『響け!ユーフォニアム』は児童ポルノと「解読」される?――日本のおたく文化とその国際性の限界



The Huffington Post(ハフィントン・ポスト)リンク済み』より
http://www.huffingtonpost.jp/kaoru-kumi/otaku-culture_b_8746632.html

【※】ハフポスト日本版は、12月02日に「『響け!ユーフォニアム』は児童ポルノ? アニメ評論家・久美薫さんの発言が物議」という記事を掲載しました。
記事中で発言を取り上げた久美薫さんから「この件で説明したい」と寄稿の申し出がありました。(ハフポスト日本版編集部)


『響け!ユーフォニアム』は児童ポルノと「解読」される?――日本のおたく文化とその国際性の限界(リンク済み)


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

〈問題の?ツィート内容〉



私たちは知るだろう、知らねばならない @ElementaryGard

こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。
だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。


ユーフォポルノ2


2015年11月30日 18:14




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寄稿本文


見てもらったほうが早い。左は、『響け!ユーフォニアム』の原作小説2巻のオリジナルの表紙。右はアニメの版権イラストを使った新しいブックカバーだ。
現在発売中の小説本(の第1巻)はこのブックカバーがオリジナルの表紙の上にかぶせられている。



ユーフォ比較4


左が「響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」(宝島社文庫)第2巻表紙

この版権イラストに描かれているのは、日本の女子高生にしては不自然なほど長く、艶めかしい生足。
性とは無縁の場所であるはずの高校の教室とおぼしい場所で、靴下もはかず、まるで映画『嘆きの天使』のマレーネ・ディートリッヒのようなポーズで、カメラ目線で上目遣い。そして金管楽器の冷たい感触と対比させるかのような暖色系の肌...

もうおわかりだろう。昭和臭すらする地味で堅実な表紙絵だったのが、アニメ化スタッフの手で、見る側の性的妄想をかきたてるような味付けが、こってりとほどこされているのである。

断っておくと私はこのアニメ『響け!ユーフォニアム』を児童ポルノであると決めつけているのではない。それどころか文系部活の青春物語としてよく磨き上げてあると思った。
来年4月に劇場版が、さらに後にはテレビシリーズ第二弾がお目見えするとの報に、ファンが歓喜し胸ときめかすのも理解できる。

しかしながら青春物語としてのこのアニメに私はいっさい思い入れがないことをまず告白しておく。それなのにどうしてわざわざ取り上げるのかというと、ずいぶん前から主に欧米圏で叫ばれる「日本のANIMEは性行為と暴力まみれだ」という声、たとえば「Why hasn’t Japan banned child-pom comics?(ANIMEやMANGAは児童ポルノだらけなのに日本はどうして取り締まらないのか?)」(今年2月にイギリスBBC記者がアキハバラを回ってまとめたレポート参照)という糾弾が続いている事実を紹介し、論ずるにあたって、この『ユーフォニアム』は非常に興味深い分析対象と考えるからである。



BBC記事2

BBC記事「Why hasn’t Japan banned child-pom comics?」



■『ユーフォニアム』は児童ポルノなのか?

まず反論からいこう。
アキハバラを彩る童顔美少女たちは児童ポルノとは血筋が全く異なる。

児童ポルノとは何か?国連の議定書によると「現実の若しくは疑似のあからさまな性的な行為を行う児童のあらゆる表現(手段のいかんを問わない)又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位のあらゆる表現」のことだ。

言うまでもなくここにある「児童」とは、日本の法においてはCGやイラストの類ではなく実在する児童のことである(※1)。
日本のおたく文化のシンボルともいえる童顔美少女たちは実在ではないのだから、設定上7歳であろうが17歳であろうが児童ポルノと外国から断罪される筋合いではないだろう(※2)。


