』と呼ばれる編隊空戦術が一定の効果をあげています。」
「このサッチ・ウィーブというのは、サッチ少佐が考えた・・・・とされる、戦闘機を2機のペアで運用し、お互いに後尾を守りあうようにする一撃離脱の編隊空戦術です。」
下僕
「そ・・・そのサッチ・ウェーブとやらはつまり、1対1では零戦に勝てないもんだから、2機で攻撃しようという物量作戦でしょ?」

「ウェーブではありません。ウィーブです。あなたは戦術というものをまったくご存じないのですね。
これが単なる物量作戦なら、2機どころか3機でも4機でも束になればよいではないですかしかし、それでは駄目なのです。2機でないといけません。」
「何でもかんでも米軍イコール物量だとかいう貧困な発想につなげてはいけませんよ。F4Fは1対1ではゼロ戦に勝てないこともあるかもしれませんが、この戦法によって2機の編隊になれば、4機のゼロ戦を圧倒できると言われたのがそのよい例です。」
「ところでこのサッチウィーブ、どこかで似たようなのを聞いたことがありませんか?そうです。これはドイツ空軍のロッテ戦術とほとんど同じものなのですよ。とうの昔からルフトバッフェでは常識になっていたこの空戦法に、わざわざ別の大層な名前をつけて採用している辺り、いかにアメリカの航空部隊というものが実戦経験に乏しい素人の集団であったのかがうかがい知れますね。」
「まあ最も、イギリス空軍も、このロッテ戦法の圧倒的なアドバンテージを十分理解していながら、『ドイツ人の真似をするのはイヤだ!』とか言って、最後まで伝統的な3機編隊にこだわり続けた部隊もあったといいますから、意地の問題だったのかもしれませんね・・・・・」
「ロッテ戦術は第二次大戦での各国の基本戦術になりましたが、現代の航空戦でもこの戦法は採用され続けているんですよ。」
「ミッドウェイ海戦後、戦局の焦点はソロモン群島方面に推移していきますが、この頃からやっと実戦を経験したことによって、対戦闘機戦闘法などが米軍航空隊に確立してきます。また珊瑚海やミッドウェーでは戦闘機同士の戦闘自体も規模がそれほど大きくはなく、ゼロ戦とF4Fとの違いを知る上で重要になる本格的な航空戦が勃発するのが、これからお話しするガダルカナル島をめぐる一連の航空戦です。」


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ガダルカナル島上空戦
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「1942年8月7日、米軍の陸上部隊はガダルカナル島に上陸し、その上空援護を勤める3隻の空母のF4Fは、初空戦で2式水戦7機を撃墜しますが、ラバウルの日本海軍航空部隊はこの空母を撃滅するために、一式陸攻27機と護衛のゼロ戦17機で攻撃にやってきます。」
下僕
「フヒッ!歴戦の台南空のお出ましですな!」

「そうです。このラバウルの台南空とは、坂井三郎、笹井醇一、西沢広義などの有名なゼロ戦エースがたくさんいることで知られる、実戦経験豊富な部隊でした。対するこのときのアメリカ側の航空部隊はまだほとんどが実戦を経験しておらず、サッチ・ウィーブの訓練すらほとんどしていないルーキーの集団だったのです。」
下僕
「この日の台南空の戦果は笹井隊長が5機、西沢が6機、坂井が3機撃墜など、総計42機の敵機を撃墜という驚くべき戦果をあげた!ゼロ戦と優秀な搭乗員のすさまじい強さを稚拙な米軍どもに見せ付けてやったのよッ!」

「・・・・・結論から申しますと、アメリカ側の記録では、この日に空戦で撃墜された米軍機は8機です。逆にアメリカの戦果は、日本の損害記録によれば、陸攻・艦爆15機、ゼロ戦2機の合計17機です。新米ばかりの割には米軍は健闘したほうなのではないでしょうか?」
下僕
「・・・・・」

「このとき米艦隊の位置していた場所は、地形条件が悪かったためにレーダーが有効に機能せず、44機の日本機が接近したときに迎撃できたのはたった4機のF4Fだけで、日本陸攻編隊の攻撃を妨害することに失敗してしまいますが、離脱する陸攻を追って4機を撃墜しました。続く空戦でさらに陸攻2機とゼロ戦1機を撃墜しましたが、F4Fも4機すべてが失われてしまいます。」
「次に迎撃に上がったF4Fの8機は、陸攻数機を撃墜しますが、多くのゼロ戦と交戦して5機が撃墜されてしまいました。その後、日本の艦爆9機が再び攻撃に訪れましたが、4機のF4Fによって4機が撃墜されています。」
「あくる日の8日は、ラバウルからは15機のゼロ戦と、23機の陸攻が艦船攻撃のために出撃してきました。迎撃に上がったのは4機のF4Fで、陸攻4機とゼロ戦1機を撃墜、他の陸攻も多数を撃墜し、日本側の損害記録ではこの日、陸攻18機、ゼロ戦1機喪失となっています。一方で、撃墜された米軍機はゼロでした。駆逐艦が一隻撃沈されていますけどね。」
「この2日間の戦いで、両軍の損害記録を調べみると、米軍は8機が空戦によって撃墜され、最終的に18機のF4Fや艦爆を失っていますが、日本は陸攻・艦爆が計27機撃墜され、他に6機が不時着・大破し、護衛のゼロ戦は3機が撃墜されています。歴戦の台南空に対してであっても、アメリカ側の新米パイロットは特に対抗不可能なことでも全くなかったといということがよくわかります。」
「それと注目すべきは日本側の戦果誤認の多さですけども、5倍とは尋常ではない数字ですよね。後世の日本機オタクに大きな夢を与えた台南空の活躍ですが・・・・・」
下僕
「・・・・」

