以前に放映されたTVアニメ・シリーズ『
フリージング』の最終回前、第11話をみて改めて表現規制の無意味さを実感しました。
再三再四の作品取り上げですが、決してこの作品の内容が良いとか悪いとかの
問題では無いのです!昨年施行された「
東京都改悪青少年育成条例」のように、ただ「
規制するぞ!」と、それもある意味たかが《
地方自治体独自の条例》に過ぎない規定でも、どれだけ「
自由な作品の制作や公開を妨げるのか!?」と言う実例の、悪しき好例としか言い様がないからです。
これでもし、
現在の草案通り(
そうなる可能性が高いようですが……)『
児童ポルノ禁止法』
改悪の「
実在しない未成年を性的対象として表現する事、
表現された作品を見聞きする事、
それらを所持する事」により、現実に存在する「
作品を見聞きし所持しているだけで他の法律には違反していない一般人」が、
現実に存在する法律で現実に罪に問われる!?という、《
有り得無い非現実的な》事態が、現実化するという悪夢です。
と言う事は当然、これを世間にエンター・ティメントとして提供する側が、作者や制作側の意向を尊重する事も、「
表現主体の主題や、
表現方法の探求よりも、
法的規制を恐れて自主規制を強要する!」その結果は、もはや語るには及ば無いでしょう。
これを《
表現規制!》と言わずして、何と言うのでしょう?作品の良し悪しは、それを受け取る側の意思や嗜好で、決まるものであって「
断じて無関係な第三者や機関によって判断されるモノでは無いッ!」これを、「
表現の自由」と、通常は言っています。
「この物語はフィクションに付き、実在の人物や団体とは一切関係有りません」という常套句も、通用しないこの法案を通すと言う事は、要するに「今の国会議員自身に、フィクションと現実(リアル?)の区別が付かない事を、証明しているのか?相ではなく今の国会議員は、今の日本の有権者にはその区別が付かないッ!と、判断しているのか!?」そのどちらでしか無いと、判断せざるを得ません。
《
創作の自由》を、
第三者が内容を審査判断する事を、一般的には「
検閲」と言います。
現在の日本国憲法は、これを厳しく禁じています!これは過去の、第二次世界大戦で敗戦する以前の、日本の社会状況を思い返せば、
当然であり必須の事項と思われます。特に、いわゆる
商業的な創作娯楽作品の是非は、実際に見聞きした鑑賞者の感想といわゆる市場競争の原理で、是非を判断されるべきモノです。
但し、この判断が時代と社会の変容によって、変化する事もまた許容する余裕を社会的には、求められているものです。その、文化的に自由な社会を後押しする事こそは、実は施政家に求めています。逆に言えば、「
売れない文化・芸術」を後押しする事の無い政治体制で有れば、
何もすべきでは無いッ!とすら、言えると思います。
そして、文化的にも先進国とも言われる国々の中で、唯一と言っていい〈
宗教的な精神的束縛が極端に少ない〉国である為に、まさに明文化された法的規制以外の束縛から、文化表現が自由である多神教・他宗教容認の国家・国民である事が幸いしました。
宗教的な束縛が少ない為に、その表現に無限の可能性を与えた、唯一人の天才が起こした二大創造文化産業。マンガとそこから派生したアニメと、日本の工業技術が相まって、今や世界的な一大エンターティメント産業と言われる、『
電子ゲーム』業界も、誕生しました。しかし、日本の政治家や社会一般はその成果を、常に冷ややかに時には圧力を掛けてでも無視しようとしました。
しかし今や時代の風は、まるっきり正反対に日本以外の国から吹き荒れ、マンガやアニメそして電子ゲームは、インターネットを通じ今や世界中で楽しまれる文化となりました。今さら、その最晩年に至ってようやく、この国のマンガとアニメ文化を唯一人で、築き上げたと言っていい人の功績を認め、もてはやしても全ては手遅れです。
これだけの事を成し遂げた人に、ロクに「文化勲章」というこの国最高の、文化的名誉すら与える事もなく、形無き名誉と言われる「国民栄誉章」すらその没後何年経とうと、与えようともしない国家。
その産業が産み出す恩恵のみに、感動・感激し口だけの褒め言葉を並べる、産業界の人々は実際にその作品を生みだし続けている人々が、未だにその産業の黎明期と同じ、収入も社会保障も無い「
労働基準法適用外」状態に、未だ塗炭の苦しみを味わっている事など、20年前から知っていながら知らぬフリです。
そして、この状況を作り上げたのが他ならぬ、これらの産業をほぼ一人で築き上げた偉大な天才。その、「世間や社会、企業一般に理解されないが故の、産みの苦しみよって一時的に作り出された方便」的な、一次しのぎの方法が、いつの間にか定着した結果だと言う事は、もはや皮肉と言うほかありません。
それでも、今や日本製アニメは世界を席巻しています。