■京アニ作品「も」性的なイメージでいっぱい

だが、児童ポルノではないとして、ポルノグラフィーではないと言い切れるだろうか。

アニメ情報誌や公式サイトにあふれる『ユーフォニアム』の版権イラストを拝見するに、これらの絵を描いた人間が、見る側の性的妄想を喚起するしかけを、これでもかと挿入しているのがわかる。改めて原作小説の表紙と比較してみよう。



ユーフォ比較2



左は原作小説第1巻表紙。右はアニメ専門誌『アニメスタイル』第7号の表紙(メディア・パル)

いかがであろう。
右側の、まず中心に立つキャラクターを見てみよう。風でそっとまくれ上がっているミニスカートから伸びる足は、この童顔とはどこか不釣り合い。そのうえこの艶めかしい足と対比するかのように大きな金管楽器ユーフォニアムを抱えこむポーズ。右には巨大なチューバに手をかけながらミニスカ姿で膝づくキャラクター。建前は人物を三角構図に配置するためだとして、実態は屹立した男性器を服従ポーズをとって手と口で愛撫する(前の)ポーズに似せるためか。

金属楽器でないと肉体と金属の対比が演出できないことを意識してか弦楽器コントラバスは後ろに目立たぬよう配置され、一番奥に立つ人物が持つトランペットは、それほど大きくないため肉体/金属の対比インパクトが薄いと判断されたのか手前の人物の頭部でそっと半分隠される。

これだけではなく、現在出回っている同作品のほかの版権イラストを分析していくとさらに面白いものが見えてくるのだが紙面の都合でここでは省略する。「それはお前の個人的妄想だろうが!」 そうだろうか。
試しにGoogleで画像検索を「ユーフォニアム エロ 同人」でやってみれば、いろいろ刺激的なものが見つかるだろう。


■瞬間的に性的イメージを喚起するにはこれで十分

このアニメを作ったスタジオは、童顔美少女たちに性的なポーズを巧みにとらせる技に抜きんでている。

ぱっと目で、見る側に性的なイメージを喚起させ、よく見るとただの楽器であり吹奏楽部のユニフォームであり風の偶然であるとわかって「なあんだ」に着地する。だが一瞬とはいえ脳内に広がった性的イメージは見る側の無意識に沈殿していく。
作品自体は清楚でひたむきな青春物語だけれど、版権イラストを通して性的なイメージがたっぷりコーティングされるのだ(※3)。

いやもっと踏み込んで分析するならば、版権イラストではたっぷり性的なイメージがコーティングされているからこそ、私のようなひねくれ者がこのようなふとどきな分析を仕掛けてきても「作品を冒涜している!」とファンの力で封じ込められるよう、現在の日本のテレビアニメで追及できる最高の技術と演出力を投入して本編はとことんピュアでひたむきな青春物語に昇華しているのである。

誤解してほしくないが私は吹奏楽を楽しむ人間がそろって色情魔だとか罵倒しているのではなく、そのつもりもない。
ただ上に紹介したサブリミナルの技に秀でた人間の手にかかれば、カスタネットでもなんでもセクシャルなイメージ喚起に使いこなしてしまうだろうといいたいのだ。事実このアニメスタジオは数年前に女子高生のロックバンドを描いた『けいおん!』という作品(の版権イラスト)のなかで、ギターを巧みに男性器のイメージに転換してみせている。

「ギターの弦を奏でるのがどうして男性器の愛撫と同一視されないといけないの?!」「金管楽器は口でくわえたりしない!マウスピースもお前は知らないのか?」 もっともな反論だが、版権イラストを眺める者の脳内に瞬間的に性的イメージを喚起するにはこれで十分なのだ。細かな差異など遠くからは見えはしない。

ちなみにこうした技は日本の発明ではなく、20世紀前半にアメリカで花開いたSF雑誌のイラストあたりにもういくらでも確認できるし、今ではどの国でも広告をはじめ使い倒された手ではあるのだが、それが極限まで「洗練」されたのが日本のMANGAやANIMEやゲームやその周辺のもの、つまりおたく文化の現在の姿である。