「日本の戦果誤認の多さは、おそらくF4Fの防御力の高さに起因するところが大きいのでしょう。F4Fの防御力では、ゼロ戦の7.7mm機銃がいくら打ち込まれても煙さえはかなかったですが、たくさん被弾して穴だらけになったF4Fが急降下で離脱するのを見て、ゼロ戦パイロットは自分が撃墜したものだと思い込み、そのまま帰還したら平気で5機撃墜!だとか申告することも多かったのでしょう。」
「防御力の一切ないゼロ戦と違って、米軍機は被弾は即墜落ではないのにですよ。こういうことが積もり積もってゼロ戦神話とかいう胡散臭いおとぎ話が形成されていったのでしょうね。」
「8月20日、アメリカが奪取したヘンダーソン飛行場に、新たに海兵隊のF4Fが降り立ちました。このパイロットたちの中で、実戦を経験したことのあるのはミッドウェーにも参加したカール大尉、カンフィールド中尉だけで、あとの20数名は例のごとく新米でしたが、これがいわゆる暗号名カクタス航空隊と呼ばれる、ガ島における米軍航空戦力の核です。」
「彼らの到着翌日、ゼロ戦6機が島の上空に現れ、F4Fが4機との間で戦闘が起こります。このときスミス少佐のF4Fは、1機のゼロ戦を撃墜しますが、F4Fも1機が被弾の後不時着しました。それ以来3日間の間に、この部隊は1機の損失のかわりに、5機の敵機を撃墜し、士気が大いにあがります。」
「8月下旬に入ると、日本はガ島に上陸部隊を送り込むため、空母3隻を主力とする支援部隊で、ヘンダーソン飛行場の攻撃に着手しました。空母龍驤から発艦したゼロ戦15機と艦攻6機は、上空で待機していた14機のF4Fと交戦し、少なくともゼロ戦3機、艦攻3機が撃墜されましたが、F4Fの側もパイロットが3名失われました。」
「米軍は反撃のために、近くにいた2隻の空母から攻撃隊を発艦し、龍驤を撃沈しましたが、米空母の位置を掴んだ日本側は、ゼロ戦10機と艦爆27機で空母に攻撃に向かいます。米軍側は38機のF4Fを配置していましたが、技量不足による不手際から、これの迎撃に向かえたのは11機に過ぎず、12機はゼロ戦に阻止され、15機は日本機が攻撃を終えたあとで戦闘に参加しました。このときの日本側の損失記録ではゼロ戦6機と艦爆18機が撃墜されています。空母エンタープライズは3発の爆弾を受けましたが、日本軍の上陸作戦は失敗に終わりました。後にこの戦いは第二次ソロモン海戦と呼ばれました。」
「8月30日、カクタス航空隊はガ島上空に現れたゼロ戦18機を迎撃し、日本側の記録では8機を撃墜するなどの大活躍をしていますが、新たに増援としてやってきた新米の部隊VMF-224は初出撃で、17機中3機が撃墜された挙句戦果無しなどの辛酸を舐めることもありました。」
「日本海軍航空隊は、激しい消耗を続けながらも、数日置きにガ島に攻撃を繰り返し、そのたびに激しい空中戦が繰り広げられています。8月20日以降のVMF-223の報告された撃墜戦果は、ゼロ戦47機、陸上攻撃機53機にものぼった一方、この部隊の戦闘による死傷者は8名です。エースもたくさん輩出されました。スミス中佐は19機撃墜、カール少佐は15.5機撃墜を記録しています。」
下僕
「そ・・・それは米軍の勝手な報告戦果でしょ?」

「そうです。ですからそれほど厳密な数値ではありませんが、おおよその目安にはなるのではないでしょうか。実際の両軍の損害比は、今教えてあげましょう。」
「これが台南空が攻撃を諦めた11月ごろまでにおける、カクタス航空部隊の装備するF4Fの損失と、日本機の損害報告の損失の比較です。」

日本機の実損害=260機程度
F4Fの戦闘損失=101機



「割合にして2.5対1です。F4Fは2倍以上の日本機を撃墜しました。日本側の損害の内訳はよくわかりませんが、カクタスのF4Fのほうが台南空のゼロ戦よりも優勢だったことは明らかでしょう。もちろん日本は攻撃側であり、また作戦自体のまずさが多分にあったということは以前私が言ったとおりですけども、結局ゼロ戦は最後まで、シナ事変以来のベテランぞろいである台南空でさえも、ほぼ同世代機と言っていいF4Fを一度も圧倒することはなく、逆に戦法の確立したF4Fに圧倒されるという結末をむかえたのです。」
下僕
「そ・・・そんな・・・・・F4Fは格下だとばかり・・・・」

「F4Fとゼロ戦の勝負の明暗を分けたのはやはり、武装、防弾、編隊空戦の3つが大きかったのではないでしょうか。ガ島上空戦で言ったら、ただでさえ無茶な長距離侵攻作戦に加えて、あの絶望的なゼロ戦の防弾装備では、高初速・高発射速度の12.7mm機銃6門を装備するF4Fの急降下攻撃に耐えられるわけもなく、一度火を吹いたら絶対に助からなかったのに対して、ゼロ戦の装備する20mm機関砲は爆撃機以外にはめったに当たるものではなく、かといって2門の7.7mm機銃ではF4Fに致命傷を与えることは難かしいですから、パイロットの技量をもってしても、この機体の差を補いきれるものではなかったのでしょう。」
「ゼロ戦が編隊空戦ができない飛行機であったこともそうです。ゼロ戦の無線機はよほど近接しないかぎりはほとんど僚機と通じることはありませんでしたから、自ずと集団で連携プレーなどできるはずもなく、米軍パイロットには日本のパイロットは常に各々バラバラに行動し、協調性のかけらもない連中だ、などと酷評されてしまうこともあります。しかしそれはやりたくても不可能であっただけの話で、まともな無線機一つ作れない日本の工業力には悲愁を感じさせてくれます。」

