もはや歴史上の人物というよりも、《
その存在こそが伝説》と化した感のある、
織田信長!その信長伝説の生みの親ともいうべき存在が、歴史小説の大家
山岡荘八氏の代表的な著書「織田信長」にある事は、間違いないと思います。
氏の描く「織田信長」は、織田信長に関する代表的かつ唯一無二と言っていい、史料として知られる
太田牛一(おおた・ぎゅういち〈フリー百科辞典・ウィキペディア・リンク済み〉信長の家臣で、弓が上手かったらしい……筆まめで?いわゆる信長の右筆は誤りで、右筆として使えたのは丹羽長秀や豊臣秀吉の時だそうです
)が信長の死後、自分が残した日記などから起こしたとされる、「
信長公記〈フリー百科辞典・ウィキペディア・リンク済み〉(しんちょうこうき・のぶながこうき)」を元に描かれた、今日の最もポピュラーな信長の物語です。
しかし、太田牛一はある意味で非常に律儀な人で、自分が参加しなかった合戦や事件の事など、他者からも直接耳目に入らなかった事は、残していないと言われています。おかげで、かなりの抜けや穴があり、それを後年の人々はその時代や、後に発見された資料を基に、新たに組み立てて現在に至っています。
特に有名なのが、江戸時代初期に書き起こされた
小瀬甫庵(おぜ・ほあん〈フリー百科辞典・ウィキペディア・リンク済み〉)の太田牛一の著書などから、書き起こした「信長記(しんちょうき・のぶながき)」が有名で、後にはこれが一般に普及しました。
なお、現在では一般に混同を避けるために小瀬甫庵の「信長記」を敢えて『甫庵信長記』と呼び、太田牛一のものを『信長公記』とするようになっています。ただし、読み物として優れていた為に『甫庵信長記』は、当時からベストセラーとして民間にも広まっていました。
対して太田牛一の『信長公記』は、史料としての信頼性には一級品の折り紙が付いていますし、いわゆる軍記物としても面白いという評価ですが、一般的にはかなり無味乾燥なイメージが強いようです。
何しろ、当の甫庵は〈太田牛一を「
愚にして直な(正直すぎる)」と
侮蔑の意を込めて評して〉いたそうですから……。
この為有名な、「桶狭間の奇襲説」「長篠の鉄砲三段撃ち説」が流布する原因となった事は、かなり早い時期から(ものによっては刊行された江戸時代から……)創作改竄説が、指摘されたようです。ですが大衆が分かり易く、説得力のあるものを求めるのは、今も昔も変わらないようです。
そしてその辺は、ある種歴史学者ではなく、
小説家としての、価値基準に山岡荘八氏も立っていたようです。
ただ実際に、近年に至るまで『
武功夜話』などの新資料や、新たな検証結果が乏しかった事。また太田牛一の自分の知っている事実を述べるに留まるという、今日の研究者にとってはありがたい姿勢を、貫いてくれたおかげで、書かれていない部分に関しては、
他の史料か想像で埋めるしかない!その際たるものが、「当時の美濃を治めていた斉藤道三の娘で、当時の尾張とは敵対関係でありながら、まさに人質込みの《
政略結婚》で、信長に嫁いで来た《
濃姫(美濃から来た姫という意味で、後に『帰蝶・奇蝶』という名が知られましたが、蝶はともかく「帰」や「奇」は、幾ら人質とはいえどうもレッキとした、正室として嫁いで来た高貴な女性の呼び名としては、相応しく無い気がします)後には濃御前(信長の根拠地・岐阜城は、元美濃の国の主城であり濃姫の故郷でもある、稲葉山城跡に造られたので、その女主人となった人を、濃御前と呼ぶのは濃姫からの習いとして、当然という気がします)から安土御前(安土城に移ってから)とも呼ばれたようです》という信長の正室に関する記述が、ほとんどまったく婚礼以後、記されていない事です。
この為、近年までは結婚はしたけれど、早々に美濃に返された!とか、どこかの寺に押し込められて、早死にしたとか、正室でありながら放置されていた(当時はそういう事もあったようです)等々。
こう言っては何ですが、山岡荘八氏の「
織田信長」に描かれている、美人の上にマムシ(父・斉藤道三の異名)の娘らしく剣術の心得もある。
鋭敏で機知に富む賢夫人として、信長の良き妻として、
常にその留守を委されて怠りなく。また主人の目の届かない、家臣や領民の女性・女房達への気配りを忘れない、
見事な女主人ぶりを発揮した!希有な女性だったと、信じたいところです。
濃姫〈のうひめ〉
天文4年(1535年)?-弘治2年(1556年)09 月19日?/慶長17年07月09日(1612年08月05日)?
戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。
斎藤道三の娘で、織田信長の正室。名は江戸時代に成立した『美濃国諸旧記』などから帰蝶(きちょう)とされる。

清洲城模擬天守横にある「濃姫之像」
〈後略〉
史実に残る、信長の家臣達の有名な女房達。
豊臣秀吉の正室、御寧々。前田利家の正室、御松。山内一豊の正室、御千代(見事にNHK大河ドラマの女性主人公が並びました!)などなど、戦国時代末期にこれらの女性達が、夫の武功に引けを取らない活躍をしたのも、
彼女達正夫人がそのような女丈夫であったからと、
考える方が自然だと思います!特に、成り上がりの尾張の信長から秀吉が活躍できたのは、彼女ら正夫人の時には内助を飛び出した、活躍が多かったからでは無いかと、推察されます。となればその最初の、いわゆる時代を切り開いた革命児とされている
織田信長もまた、
正夫人である濃姫を大切にしていた。大切にしなければならない理由、つまり自分が最前線で指揮を執っている間も、根拠地である本城が安泰だという安心感を、
充分に与えてくれるだけの人物に留守を任せていると、
考えるのが妥当だと思います。
山岡荘八氏の「織田信長」は、まさにその前提で
濃姫を描いた、
傑作歴史小説で有る事を、間違いでは無いと確信しています。
そしてそれを、TV朝日は以前にその名もズバリ「
濃姫」と言うタイトルで、スペシャル時代劇として、山岡荘八氏の「織田信長」を原作とした上で、なんと「
濃姫」目線で、信長と時代の趨勢を描いた作品を放映しています。
日本の歴史上の人物で最も人気が高い武将、織田信長。
謎の多い人物ではあるが、家臣だった太田牛一が著した『信長公記』という第一級の資料が残されており、現在、信長に関するさまざまな史実は、この書物を基に考証されている。
しかし、その『信長公記』にさえ、ほとんど記述のない重要人物が存在する。信長の正室・濃姫だ。
油売りから立身出世を果たした"美濃のマムシ"こと斎藤道三の娘であり、政略結婚で信長の正室として尾張に嫁いできた、濃姫。婚姻の事実は資料にも残されているものの、その後の記述はほとんどない。濃姫は、信長以上に謎に満ちた人物なのだ。
この作品は、謎多き戦国美女・濃姫の人生に焦点を当てた、大型ドラマスペシャルだ。
"日本一の大うつけ"とよばれながら数々の奇跡を起こし、天下統一を成し遂げた男・織田信長。その波乱の生涯を、最も近くから見ていた妻・濃姫。
濃姫の人物像、信長との夫婦像を新たな視点から描きだすと共に、戦国という明日の我が身の運命すらわからぬ混迷の時代をたくましく駆け抜けた男女の生き様を綴っていく。
〈後略〉
そして、今回・
2013年06月23日(日曜日・何と格上げです!)上記作品の続編が、放映されます。
ドラマスペシャル「
濃姫・Ⅱ」~戦国の女たち~
テレビ朝日
濃姫、再び“鬼”になる!?
奇跡の武将・織田信長の妻“濃姫”の半生を描く
ドラマスペシャル第2弾!
戦乱の世を激しく、たくましく生きた姫を
観月ありさが再び熱演!!

〈後略〉
だ、そうです。
言ってしまえば、「
期待しているので、
宣伝します!」と言う事です。
★当然ですが、色々とネタバレ?満載です!★
〈続きを見る〉
《ブログ拍手です管理者のみ閲覧コメントも可能》
theme : 時代劇
genre : テレビ・ラジオ