■外国人には児童ポルノと見分けがつかない

見た目は清純でも、裏にはポルノグラフィーの感性がべっとりとくっついている... そういうものは日本だけではなく、ハリウッド映画のポスターでもなんでもいくらでも類例は見つかる。

だが「子ども」向けとされるものに、そういう性的イメージをこれでもかと盛り込むのはやはり日本の特異な点であろう。
ピクサーのアニメは家族向け、つまり子ども「も」見ることを念頭に置いて、セクシャルなジョークや性的サブリミナルをしかけてくることは(まず)ない。一方で日本の『クレヨンしんちゃん』シリーズは、子ども向けといいながら性的ジョークや、子どもが親をからかうギャグ、それに現代日本を揶揄し風刺するようなテーマを盛り込んでくる。

「おとな」向けと「子ども」向けの、二つの顔を使い分けることで日本のおたく文化は、本来この両者のあいだで分断されているはずの様々なモチーフを化学反応させ、奇想天外な、そして確かに面白い作品を生み出し続けている。先日劇場版が公開されてファンのあいだで激賞が続く『ガールズ&パンツァー』のように、女子高生がまるでバスケか何かの部活動のように戦車を乗り回して他校の生徒たちと市街戦を繰り広げて観客に感動の涙を誘うという、ハリウッドではとても発想できないようなエンタテインメントが生まれてくるのだ。

「子ども」でもあり「おとな」でもある――このダブルスタンダードを見逃すことで日本のおたく文化は世界にも類を見ない、マージナルでモラトリアムな欲望開放空間として進化した。そしてそのまさに申し子としてあるのが、童顔だがナイスバディの未成年設定(でないものもあるが)女子キャラクターたちだ。ナイスバディでない場合でも、それこそ先に分析したサブリミナルの技を駆使してエロスの視線を喚起しにかかる。
首から上は「子ども」だが、首から下は「おとな」の身体という、キマイラもケンタウロスも素足で逃げ出す不可思議な仮想メス生物がこうして増殖する。

仮想生物であるからこそ、外国人には冷静な判断ができなくなる。そしてこう判断される。「児童ポルノではないか!」と。

■もう半世紀も前から問題視されていた

「おとな」と「子ども」を明確に分ける倫理観、人間観をもつ文化圏の人間の目に、「おとな」と「子ども」を使い分けるポップカルチャーは言語道断なものに映ってしまうのである。

今から50年以上前、日本で最初の国産テレビアニメ『鉄腕アトム』がアメリカに、そしてヨーロッパ各国に輸出され、各地で子どもたちを虜にしたが、親たちからは「いくらロボット少年でもわが子をサーカスに売りとばすなんて!」「どうして毎回十万馬力で相手のロボットを壊しまくるのか?」と非難され、原作者にしてアニメ化の責任者でもあった手塚治虫が腹を立てた。
「いったい、あのフランス・ギャングや、マカロニ・ウェスタンや、戦争賛美映画を容認している連中はどこへ隠れたのか?」

ところが実際に現地を回って話を聞くうちに、その批判がけっして感情的な言いがかりなどではないと思い知らされていった。
「つまるところ、子供の番組であるがためらしい。日本の子供とちがって、欧米の家庭では、子供におとなの番組は見せない。子供は、自分たちの番組がすむとさっさとテレビを消してしまう」「これは単なる噂かと思って、ぼくがあちこちの家庭を訪問してみたところ、たしかにその通りであった」(※4)。

これはとても入り組んだ話なので、後日別の場所で論じなおすつもりだが、もし興味がある向きには拙訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』(フレッド・ラッド著、ハーヴィー・デネロフ編、NTT出版、2010年)に当たっていただきたい。
「子ども」「おとな」の境について、東西でここまで違いがあることを思い知らせてくれるだろう。