「ついぞゼロ戦が勝つことのできなかったF4Fですが、米海軍はこのF4Fの性能に不満を感じており、これの後継機として2,000馬力のエンジンを搭載した新戦闘機のF6Fヘルキャットを1943年に入ってから採用します。」

《グラマンF6Fヘルキャット(米)》


「この新型機の登場によって、ゼロ戦と米海軍機との間にはもはや埋めがたいほどの性能差がついてしまい、これ以後のゼロ戦はほとんど撃墜されるだけのカモに成り果てました。もともとこのF6Fはヴォート社のF4Uコルセアの保険として開発され・・・・・・」
下僕
「F6Fは、ダッチハーバー近郊で鹵獲された零戦を元に作られた機体だ。」

「・・・・・・・・もう、いい加減にしてほしいです。日本機に見るべき技術など何もなかったと何度言ったらわかるのでしょう?」
下僕
「ウーソーよーッ!!米軍はダッチハーバーで鹵獲した無傷のゼロ戦を、まるで宝物でも拾ったかのように狂喜して自国に持ち帰った!!そしてあらゆる面から徹底的に試験を繰り返してその先進的な技術の数々におったまげたの!その結果を利用して作られたのがそのF6Fよッ!」
「それでF6Fは、『ゼロ戦を徹底的に研究して作った戦闘機なんだから勝って当たり前だ』とでもいいたいのですか・・・・残念ながら、というか当然ですがF6Fの設計方針にゼロ戦は何の関係もないですよ。簡単に言えば、F6Fは2,000馬力のエンジンに合わせたF4Fの拡大改良版です。その技術的特長は前回と同じ確実・堅実。ゼロ戦が米軍に捕獲されたころにはもうすでに初飛行を遂げています。」
下僕
「だ・・・だってホントに根ほり穴ほり調べてんのよ?鹵獲したゼロ戦を米軍は。それって優秀な技術を盗もうと画策してやってるに決まってる!」

「そりゃ敵から捕獲した戦闘機なら、詳細に性能を検証しようとするに決まっているでしょう。ドイツのBf109もFw190も同様に事細かに調べられています。」
下僕
「自分たちの物まねしかできないと半ば嘲っていた日本人が、驚愕の新技術を独自開発していたことに彼らは恐れおののいた。」

「・・・・1942年6月にアリューシャン列島、ダッチハーバーで米軍に無傷のまま捕獲されたゼロ戦21型はアメリカ本土に移送され、技術者によって詳細に調査されましたが、その結果予想通りといってはなんですが、ゼロ戦を構成する部品は、戦前にアメリカなどが与えた技術をほとんどパクって製作されていることが確認されます。」
「すなわち、エンジンはプラット&ホイットニーの派生品、機銃やプロペラは各国のライセンス生産品、各種儀装品も各国の物の寄せ集めで、特別な技術は一切用いられていないということです。」
「それでも、ゼロ戦が日本の工業力が作れるエンジン馬力の割には上昇力などが良好に見えたのは、機体にバカ穴を一生懸命に空けに空け、防弾鋼板も一切取り付けない自殺機仕様に改造したことによるものだとわかったことは少なからず収穫だったといえましょう。」
「ただ昇降舵の操縦系統がフニャフニャになる点だけは、自分たちが日本に教えてあげた技術ではないことが驚きを与えています。日本人にも少しは自分たちで考える頭があるのだな、って。侮蔑的にすぎる言い方でしょうか?」
下僕
「大いにそうよッ!ふざけないでッ」

「そもそも、ゼロ戦はアリューシャン以前にも連合軍によって中国で捕獲されていたのですが、日本の技術水準なんてタカが知れているということを知っていた連合軍は、これを無視してしまったという経緯がありました。」
「機体の技術は大したことないだろうという予想はその通りですので問題はなかったのですが、ただ一つ、彼らアメリカ人が犯した日本機に対する最大の誤算は、日本人には戦闘機の操縦は不可能だろうと考えた事です。」
「その当時の日本は、道路舗装率が1%未満で、自動車免許取得者すらめったにいなかったという、機械文明とはおよそ無縁な未発達の国という印象がありましたから、田舎の農民でも自動車の運転が可能なぐらいのモータリゼーションの発達したアメリカや、スポーツグライダーが爆発的な人気を博していたヨーロッパなどに比べて、日本人に航空機のような複雑な機械の操作を早急に習得するのは不可能だろうと考えられたのもあながち的外れな意見でもなかったのです。」
「しかし、よく訓練されて実戦経験も豊富な日本人パイロットは、時として連合軍の実戦参加経験を持たないパイロットを圧倒したということは、いまさら述べるまでもない史実でしょう。」
「たとえ発展途上国ではあっても、他は無視してある一つの目的だけにリソースを集中し、何かを成功に導かせることが不可能ではないのです。事実、日本の航空機操縦可能なパイロットの数は、自動車の運転手の数に匹敵するまでに増やされていたのですから。航空機を牛車で工場から空港まで引いていくなどというおよそミスマッチな光景が戦前の日本で見られたということも、欧米人には同様に信じられないようなことだったでしょうね。」
「待って!待つのよ!中身じゃない!零戦の空力的特長を見て欲しいのよ!」

