津雲むつみが肺がんのため逝去、65歳 - コミックナタリー
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突然の訃報に、茫然自失・・・言葉もありません。
まだ65歳!惜しまれ、悔やまれる人が、また一人逝ってしまわれました。
何と言えば良いのか、分かりません。
ここに、以前の拙ブログに記事として載せたものがありますので、図々しくもこれをもって御悔みとさせていただきます。
この記事は
2011年01月29日に
〈旧ブログ(現FC2ブログ)記事リンク済み〉を、そのまま転載修正したものです。
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《津雲(つくも)むつみ氏という
女性マンガ家を御存じですか?
マンガ文庫『ジャカランダ・
ロード』から。》
正直なところ、このタイトル失礼と言えば、
この上なく失礼ですよねェ~!少なくとも、
男女の恋愛TVドラマを良く見る方や、女性マンガ〈今は無き、「
YOU」とか「
Judy」、健在なのは「
BE・LOVE」でしょうか?〉の
大御所と言えるマンガ家で、何よりもこの分野のパイオニアにして、数々の名作や問題作を世に問うた、集英社の「
セブンティーン」で、創刊当初から活躍されたまさに《
女性マンガの旗手》と、言えるでしょう。
他にも多くの作品を世に出されていますが、まず
1968年に集英社からそれまでの少女マンガ雑誌よりも上の女性年齢層を狙った、マンガとファッションの総合雑誌として『
週刊セブンティーン』が登場します。
後に、マンガ部門とファション部門を分離して『セブンティーン』の名はファッション誌の『
Seventeen』へ引き継がれ、マンガ部門は『月間
ティアラ』へと引き継がれて現在に至っています。
女性マンガ誌全体の事となると、それそれで大袈裟になるので、とにかくまずそれまでは具体的に〈
女子高校生〉までを、主な読者層にしていた
少女マンガの誕生と成長に呼応するかのように、
読者もまた高年齢化して行きました。多くの知識人達による「
マンガは子供が読むもので、
大人になれば自然とマンガから離れる!」という予想は、大きく外れその作品の完成度は読者の成長と共に上昇し、「
マンガ=子供向け」と安易に考えていた大人達を、大いに困惑させていたようです。
同時に、現実の少女マンガの製作現場でも、問題が発生しつつありました。
読者の高年齢化が進むと同時に、
作者もまた年齢と共に成熟し、非常に
高度でデリケートな問題にまで踏み込む作品を、描くようになって来ました。同時に、
新しい若い新人マンガ家も台頭して来て、現実の現場では対処できなくなる事は、明白となります。
そこでいち早く、集英社はそれまでの「週刊マーガレット」や月刊誌だった「別冊マーガレット」よりも、高い年齢層の女性読者を対象にした、新雑誌を創刊します。
それが、『
週刊セブンティーン』であり、マンガ専門誌ではなくファンション記事との総合雑誌であったところに、まだ女性読者の高年齢化に対する懸念が、大きかった事を裏付けています。
そして多くの既にベテランとも言える、有名女性マンガ家がこの新分野への移行を、余儀なくされます。
この件に関しても、決して簡単な事ではなく、誰も彼もが喜んで移籍した訳では無いようです。それは、そうでしょう!?当時まさに少女マンガの片方の雄として、押しも押されもしない地位を確立していた「マーガレット」から、未知の女性雑誌の転向です。そもそも、読んでくれる読者がいるのか?すら、不安な状況でした。
ただ、ここで顕著な例を1つ上げるなら、「
ベルサイユのバラ」でまさに、一世を風靡した池田理世子氏でしたが、連載当初から編集部内では「内容が少女マンガとしては高度すぎる!」と言う、懸念がありました。
幸いにして、御承知の通り「
ベルサイユのバラ」は、少女マンガ誌上に残る大ヒットを記録し、さらに
当時種々の問題から斜陽にあった《
宝塚歌劇団》が、故・長谷川一夫氏の演出により
日本では珍しい、