その根元的な、まさに最初の一歩に当たる「
何を描くのも何を想像するのも自由!」を保証した、《
表現の自由》と言う大原則を、感性と感情に任せた一部の人の怒りと憎しみと、何等かの人々の裏事情的な利権問題から、「
被害者無き加害者の罪」と言う、
日本の憲政史上にも例のない悪法によって、
今まさにその火が消えそうな状態です。
〈前略〉
《テレビアニメ》
〈第1期〉
2011年01月から04月まで、AT-Xほかにて放送された。
全12話。地上波ではエログロ描写の一部に規制が加えられているが、映像画角は全編とも16:9でノントリミング。
AT-Xでは年齢制限が課せられているために規制が緩和されているが、映像画角は本編のみ4:3にトリミングされている。
パンドラモードの描写を変更したり、回想シーンの矛盾点を解消するなどのアレンジが加えられている。詳細は〈#原作からの主な変更点・リンク済み〉を参照。
2013年09月25日に第1期のBlu-ray BOXが発売予定。
〈第2期〉
『フリージング ヴァイブレーション』のタイトルで、2013年10月よりAT-X・TOKYO MX・サンテレビ・テレビ愛知・BS11にて放送予定。
〈スタッフ〉
原作 - 林達永、金光鉉(『コミックヴァルキリー』連載中、キルタイムコミュニケーション刊)
監督 - 渡部高志
シリーズ構成 - 赤星政尚
キャラクターデザイン・総作画監督 - 渡辺真由美
アクション作画監督 - 須賀重行
設定デザイン - 小林徳光
メカデザイン - 川原智弘
美術監督 - 桑原悟
色彩設定 - 西表美智代
撮影監督 - 森下成一、斉藤仁
編集 - 西山茂
音響監督 - 辻谷耕史
音楽 - 横山克
アニメーションプロデューサー - 安部正次郎
プロデューサー - 田中信作、立崎孝史
プロデュース - エスウッド
アニメーション制作 - A・C・G・T
〈製作〉
〈第1期〉
フリージング製作委員会(メディアファクトリー、キルタイムコミュニケーション、ティー・オーエンタテインメント、エー・シー・ジー・ティー、エスウッド、エー・ティー・エックス、ダックスプロダクション)
〈主題歌〉
オープニングテーマ「COLOR」
作詞-A.I/作曲・編曲-toko/歌-MARIA
第12話(最終話)ではEDでも使用。
エンディングテーマ「君を守りたい」
作詞-稲葉エミ&フリージングプロジェクト/
作曲・編曲-YOM・ROW/歌-小林愛香
第12話(最終話)では不使用。
〈第2期〉
フリージング ヴァイブレーション製作委員会
〈主題歌〉
オープニングテーマ「AVENGE WORLD」
作詞-畑亜貴/作曲・編曲-囚人/歌-鈴木このみ
エンディングテーマ「世界は疵を抱きしめる」
作詞-畑亜貴/作曲・編曲-囚人/歌-鈴木このみ
〈後略〉
裏事情は知りませんが、表向きはこのように完全無欠の、純日本製アニメです。
人員不足とコストの問題で、製作の多くが海外で為されている事などは、今のアニメ製作事情としては
悲しい常識です(アニメーターや声優などの中堅世代の不足問題、文字通りの空洞化現象です)。そのような劣悪な製作現場で、それでも何とか自分のイメージを形にしようとする人々の、ささやかな理想を粉々に粉砕するのが、《
法的な表現規制》です。
これらは、「
存在するだけ規制圧力」となります。アニメなど「トロロ」や「サザエさん」が有ればいいとする人々は、それでいいかも知れませんがそうでない人々には、それでは困るのです。
今回もまた、「既に現実に起こっている『
規制を予防する為の規制』の無意味で
創作者の意図を挫く無情な処理」の実体例として、この作品を挙げます。
もちろん、ビデオの販売戦略として「
ワザと隠して購買欲を煽る」という手段も考えられますが、余りにも浅はかな自分で墓穴を掘る手段です。何が描かれているのか、語られているのか
理解できない状態の作品を、その隠された部分見たさに下手をすると海外販売版の、
数倍以上の値段で購入するのは、実に限られた人だけでしょう。
この作品のスッタフ&キャストを見れば、内容の良し悪しはともかくこの作品が、とにかく「
売らんかな!」という、安直な姿勢で作られている作品では無い事が、伺えます。
しかしそれをTV放映する時に、
これほどの規制を掛ける意味がどこにあるのか?まったく、理解できません。規制されている部分には何も無い(
最初から描かれていない手抜き!)というのでは無いという事実を、ここでお見せするしか有りません。
★正直なところアクション・シーンでこういう目隠しをされると、もはや
何が何だか解らず、作品の評価以前の問題になってしまいます。
★
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theme : 児ポ法・メディア規制に反対です!
genre : アニメ・コミック