「まだ言ってる・・・・・」
下僕
「F8Fベアキャットこそゼロ戦を参考にして作られた機体。」
「本機の小型軽量化と空力的洗練の設計方針こそ、ゼロ戦を参考にしたという何よりの証拠。グラマン社が緒戦でコテンパンでやられた意趣返しのような執念で造り上げた『アンチ・ゼロファイター』が、このF8Fだったのだ。」

《グラマンF8Fベアキャット(米)》


「なぜわざわざゼロ戦の空力的特長を真似しなければならないのでしょうか・・・・同盟国にそれとほとんど同じ機体があるのにですよ。」
「それに、F8Fはグラマン社でF6Fの後継機として1943年から開発が始まった機体ですが、これの開発の契機となったのはイギリスで捕獲されたフォッケウルフFw190の試乗レポートを、グラマンの社長が読んだことです。」
「ドイツ機の設計方針というのは、極力小型に切り詰めた機体に大馬力のエンジンを搭載することで高性能を狙っていますから、そのせいでFw190などはカウリングに余裕がなさ過ぎ、初期型では随分とエンジンの過熱に悩まされています。そのことを知っていた英国の技術者は、F8Fの同様の設計を見たときに、エンジンの過熱問題をすぐに指摘したくらいです。」
「一方ゼロ戦の設計コンセプトは、低出力エンジンを搭載した比較的大型の機体に、バカ穴を空けるなどしてして軽量化をはかり、燃料をたくさん積むというもので、F8Fのそれとは似ても似つかないということは明らかでしょう。」
「ずいぶんと夢を与えてくれるF8Fのゼロ戦参考説ですけれども、日本人が書いたもの以外にはみんな、F8Fがゼロ戦を参考にしたなんてとんでもないこと書かれていません。日本人がただ単にそう思いたがっているというだけの話でしょうね・・・・・」
下僕
「あああ・・・・」

「よけいな話を長々としてしまいましたが、F6Fヘルキャットの設計の話に戻ると、F6Fは元々、ヴォート社の艦上戦闘機、F4Uコルセアの保険という意味合いが強く、技術的にも堅実さ第一で、2,000馬力級のエンジンに合わせたF4Fの発展版と考えて差し支えありません。ですからこれをゼロ戦の発展と一緒に時系列順で見てみると・・・・・・」

《零戦21型》
エンジン馬力 950馬力
初飛行     1939年4月

《F4F》
エンジン馬力 1,200馬力
初飛行    1937年9月

  ↓
  ↓

《零戦52型》 
エンジン馬力 1,130馬力
初飛行    1943年夏

《F6F》
エンジン馬力 2,000馬力
初飛行    1942年夏


「ゼロ戦がその改良によって、180馬力のエンジン出力の発展を遂げていたのに対して、F6FはF4Fから800馬力も出力がアップしています。そしてこれが両機のカタログスペックの比較です。」


《零戦52型》 

エンジン馬力     空冷1,130馬力
最高速度       565km/h
航続距離(最大)   1,920km
海面上昇率      1,372m/分
武装   20mm×2、7.7mm×2
その他搭載      60kg×2
重量         2,733kg
初飛行        1943年夏
シリーズ全生産機数  10,449機


《F6F-3》

エンジン馬力    空冷2,000馬力
最高速度      605km/h
航続距離(最大)  2,560km
海面上昇率     1,067m/分
武装        12.7mm×6
その他搭載    454kg×1, or
         5inロケット弾×6
重量        5,643kg
初飛行       1942年夏
シリーズ全生産機数 12,275機


「1,130馬力のゼロ戦52型に比べて、2,000馬力のF6Fは最高速度が余りにも遅いような印象がありますね。しかしそれは、F6Fの重量が、ゼロ戦の2倍以上という点からも明らかなように、F4Fよりもさらに強化された機体構造、合計約98kgにも達する防弾装甲など、ゼロ戦には到底備わっていない基本性能がてんこもりだからです。」
「水平速度では確かにF6Fはゼロ戦よりも40~50km/h速い程度ですが、一旦急降下に入ればその速度は実に時速900kmにも達し、ゼロ戦は決してこれを追尾することはできませんでした。」
「その堅牢な防弾装置は、いくら日本機に撃たれてもタンクに火はつかず、乗員すらも傷つかないと日本のパイロットを嘆かせます。それは、たとえ新米の乗るF6Fが、ベテランの乗るゼロ戦に大量に機銃弾を浴びせられて穴だらけにされても生還できるということを意味し、そして次にそのパイロットがゼロ戦と対戦したときには、彼はもうルーキーではないのです。」