本格的ミュージカルの舞台作品として、それも
女性だけで構成される歌劇団による作品としてとして、異例の大ヒットを放ちました。
しかし、マンガ原作の表現としては、もはや少女マンガの枠では、限界でした。
池田氏も当時の編集担当も、当時の回想として何度も衝突し最後には編集長まで巻き込む騒動が、1度や2度では無かったと、語っているそうです。この為、作者自身も自分の作品を乗せる舞台として、「マーガレット」という少女マンガ誌の、限界を感じていたようです。
その為、後の長編歴史ドラマとなる『
オルフェウスの窓』から、発表の場を創刊間も無い『
セブンティーン(週刊と後に月刊も創刊されたのですが、面倒なので一括りにします)』へと、移る事になります。ですが全ての女性マンガ家が、素直に移籍に応じた訳では無い事は、容易に察しが付きます。
この頃、実は《
津雲むつみ》氏は、少女マンガの中で、事実上鳴かず飛ばずの状態に、あったようです。
いわゆる、「デビューはしたものの・・・」という感じだったようですが、詳しい経緯は存じ上げません。ただ、講談社の「週刊少女フレンド」からデビューされたと言う事は、確かなようです。
それが、まさにどういう経緯か分かりませんが、新しく創刊するより高年齢層女性読者向けの、集英社「セブンティーン」から、声が掛かったようです。「
17歳」と銘打ってはいても、
狙いは明らかに大学生以上の女性向けマンガ!当時としては、未開の荒野であり既に少女マンガで大成している作家にとっては、無用な冒険は避けたかったのでしょう。
また、その作家を抱える各々の編集者にしても、自分の手駒にワザワザ危ない橋を渡らせる気はなかったでしょうから、既存の作家の移籍だけではマンガ家の数が、足らなかったのかも知れません。
ただ言える事は、
結果としてマンガ家《
津雲むつみ》氏は、最初から「セブンティーン」で本格的に作家デビューをした、最初の作家。
新創刊の(パイオニア的な)
大人の女性対象(いわゆるLCと略くされる、
レディース・コミックですが、女性向け18禁アダルト・マンガと区別する為に、敢えて「女性マンガ」と表記します)の
女性マンガから出発した、
女性マンガ家!と、言う事が出来ると思います。
そして何と言っても、
彼女の名を知らしめ不朽のものとしたのが、上にも作品を御紹介していますが、『
彩りのころ』が
1968年の創刊間も無い「
セブンティーン」
から連載されます!そしてこの作品は、他の「セブンティーン」作品と同じく、少女マンガや女性マンガの枠を越えて、マンガ界全体はもちろんの事、ある意味では当時の社会全体に対する、
大激震を引き起こしました。
後に「
このこ誰の子」と言うタイトルで、フジTVが全22話のTVドラマ化をしていますが、再放送も無く現在に至るまで、ビデオ化もDVD化もされていない、
幻のTVシリーズです。
個人的には、まったく興味の沸かないドラマですが、当時としては原作を含めて作品自体が、
衝撃的内容!だったようです。また、少女マンガに比べて(後のアニメ・ブームによるアニメ化とは異なります)女性マンガの、実写ドラマ化率が非常に高くなった事の、先駆けとも言えます。
この作品に関しては、それだけで時代や社会背景も含んだ、総合評価に値する《
長編マンガの問題作!》という表現に値しますので、とてもではありませんがこの程度のブログ記事では、安易に手は出させません。ただ、
津雲むつみ》という女性向けマンガの先駆者を御紹介するに当たって、避けては通れない作品と言う事で、引き合いに出した次第です。
皮肉を申し上げれば、この作品は文字通り
1(いち)~10(じゅう)まで、先に成立した『
改正・東京都青少年健全育成条例』に、
直球ド真ん中のストライクで規制される!内容です。
★と言う訳ではありませんが、ここからは別の作品の御紹介になります。現在のマンガ文庫タイトル『ジャカランダ・ロード』です。★
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theme : 女性向けマンガ
genre : アニメ・コミック