■国連が動き出した

そして今年10月、国連から派遣された調査官による日本の児童ポルノの実態調査と、その中間報告も兼ねた記者会見を思い出していただきたい。
「日本での女子高生の援助交際率は30%」という数字をめぐって大騒ぎになったのは記憶に新しい。しかしながら本当に注意を払わなくてはいけなかったのは、後半の質疑応答の際の彼女の発言のほうだったのではないか。






Lastly, I would like to encourage the Government of Japan to conduct comprehensive research on the root causes, push and pull factors, scope and impact of the various forms of sexual exploitation of children and the sexual commodification of children, in order to inform effective policy-making and public debates on certain topics, including the issue of manga and anime.

「~最後に、日本政府については、様々な形態で行われている児童の性的搾取ならびに性的商品化の根本的原因、需要と供給の関係要因、広がりと度合いについて包括的な調査研究を実施することを望みます。そうすることで効果的政策決定にくわえ、広く議論を喚起することが可能となるからです。そうした政策決定および議論の対象として、MANGAやANIMEにおける児童ポルノの問題も含まれるべきです(※5)」



彼女の発言には、おそらく日本側の協力者との行き違いや誤解もあってか法理論上の瑕疵も見られるが、それでもMANGAやANIME、つまり日本のおたく文化についてポルノグラフィーの視点からとことん論じなおすべきではないかと問題提起した点に、私は着目したい。

そう、論じなおすことからはじめるしかない。日本がバブル景気に沸いてアメリカとの貿易摩擦で日米関係が悪化していた平成頭に、大阪府堺市の奇妙な市民団体が「日本のまんがは黒人差別でいっぱいである」と糾弾を始め、それにアメリカ側の大手メディアが反日感情に煽られてかうっかり乗ってしまって、その結果手塚治虫の名作『ジャングル大帝』までが出荷停止となった事件があった。「人種差別反対」という絶対正義タームの土俵に載せられてしまった日本のまんがは、ニューヨーク・タイムズやCNNなどのアメリカメディアを前にこれほど脆く、情けない姿を見せたのだった。

「たかがまんがで」と思いたくなる気持ちはよくわかる。しかし、そういう情が通用しない相手を説き伏せるには、徹底して自己分析して理論武装をするしかない。それは喩えるならば、自分の自慰の際に思い浮かべる性的イメージを逐一言語化してパブリックに説明するがごとき、痛ましくも恥ずかしい努力の積み重ねとなるだろうが。

そしてその努力の末に思い知るはずだ。どんなに論理を積み重ねても防御しきれないものが、おたく文化のまさに中核をなしているのだと。

先日私がツイッター上で『ユーフォニアム』をポルノグラフィー分析の手法で解読したところ、一時は全国トレンド一位になってしまうほどの怒りの集中砲火を浴びたのは本当に光栄だった。だが私が仕掛けたのは実戦ではなく、あくまで模擬演習にすぎない。それは肝に銘じてほしい。

カール・マルクスいわく、「歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として」。いつか本物の黒船がやって来るとき、私たちはどこまで言論で戦えるのだろう。


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※1 ただし架空のキャラクターであっても「児童の性的搾取」と法的判断される国はいくつか存在する。ここには法哲学上の大きな矛盾があるのだが詳しくは別の機会に

※2 ちなみに「児童」の年齢については国によって定義が違っていて、ドイツだと13歳未満、アメリカだと州によって異なるため一概にいえない。日本では学校教育法でいう「歳6以上13歳未満」とみなされているが、ほかの法との兼ね合いで厳格には定義されないまま今に至っている。

※3 ここで私が「版権イラスト」と強調しているところに注意してほしい。実際の作品では性的イメージ喚起の技は控えめにして、版権イラストでたっぷりしかけてくるのである。

※4 『手塚治虫 僕はマンガ家』(日本図書センターから1999年に再版。1969年版準拠)の序章から引用。



手塚治虫 僕は漫画家

〈Amazonリンク済み〉




※5 ここの発言部分には「児童ポルノ」とないが文脈から判断して訳文に含めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆








正直なところ、始めツィッター記事の内容を見た時、多くの人と同様に作者の精神を疑ったモノです。


私たちは知るだろう、知らねばならない @ElementaryGard

こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。
だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。


ユーフォポルノ2


2015年11月30日 18:14


もし『The Huffington Post(ハフィントン・ポスト)リンク済み』がこの記事を取り上げ、なおかつその反応に対する、作者の寄稿文を取り上げなければこれはもう、見当違いも甚だしい意見という事で片付けてしまうところでした。
ではこの〈寄稿文〉で、納得できるかというとどうしても首を傾げる部分があります。

~一時は全国トレンド一位になってしまうほどの怒りの集中砲火を浴びたのは本当に光栄だった」とまで書いている以上、この記事自体が挑発であり反発や反論否定の集中砲火を浴びる事が目的だった!
ならば当然この〈寄稿文〉にあるような、「ある種の理路整然とした反論や説明」が為されるべきでしょうが、この後のツィッター記事を見る限りそのような展開では無く。
言ってしまえば、悪口雑言と罵倒の繰り返しという、泥仕合の平行線にしか見えません。その原因が、元の記事に対しる悪意に満ちた悪口雑言であるにしても、これでは「そもそも注目を浴びる理念」と、乖離していると、思わざるを得ません。そもそも、なぜこのような挑発的で一方的な内容の記事を、敢えてツィッターに載せたのか?という行為が、大きな疑問です。

口火を切る場所として、多くの人に見られ易く拡散し易い場所としてツィッターと言う場所を選んだのだとしても、文字数制限のある「呟きの場」では感情的な暴言の応酬になる事は、目に見えています。
もし最初から、この〈寄稿文〉にあるような落ち着いた、ある種理性的ないけんをお持ちであるのならば、(御自身がそう信じているのであれば!特に!!)別のホーム・ページなりブログなりで、この持論を展開すべきであったと思います。もし「その様な時間は無い!」と仰るのであれば、むしろ逐次間髪を入れずにツィッター上の意見に反論されているのを見ると、とてもそうは思えません。
まァ、個人的に得意不得意がありこの〈寄稿文〉のような形で、持論を展開するのでは無く、飽くまでもツィッター上の説明や反論に終始したいと言うのであれば、仕方ありません。
タダだとしたら、この〈寄稿文〉に在るような一種の思想信条があるようには、先ず見えないと思います。

今回は幸いにして《The Huffington Post(ハフィントン・ポスト)リンク済み》がこのような機会を設けてくれましたが、当事者が「だが私が仕掛けたのは実戦ではなくあくまで模擬演習にすぎない」とするのならば、やはり落ち着いて持論を展開し、批判・反論・異論に対して丁寧にせつめいかつ、反論できる「自分の場をネット上に持つべき」だと思います。
ブログであればコメント欄などでは無く、ブログ本来の討論の方法である〈トラックバック・システム〉を用いて、互いに相手の意見に対して「言及ブログ記事」で応じるべきだと思います。あるいは、公開前提でのメールの意見のみ、受け入れるという方法もあります。書き込み自由な掲示板的なものでは、ツィッターと同じように意味の無い短い文言のみとなるかもしれません。ただ、それには予め文字数を何文字以上などの制限を設けておき、まともな回答や意見・感想を求めていないと自身で判断されたものに関しては、その理由を添えてこのような公開削除をするも良し。理由を添えた上で、《削除しました》と表記するも良しかと、思います。
とにかく、いつもいつも『The Huffington Post(ハフィントン・ポスト)』のような場が、取り上げてくれるとは限りませんので。