「巨大な面積の主翼は、艦上運用での取り回しを良くし、さらにやろうと思えば格闘戦でもゼロ戦を圧倒できるという、もはや日本側には救いようのないような状況を作り出してしまいました。」
「F6Fなどの、ゼロ戦を性能面で完全に圧倒する新戦闘機を手にした米海軍はその後、日本海軍に対して始終有利な戦いを繰り広げていきますが、その中でもF6Fの活躍の一つの頂点ともいえるのが、1944年6月のマリアナ沖海戦をおいて他はないでしょう。」
「この海戦の19日の戦いでは、マリアナ諸島を占領しようとする米機動部隊を殲滅するため、日本の攻撃部隊は数次にわたって480機もの航空機で米空母を目指して飛んでいきましたが、300機あまりのF6F迎撃と空母の対空砲火によって阻まれてしまい、その内275機が撃墜されたとされ、2隻の空母も撃沈されてしまうというまさに一方的な惨敗を帰したのです。その際の米軍のF6Fの損失はわずか23機でした。」
「マリアナ沖海戦での米軍側の死者は40人弱で、他方空母を3隻撃沈された日本側は700人ものパイロットが死んでいます。このあまりに一方的だった航空戦に、アメリカでついたあだ名は『マリアナの七面鳥撃ち』。F6Fにとってみれば、ゼロ戦を撃墜するのはそれこそ、地べたをのそのそ歩く七面鳥を射的するゲームに等しいぐらい簡単だというのです。」
下僕
「なにが七面鳥撃ちよ!このとき米艦艇はVT信管付きの超高性能な新砲弾で対空射撃を行った!大多数の日本機は対空砲に撃墜されただけでF6Fによる撃墜数は大した数じゃない!」
「確かにこのとき、米軍側はVT信管と呼ばれる、近くにいる敵機を探知して勝手に爆発する新型信管を搭載した画期的な砲弾を実戦で用いました。しかし、もともと艦艇の固定銃座による対空射撃の命中率は極めて低いものなのです。それはたとえ1%の命中率が3%になろうと、これらの装備だけで、進入してくる敵機を大量に撃墜するなどということは不可能で、この海戦でも敵機を撃墜したのは大多数が艦隊直援のF6F戦闘機であって、対空砲火にやられた日本機など大した数ではないのですよ。」

《艦上から空戦を見守る艦艇要員たち》


「この日のF6F隊による報告撃墜戦果は、250kg爆弾装備機も含めたゼロ戦210機、その他148機の合計356機ですから、日本側の戦闘損失記録の275機とそれほど大きく異なるものではありません。この結果、パイロットが発した一言、『まるで昔の七面鳥狩りのようだった』から、マリアナの七面鳥撃ちという言葉ができたのです。VT信管の力があまりにも過大に評価されているのだとしたら、それはF6Fに負けたことを認めたくない、あなたの単なる負け惜しみの一つなのではないでしょうか。」
「結局、大戦を通じてのF6Fヘルキャットの日本機の撃墜報告戦果は、5,156機にも達し、一機種による日本機撃墜の最高記録だそうですけども、一方で大戦中に失われたF6Fの機数は270機ですから、キルレートは19:1でしょうか。もちろんこの数字は米軍発表のもので、それなりの重複などがありますが、それにしても凄い数字ですよね
下僕
「 ・・・・・」
「さらに、米国防総省発表の、太平洋戦争全体での日本機と米軍機との航空機の撃墜、被撃墜数を見比べて見ますとね、1941年暮れの開戦から1942年までの緒戦の時期に、米海軍機が266機撃墜されたのに対し、日本機は858機撃墜され、その比率は1:3.2でしたが、1943年になると米海軍機233機に対して日本機1239機、比率は1:5.4」
「1944年には、米海軍機261機に対して日本機4024機、比率は1:15.5」
「1945年から終戦までになると、ついには米海軍機146機に対して日本機3161機、比率は1:21.6・・・・」


《米海軍機と日本機との撃墜比率》

米海軍機の被撃墜数 日本機の被撃墜数 比率

開戦から1942年まで 266 858 1対3.2
1943年  233   1,239  1対5.3
1944年  261   4,024  1対15.5
1945年から終戦まで 146 3,161 1対21.6
計      906   9,282  1対10.2

〈米公刊史より〉




「最終的な米海軍機と日本機との大戦を通じてのスコアは、906機:9,282機だということです。
この数字には地上撃墜は含まれていないことにも留意してくださいね。」
下僕
「んなもん不正確極まりない数字に決まってんでしょうがッ!アメリカ人が1万機撃墜したと言えばそう書かれるだけよ!!」
「確かに全面的に正確なわけはないでしょう。また、終戦間際の大量のスコアはたくさんの特攻機を撃墜して稼いだものも多いはずです。しかし、たとえ日本は緒戦の段階であっても大量の犠牲を払っており、両軍の損害報告を比べてみればそれは明らかで、従来日本人に信じられていたようにゼロ戦も一方的な活躍ができたわけではないこと、これは間違いなく事実です。」
「結局、ゼロ戦はアメリカを奇襲した直後はパイロットの実戦経験の豊富さと物量の多さで連合軍の旧式機を圧倒しましたが、それでも新米の乗る同世代のF4Fとはせいぜい互角の勝負。護衛すべき味方機は大量に撃墜され・・・」
「米軍のパイロットが戦い方を覚えはじめたころには逆に自らも圧倒されるようになり、F6Fの登場をもって、ついには空飛ぶ七面鳥に成り下がりました。これがゼロ戦の実戦での活躍とやらの真実です。」
下僕
「キャアアアアアッ!!」
「でっ・・・・でも、ひとたびは米軍に『零戦と積乱雲は避けてよい』とまで言わしめたのよ?その一言は幻だったっていうの?!白人どもは日本の作った零戦に恐れおののいたからそんなこと命令したんでしょうが!!」

「それ、ドイツのFw190が登場したときにも全く同じことが英空軍内に通達されませんでしたっけ?正体のよくわからない新鋭機が戦場に現れた際に、積極的に攻撃すべきでないという命令が下っても、そんなに特殊なことでもないのではないでしょうか。」
「加えて、登場時には極めて高性能だったFw190の場合は、特殊部隊による強奪作戦まで現実に計画されたのにたいして、零戦の場合は旧式機でなければ対抗できなかったわけでは全くありませんから、それと比べても尚更大騒ぎするようなことではありませんよね。」
下僕
「んなこと言ったって、当のアメリカ人自体に零戦のことを誉めそやす人物が多いのよ?!日本人であるアナタのほうが零戦をこき下ろすって、一体どういう話よ!!」

「こんなことを言うのもなんですが、ゼロ戦を必要以上に賞賛したがるアメリカ人がいるとしたら、それは大抵一つの意図のためにそう発言する場合が多いのです。つまり、『ゼロ戦は凄かった。したがってそれを倒した僕たちは、もっと凄い』という論理なのですよ。特に日本海軍をやたら強敵だったと主張したがる輩は、間違いなくソレです。」
「英米人が敵を褒め称えることが多いのは、それが勝者の特権だからであって、日本人などがそれを真に受けて悦に入るなんてあまりに情けない光景だという印象をぬぐえませんよね。日本人は特にそういうのに悪乗りしがちですから・・・・・」
「ゼロ戦が名機などではないということはちょっと考えたらすぐわかりそうなものでしょう。簡単なことです。自分が乗ってみるならゼロ戦かF4Fのどちらがいいかと考えてみればいいのです。」
下僕
「も・・・もちろんワタシなら零戦を選ぶわよ!たとえ自分が新米でもねッ!」

「愛好家ならそうおっしゃるかもしれませんね。ゼロ戦の操縦は楽そうだからだとかいう単純な理由で。」
「しかし、離着陸や低速の運動性がよいというだけでゼロ戦を選んだら、一回の実戦であなたは間違いなく死亡するでしょう。実戦はそんなに甘くはありません。防弾装置はない、無線が通じず僚機と連携できない、まともに使える機銃は7.7mm2つしかない、不利になっても急降下で離脱できない・・・・・・・・・・正に惨めな空飛ぶ納屋の戸です。もっとも、特攻したいのなら何も言うことはありませんが。」
「しかし、F4Fならどうでしょうか。多少敵機に穴だらけにされても、生きて帰れる可能性は高くなります。生きて帰れれば経験をつめ、次には多少有利に戦うことができるようになるでしょう。戦争はその繰り返しが行えた者が、最終的には勝利するのです。」
「工芸品として零戦が好きだ、などという人は大いに結構でしょうが、戦争の道具、つまり兵器としてみるならば、零戦が名機だ、もしくはあまつさえ最強だなどといってはばからない人は、ただの愚か者です。戦争を舐めすぎだといっていいでしょう。」
「一発芸に秀でた曲芸機は、華々しくて一時は強いようだと錯覚してしまうこともあるでしょうが、長い目で見てみると、絶対に堅実な設計の機体に勝つことはできません。そういった真理をグラマンの戦闘機は宿しているがために、これほど日本ではF4FやF6Fは嫌われているのでしょう。」
下僕
「そうは言っても、当時の日本に他に何ができたっていうの?!まともなエンジンが作れないような工業力だったのに、米英に立ち向かわなければいけなかった!防弾や機体強度にまで手を伸ばす余裕がなかったの!零戦は最強じゃなかったかもしれないけど、普通に考えて日本に適したいい機体よ!」

「日本に堅実な設計の航空機が存在していなかったら、何もこんなことはいいません。日本のもう一つの主力戦闘機に陸軍の一式戦闘機『隼』という機体があります。」

《一式戦闘機 隼(日本陸軍)》


「隼戦闘機は、初期にはゼロ戦と同じく機体強度の低さによる空中分解事故などが起き、また同じエンジンが用いられているにもかかわらず、カタログスペックがゼロ戦よりも低かったために、とかく日本人にはゼロ戦よりも軽視されがちな戦闘機なのですが、隼はゼロ戦とは異なり戦訓を取り入れて早期に燃料タンクや背面鋼板などの防弾装備を採用し、さらに生産性も考えて設計されていました。」
「戦争を通して改良の続けられた隼は、ついにはゼロ戦のスペックを上回り、大戦後半ゼロ戦が単なる空飛ぶ七面鳥として連合軍にあざけらるようになってからも、連合軍には『最後まであなどれない相手であった』として評価は低くなかったのです。隼は特に強い戦闘機とも言えませんでしたが、ゼロ戦ほど無残な敗北もすることもなく、日本にとって身の丈に合った戦闘機だったのではないでしょうか。」
「だってそんなこといったって、戦争がそんなに長く続くとは思わなかったんだもん!!零戦は少数生産に終わるはずだったの!そうすれば、一時的に日本の工業力以上の性能を発揮する零戦はベテランの操縦で連合軍を圧倒できるでしょ?!」

「・・・・・戦争が予定通りに発生し、予定通りに終了するなどということがあると思いますか?さらに日本の場合は、確固たる落としどころもなかったわけですから、一発やらかして相手を怒らせたはいいですが、さっさと逃亡するか殲滅されるなどというのは、それはテロか何かであって、艦隊決戦思想ですらないのではないでしょうか。」
下僕
「ヤアアアアッ!!それでもみんな精一杯がんばったの!日本は追い詰められていたの!与えられた状況の中で精一杯のことをやったのよ!後世の人間に非難する資格なんてないの!」

「その努力とやらが、民間の練習機を武装しただけのような欠陥機で、パイロットの技量にのみ頼った自殺的な作戦をこなさせ、必然的にほとんどのパイロットが死に絶えた後は無責任な自爆攻撃をさせたことをさすというなら、余りにも無様だという評価を後世の人間が下しても、それは当然の事なのではないですか?」
下僕
「・・・・ちょっ・・・・ちょちょちょちょっと待って!」