そしてもう一つ、この〈寄稿文〉はワザとなのか、無意識にか分かりませんが大切な部分が、ゴッソリ抜け落ちているように思えます
基本的にこの主張の根幹は、「欧米ではこの程度でも児童ポルノと判断されますよ!」という警句と、「もしこのまま国産作品を輸出すると『日本は児童ポルノ天国』と誤解され世界的に糾弾の上孤立してしまいますよ!」という警句なのだと、思います。
この点に関しては、「そうかもしれないなァ~」と思うしかありません。簡単に言えば、「クジラ類を食用として捕獲するとは何と野蛮な!」という意見と、何ら変わりありません。
感情論で責める相手に、いくら理性的に解説しても理解してもらう事は不可能です。立場を入れ替えて、「」を食用として飼育するとある国の食文化に対して、一般日本人がどう思うか?と考えれば、分かりやすいでしょう。

非実在青少年」という言葉とともに、大いに話題となった東京都の「青少年健全育成条例」ですが、紆余曲折の末何とか「アニメやマンガのキャラクターは含まない」という形で、成立しました。
結果的には、決して楽観できる状況にはありません。条件的にはかなり厳しく、さらにいつより激しくなるかわからな状況において、心配された《業界の自主規制》が一段と、深く暗い影を落とし始めています。

一例を拙ブログ記事の、『TV放映中のアニメ「ToLOVEる・ダークネス(とらぶる・だーくねす)」に見る表現自主規制の実態!(リンク済み)』から、1例を取り上げましょう。


ToRo008.jpg

規制なし:販売用DVDなど


ToLo010.jpg

TV放映版:規制有り


一応説明しておきますと、上の画面は販売用(これを「セル(販売用)」と言います)DVD版で、なぜこれが放送画面だと向かって左の女の子のお尻に、「見ちゃダメ雲」が掛かってるのかというと。
彼女の設定は、小学5年(6年?)生。やや体格に対して小さめのランドセルが、その証拠!隣を歩いているのは、彼女の友達で宇宙人。宇宙最強の殺し屋!?年齢は不詳ですが、作品内では舞台となる一緒にいる女の子の高校生の主人公?である兄の学校に、転校生として現れるので高校生と言う事で良いのかも知れません。
でまァ、宇宙人で長い髪で背後からは体形が隠れて見えない方は、例えミニ・スカートでもOKで、ランドセルをしょった同じくらいの体格の明らかに小学生の女の子(ランドセルが証拠!)が、パンツが見そうなくらいのミニ・スカート(ローアングル・カットですから・・・)で、歩く後ろ姿のスカートはNG

もはや論じるまでもなく、これは児童ポルノ規制表現対策です。
個人が選択し、買い上げる販売用(もしくは有料配信版)は構わないけれど、誰でも見られる無料の放送版には「危なそうなところには例え不自然でも見せない!」という姿勢は、どうなんでしょう?そもそもこの作品は、いわゆるラッキー・スケベとかハーレム計画とかが蔓延する、いわゆる「Hなマンガ」が原作ですから、その意図に沿ってアニメを作れば当然で必然的にこうなります。

ですが昼間の往来で、仲良しの女の子二人歩いている後ろ姿。
一瞬にしても、片方には明らかに不自然な雲が付くこんな事を製作者が最初から意図していたのでしょうか?とてもそうは思えません。さらに言えば、少なくとも日本では元々の原作マンガがそういう方向性で有る以上。作った後から、それを否定するような目隠しを付ける事自体に、違和感を覚えます。
なぜなら、そもそも目隠しで見えないような場面を、作る必要は無いからです。まァ、販売用のCMとしての効果は、あるかもしれませんが・・・。それを期待するには、掛ける手間暇が大き過ぎないでしょうか?