「何がちょっと待ってです?」
下僕
「これは陰謀よッ!」

「・・・・・・。」
下僕
「陰謀に違いないわッ!!」

「・・・・・一応聞いておきますが、どんな陰謀ですか。」
下僕
「朝鮮人よ!あまりに偉大すぎる大日本帝国とその大東亜解放戦争を否定したいあのゴキブリ民族どもの卑劣な国家分断戦術に違いない!!」

「ご・・・ゴキって・・・・・もう、ほんっと懲りませんね。なぜかつての日本のことを話しているのに、現在の他国が無理やり出てくるのですか?」
「自国の産業水準に関する知識など微塵ももたずに無茶な設計要求を押し付けた軍部がいたのはどこの国の話でしょう?また、それがどんな結果をもたらすのか知っていながら、その要求をただ安易に満たすことしか考えなかった技術者たちがいたのは?人間の生理的限界を無視し、無謀な作戦ばかり強行した挙句、最後には統率の外道と呼ばれた自爆攻撃までさせた用兵家たちはどこの人だったのでしょうか?」
「悲惨極まるというのが戦前の日本に関する私の率直な感想です。時々、この時代を神の国か何かのように崇拝している輩がいるようですが、老人が昔を懐かしんで言うならともかく、戦後生まれなら新興カルトかなにかの部類でしょう。」
「現在の他国を卑しめてまで、戦前の日本を持ち上げたがる人たちは、きっとかつての日本に美点なんて何も見いだせないからそんなことせざるを得ないのでしょうね。」
下僕
「・・・・・・。」
「と・・・ときに話は変わるが、ミサイル全盛時代の到来したここ最近、戦闘機の性能で再び格闘性能が注目されてきたことをご存知ですかな?」

「・・・・」
下僕
「日本の空自も使用しているF-15なんて格闘戦もこなせる超一流戦闘機!言うなれば、F-15は零戦の生まれ変わり」
「甦った!甦ったのよ!零戦は平成の世に復活したのよおおおお!!!零戦の設計思想は間違ってはいなかった!!」

「・・・・もう、カルガモの赤ちゃんのごとく格闘戦万能主義がインプリンティングされた日本機マニアの方に、これ以上の格闘性能についてのご説明をする気はありません。ただ、昨今の戦闘機というのは、エンジン出力が強大になった結果、戦闘機の一応の速度目安であるマッハ2を超えてもまだ余剰推力が出るようになりました。」
「ハイグレード機であるアメリカのF-15なんかは、登場当時出力重量比が世界最高の機体です。あれは翼がなくともロケットのように垂直上昇できるくらいの出力なのですよ?ミサイル対策として運動性が盛り込まれたとしても、それはこの余剰推力のもたらしたもので、格闘戦第一主義に基づくものではありません。無論、最初から他を削って、リソースを格闘性能ばかりに投資したゼロ戦などとの設計方針の共通点は全くないでしょう。」
下僕
「じゃあおしまいよ!もうおしまい!零戦の栄光なき日本は沈没するわ!」

「なぜそんな下らないことで日本が沈没するんですか・・・・・」
下僕
「何だったの!?・・・・何だったっていうのよッ!ワタシだけじゃない・・・・・・日本人なら誰でも、零戦が世界最強の戦闘機だったという神話をずっと信じてきたのに!」

神話というのは事実ではないから神話というのでしょう。」
下僕
「それが完全にウソだなんて誰が信じられるっていうのよ!?」
「日本人に限ったことではありませんが、人は誇りを抱いて生きてゆこうとするものです。」
下僕
「な・・・何よ、突然?」

「それがどん底の社会状況の中であれば、なおさらそういった誇りを求めようとします。忘れてはならないのが、ゼロ戦の神話というのは、すべて戦後に作られたということなのですよ。戦時中、ゼロ戦の存在は国民には秘匿され続けました。新聞などでは、ゼロ戦はただ海軍の『新型戦闘機』などという風に呼称され、国民によく知られていた戦闘機というのはむしろ陸軍の隼だったのです。」
「日本の敗戦によって、国民は大きなショックをうけました。それまで自分たちが信じてきた価値観というものが、すべて否定されてしまったのですから当然ですよね。プライドはずたずたにされてしまいました。あんなにがんばったのにもかかわらず、跡に残されたのは焼け野原だけ。とても惨めです。」
「そこへ一筋の光明のごとく現れたのが、無敵のゼロ戦神話だったのです。」
「自分たちは確かにまちがっていたのかもしれない・・・・しかしかつて栄光はあったのだと。完膚なきまで負けはしたが、一時的ながら連合軍をコテンパンにやっつけてやれたんだってね。この妄想は盛んにマンガ、アニメや映画になって広く流布されます。」


『0戦はやと』
『ゼロ戦レッド』
 引用者独言:懐かしィ~!でも、どちらも
 最終回の覚えがないんですよねェ?