何で、こんな事になるのか?それが、今回のそもそもの問題点でありながら、なぜか当事者が触れていない事です。
既によく知られている事ですが、東京都が後に引っ込めた「非実在青少年」という、マンガやアニメに登場する架空の若い男女を実在する青少年と同一に扱う!ある種、驚天動地の発想から来ています。
余りにも非現実的で、非常識な発想に注目が集まり、結局この案は撤回されましたが、描かれた絵に規制をかける事が出来るようにした条例は結局成立してしまいました。この時注目されたのが、海外の宗教団体がこの条例案成立に、大きく関わっていたという事実です。日本の国内宗教関係者は一人も関わっていないのに!です。

欧米の児童描写に関わる、極端にも思えるモラル・スタンダードは、結局のところこの宗教的モラルによって、多くが形成されています。
ところが宗教的なモラルとは、結局のところ精神論でしか有りません。逆に言えばその精神的文化や、似た下地を持たない人々には、理解不能と成ります。逆に日本人は一般的に、個々人が持つ信仰観は大切にしますが宗教というものの組織化された規律や規制一般に戒律と呼ばれますが・・・)には、その信徒以外はむしろ極端な拒否反応を示します。
多くの一般日本人は、多神教と言うより多信仰です。年末には、クリスマスケーキを食べて年越し蕎麦(ソバ)を啜り、2年参りと言いながら寺の鐘を突いて、初詣として神社でお札と破魔矢を貰って帰り、雑煮を食べる。この習慣に何の疑問も、抵抗も感じません。もちろん、クリスマスを祝わない人も神社に行かない人も、お寺で全部済ませる人もいます。ですがどちらかがどちらかを、「不信人!」「罰当たり!」などと言う事は、まずありません。

神も仏も無い」などと慣用句として、当然の様に使っています。
ある意味で当然の様に、日常に信仰があって当たり前。ただそれが何か、特定の宗教(組織)に固執する事には、かなり神経質です。古代神話の中ですら、神々はかなり身勝手でルーズに見えます。道徳的なモラルなど、有るのかしら?という状況は、地域差とそれぞれの時代背景によって、都合良く作られた為に古代ギリシャ神話の様に、かなり混沌としています
典型的な多神教徒でありながら、いやそれだからでしょうか?新しい宗教や神様にも、かなり高い順応性を示します。おかげで諸外国から見れば、「信仰心の無い国!」とすら、思われてしまいます。
信仰心は、昔も今もかなり高いと思います。ただ、ある宗教に完全に帰依したくは無いし、その戒律に縛られたくも無いというのが、一般的だと言う事です。その為、近代以降最も「法を最上位のルール」とする事を受け入れて来たと、言えると思います。いわゆる宗教国家とか、国家宗教が強い国は宗教上の戒律が、人間の作った法の上位に「無意識的に来て」しまいます。人間ごときが作った法が神の戒律に及ぶハズが無い!

自由で平等で民主的な、国家を作ったはずの先進欧米諸国は、政治と宗教の分離には成功したのかも知れませんが、法の下での平等と神の前での平等・・・この神様が似ていながら、微妙に異なる事も問題です。
結局宗教的な、戒律の呪縛からは逃れる事が出来ずに、「法の下での平等」と「表現の自由」の前に、大きく宗教的束縛が立ちはだかりました。しかもこれは目に見えない、極めて曖昧で線引きの難しい問題に、近年になればなる程なって来ました。
しかし、日本が順法意識の高い国だなどとほとんどの日本人は思っていないと考えます
結果として、特に第二次大戦後の日本人には、「法に勝る規律が存在しない」状態になり、「法律は最低限の倫理・道徳」という理念が、受け入れ易かったのだと思います。

そして、まさにその時期に一人の天才によって、ストーリーマンガストーリーTVアニメシリーズという2つの文化を構築し、やがて日本を代表する2大輸出文化産業となる基礎が創り上げられました。
その人の名は、もちろん《手塚治虫》氏。ただ最晩年にこそ、「日本が世界に誇る新文化の祖」とか「世界が認める日本のストーリー・マンガ&TVシリーズ・ストーリーアニメの創造主(それまで世界中のTVアニメで、毎週1回の連続ドラマなど不可能とされていました)」などと持ち上げられていましたが、御本人にとっては片腹痛しだと思います。何しろ、その創作活動が最盛期の頃の、彼のアニメとマンガはまさに、世間の袋叩きに合っていました。
これだけの功績を上げ、結果として毎年国のGNPにも影響するほどの輸出文化産業2つを、ほぼ自力で築き上げた功労者に対して、我が日本国は国としてほとんど何の名誉も報奨(没後・勲三等瑞宝章を授与)も与えていません。正直なところ、生前に「文化勲章」を、没後でも「国民栄誉賞」は必然だと思います。