「ところでちょっと思い出してもみてください。最近にもこれと似たような現象って起こりませんでしたっけ?それというのは第二の敗戦とも形容された平成のバブル崩壊とそれに続く長期の不況です。」
「戦後は国の方向性を180度変えて、経済一筋でやってきたのに、強大な経済大国としての国際的名声を得たはずなのに、すっかりその権威は失墜してしまいました。軍事のみならず経済でまで敗北の辛酸を舐めてしまったことに、国民の自信は再び大いに失墜してしまいます。そういった社会的状況に便乗して、日本はアジアを解放したとかなんとかいう骨子の『歴史修正主義』などというおよそ怪しげな潮流が台頭したりもしましたよね。」
「戦前の日本人はさながらピエロか何かでしょうか。日本人はこれからも何か困難にぶつかるたびに、この時代の日本をダシにして、惨めな自尊心を回復しようとし続けるのでしょうか?」
「ゼロ戦神話のほうは、多分に高度経済成長の原動力の一部になったという利点があるように思えますが、解放神話は全くといっていいほど日本に益をなしませんでした。あえていうなら、インターネット上にネオナチを量産したということぐらいでしょうか?」
「戦前の日本の惨めな模倣文化の象徴であるかのような零戦を崇拝し続ける意味なんて、現在の日本にはもうないですよね。戦後、高度成長を遂げた日本が作った工作機械がソ連に輸出された際、同国の原潜の水中雑音が低減して探知できなくなったなどとアメリカにお叱りを受けるほどにまで日本は技術革新を遂げて、世界に誇れる工業製品を作れるようになったのです。粗悪品製造国の代名詞だった戦前では考えられないようなことですよね。」
「もう胡散臭い神話の類は、史実で犯した過ちから盲目的になるだけで、百害あって一利なしです。
飛べない豚はただの豚。国粋気取りや、狂信的なゼロ戦信者は、真の名誉や誇りなどというものは、堅実かつ現実的な努力をした者にだけ与えられるものであるということを知るべきでしょう。」
「そしてそれが理解できたとき、ブタオさん、それに読者の中の一部の人たちにかかった魔法も解けるかもね!」
下僕
「・・・・・・」
「思えば、ワタシは間違っていたのかもしれない・・・・・」

「・・・・・・・・今何と?」
下僕
「ワタシは零戦が世界最強だと信じて疑わなかった。ゼロ戦を真剣に愛していたのよ。しかし、愛する余りに、これを否定する人はすべて日本にコンプレックスを抱く他国の工作員だと決め付けたりした。あまつさえ・・・・・・」

「・・・・・」
下僕
「・・・・・・あまつさえ、何の根拠もなくゼロ戦がアジア植民地支配の解放の象徴だ、などと・・・・
でも冷静になって考えてみるとそれは全く違う。」

『 ! 』
(引用註:一瞬「下僕」の姿が「姫」に《紅の豚》を見せた!)
下僕
「そう、アジア解放の象徴と帝国海軍の真の栄光は零戦ではない!『戦艦大和』にあったというのに!!」
「世界最大、最強の戦艦大和を語らずに何が大日本帝国だってんのよ?零戦なんて屁でもないただの工業製品じゃない!」

「目の錯覚ですね・・・・・・もう、あなたは一生ブタの姿でいるといいです・・・・」

~fin~


→さすがに、戦艦大和のお話までは、引用しかねます。
興味のある方は本家、『旧日本軍弱小列伝』リンク済みを、御参照下さい。
なおこの引用文も、勝手に「姫」「下僕(飛べない~の名はちょっと遠慮しました)」と名付けたアイコンの名や挿入方法も、全て引用責任ですので御容赦下さい。実際、ご本家の方が文字色や大きさも自在で、絶対に面白いと太鼓判を押します。


《前編・参考書籍など》

やっぱり勝てない?太平洋戦争―日本海軍は本当に強かったのか
「やっぱり勝てない?太平洋戦争」制作委員会(著)

(ゼロ戦や大和の最強説に異を唱えています:原典より)

ジパング (18巻)
かわぐち かいじ (著)

(日本機を撃墜しまくるスピットファイアMk5!
すばらしくカッコよい:原典より)

続日本軍の小失敗 光人社NF文庫
最強兵器入門―戦場の主役徹底研究 光人社NF文庫

グラマンF4Fワイルドキャット 世界の傑作機 №68
グラマンF6Fヘルキャット   世界の傑作機 №71

グラマン戦闘機-零戦を駆逐せよ 光人社NF文庫


《中編・参考書籍など》

零戦の真実 講談社+α文庫
坂井 三郎 (著)
零戦の運命〈下〉―なぜ、日本は敗れたのか
        講談社プラスアルファ文庫
坂井 三郎 (著)
英独航空戦-バトル・オブ・ブリテンの全貌
        光人社NF文庫
飯山 幸伸 (著)

撃墜王アフリカの星

世界の傑作機 (№109)
「メッサーシュミット Bf-109・2」

世界の傑作機 (№102)
「スピットファイア」

零戦燃ゆ〈6〉 文春文庫
 柳田 邦男 (著)


《後編・参考書籍など》

零式艦上戦闘機11-21型
 世界の傑作機 №55

零式艦上戦闘機22-63型
 世界の傑作機 №56

零戦 文庫版航空戦史シリーズ(1)
 堀越 二郎 (著)、奥宮 正武 (著)

零戦の遺産-設計主務者が綴る名機の素顔
光人社NF文庫 堀越 二郎(著)
 (零戦を設計した堀越二郎技師の
  零戦マンセー本:原典より)

零式戦闘機 新潮文庫
 吉村 昭(著)
 (昭和43年刊行のトンデモ本:原典より)

 大空のサムライ〈上〉死闘の果てに悔いなし
  講談社プラスアルファ文庫 坂井 三郎(著)
  (有名な零戦エースの戦記本:原典より)

 大空のサムライ〈下〉還らざる零戦隊
  講談社プラスアルファ文庫 坂井 三郎 (著)

零戦撃墜王-空戦八年の記録
 光人社NF文庫 岩本 徹三(著)

撃墜王列伝-大空のエースたちの生涯
光人社NF文庫 鈴木 五郎(著)
 (第一次大戦から第二次大戦までの東西の撃墜王を
詳細に解説・カバー写真はリヒトホーフェン:原典より)



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本来は、『あんのんブログ・HINAKAの雑記』としてSo-netブログであったものが、So-netブログから追い出されて、ここで新たに構築するモノです。

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