教育界はもちろん保護者の団体から、政界に至るまでまさに日本中が「手塚こそ悪の象徴」と言わんばかりに、そのマンガの発売中止やTVの放映禁止を訴えました
実際に、児童からマンガ(雑誌や単行本)を集めて、それを校庭で燃やすというまさに「焚書」を行った学校すらあります。この全国的なマンガやアニメの排斥運動に、脆弱なマンガ家やアニメ作家達の最後の拠り所こそ、戦後はっきりと定められた「表現の自由」と「法の下の平等」の精神でした。
特に第二次大戦中の、言論や表現活動を厳しく弾圧された、書籍編集者やあらゆる創造作家達は、「その作品の是非に関わらず、その作品を作る自由は守らなければならない」として、陰ひなたに手塚氏や彼に続く若い漫画家達、そしてアニメを作る会社や、組織を庇いました。
もちろん反対に、「だから検閲は必要だ!」と叫ぶ人々もまたいましたが、現代よりもはるかに戦争の爪痕が濃厚な時代。人間の表と裏、生命の神秘と生殖活動の明暗。さらには生と死など、人間そのもの本質をえぐる作品を描き続ける、手塚氏の姿勢は多くの支持もまた集めました。
手塚氏は終生「僕はヒューマニストじゃないッ!」と、言い続けたと言われています。

さてでは何が言いたいのかと言えば、やはりこれは決定な背景文化の違いで、ダブル・スタンダード(2重もしくは適時境界線を上下させる)以外、解決しようの無い問題だと思います。
主観の問題として、この方が「児童ポルノに関する欧米のスタンダード絶対主義!」を取るのであれば、これはもう永久に平行線です。ただし、欧米スタンダードを「グローバル・スタンダード」として日本国内の、特に創作作家に押し付けるのは絶対にやめていただきたい
それは日本の産業文化としてのアニメやマンガを、「敢えて潰す」事になりかねません。

決して「欧米スタンダードが常に日本に合わない」などと、妄言を弄する気は、全くありません。
むしろ日本多くの部分で、社会的人間的そして組織的な問題の多くが、未だ欧米のスタンダードに劣っている事は周知の事実です。それらは非常に明快で、分かりやすい線引きです。であるのに、なんで最も分かり難く曖昧で、解釈次第でどうにでもなる部分。欧米がその見えない宗教的な戒律や習慣により、科学的合理的に抜け出せない部分だけを積極的に導入しようとするのか理解に苦しみます。

文化産業摩擦は、各々国や地域に適した形に修正するか、あるいは輸出時に相手側へ修正を前提にする事を、お座成りにせずにキッチリと契約形式で約束すれば済む事では無いでしょうか?
そして何よりも現在緊急の課題は、このような「人間の妄想空想の具現化したこの世に存在しない絵姿」の事ではなく、「今現在、実際に現実に呼吸をし心臓が脈打ち体内に血液が流れる子供達を有形無形の暴力や圧力で肉体的精神的に肉親知人他人含めて凌辱されているまさに悲劇的な境遇にいる声も出せない小さな命をどんな方法でもいいから一刻も早く安全で安心できる快適で落ち着いた場所に保護する!」事こそが、求められているのです!

乗り越えるべき欧米の価値観と、宗教的価値観で精神的にがんじがらめに拘束されている価値観を、同一に論じる愚を侵すべきでは無いと思います。




 






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