TVアニメ・シリーズ『新世界より』第25話・最終回「新世界より」が見せる《人種偏見》の真の恐怖!
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基本的に、常にその作品を観る場合《原作その他一切の情報とは切り離して》最初から最後まで、その作品だけで判断するのが基本です。
もちろん、原作特にアニメとマンガの場合など、《それ自体の比較が目的》の場合には、予めそれをお断りしています。今回、この『新世界より』TVアニメ・シリーズの最終回・第25話に関して、原作での記述や表現などは、一切考慮しません。
というか、読んでいないので、したくとも出来無いのですが……。
★と言う訳で当然ですが、ネタバレ。それも
物語り全体の核心部分のネタバレを、含む可能性があります。★
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〈リンク切れの為2つ用意〉
この作品は、もしかすると最終回を先に見てはいけないのかも知れません。
それほどに、有る種ショッキングな最終回です。ただ問題はこの最終回の表現が、果たして原作小説のテーマに沿うモノであるか否か?こればかりは、例え原作を読んでいても容易には、答えは出ないと思います。
ただ、ここに御紹介する感想的な見解は、個人的なものに過ぎませんが、明らかにここでは現代人である特に日本人が忘れたか、あるいは敢えて見ない様としない《人種差別の問題》です。
それは社会的な格差(階級・身分)でも、民族でも、宗教でもなく、その生まれの起源に関する差別。
いえ無意識の区別と呼んでも、差し支えがないかも知れません。それが生み出す剥き出しの人間的感性の非情さと、問題を感じたとしても社会を丸ごと変えない限り、決して実感として認識できない事の恐怖。
借りに、飢餓や貧困などの社会問題が解決したとしても、徹底的に変わり得ないだろう、深く広い溝とそびえる鉄壁の壁。
それが、生まれた時に決定付けられて、終生変わり様が無い《人種》の問題。意識的な、偏見とか見方とか、知識的な無理解とか経験からでは無い、無意識の区別の問題。
一体誰がどれほど、この問題に明解な答えを持っているのか?あるいは、持てるのか?それを無遠慮にえぐり出し、堂々と問い掛ける事が出来るのは、やはり「SF」だからだと、思います。
最後の最後で、「絵空事」ととして、回答の保留や放置を容認される分野だからです。今回は、しばらくぶりにSFの良さと、危うさに気付かされた次第です。
ここで、この着物を剥ぎ取られ、人間的に見れば醜い姿を晒す。
「バケネズミ(化け鼠)」という蔑称で呼ばれる種族の醜さを、人間達は徹底的に、笑います。その種族により、壊滅の危機に追い込まれたというのに、その言葉を理解できるというのに……。
呪力(じゅりょく)という名の、念動力(サイコキネシス)を持つが故に、手を触れずに物理法則に反してものを動かし、その延長線で他の生物をもたった1人で根絶やしに出来る。
その力を持つが故に、同じ言葉で話す事が出来て意志疎通が可能な生物。数において、圧倒的多数の彼らバケネズミを、支配する人間達。
その人間に反旗を翻し、まさに後一歩でこの周辺に済む人間を、一掃できるところまで追い詰めたリーダーは、自分を笑い蔑む人間達に向かって轟然と反論します。
自分達より、遥かに劣る下等生物と言う認識しか持たない、この人間達にとってこの醜い生物の《人間宣言》は嘲笑の的でしかありません。
主人公ヒロインの活躍がなければ、全滅させられていたかも知れないのに。あるいは、それを認める事こそが、許されない暴挙?なのかも知れません。
与えられたのは、死刑よりも遥かに辛い、「無限地獄の刑」だとか!
全神経から、死に至る刺激を与えられながらも、呪力によって常に致命傷が修復される為に、永久に死の苦しみが続くというものです。
実際、常識的に考えれば〈人々の危機を救った救世主〉とも言える、主人公ヒロインには特に恩賞らしきものも、賞賛も名誉や地位も与えられなかったようです。
本人がそれを望まなかったのかも知れませんが、与えられたのはこの人間社会での要職と、それに伴う禁忌に触れる(調べる事さえ許されない)権利が、暗黙の諒解のようなものです。
しかしその結果、ヒロインは最後まで引っ掛かっていた疑問。
あの「バケネズミ」のリーダーが叫んだ言葉、《私達は人間だ!》という、言葉の意味と根拠。そして、他の自分達に協力してくれた、同じ「バケネズミ」一族からも聞かされた、「自分達は奴隷以下の存在でしかない」という言葉。
それらの言葉の意味を説く為に、敢えて禁忌に触れる資料を調べる内に、大昔の文献から当時の「バケネズミ」の学名が見付かります。
それは現在言われている、「バケネズミ」とは「ハダカデバネズミ」の突然変異による進化の結果とは、かなり違ったものでした。
わかった事は、単なる推測の域を出ないものの、遺伝的に考えて他には考えようの無いものでした。「バケネズミの染色体の数と人間の染色体の数は同じ」
そして、バケネズミの先祖とされる「ハダカデバネズミの遺伝子の数とはまったく違うという事実でした。これは2つの種が、全く異なる成り立ちを持つと言う事。
「人間と同じ数の染色体を持つ生物なんて、植物のユーカリくらいなもの」つまり、そもそも「バケネズミ」とは人間に「ハダカデバネズミ」の遺伝子を組み込んで、作られたものだと言う事です。
余りにもおぞましい結論ですが、なぜか主人公達は淡々とそれなら納得できると、受け入れてしまいます。
例えその結果、ヒロインが罰を受けようと永遠の死の苦痛を与えられている、既に原型さえ留めていないあのリーダーに、「永久の死」という解放を、与えてやる事だけでした。
不思議な事にこれほどの大罪を犯しながら、彼女が罪に問われた様子はなく、それどころか協力してくれたバケネズミに約束したものも含め、《全て駆除》と、決まっていた多くの「バケネズミ・コロニー」の救済を願い出て認められています。やはり、救世主の威光なのでしょうか?
更に10年が過ぎ、ヒロインは最後まで行動を共にして生き残った男と、結婚します。
伴侶を早く決めたがるこの世界では、既に単純計算で36歳ですので、かなりの晩婚では無いかと思われますが、どうやらすぐに子供が出来たようです。過去の明らかな遺伝子操作によって、様々に生み出された新たな生物。
「不浄猫(ふじょうねこ)」もその一つですが、新たにペットとして誰にでも飼える様になのか?害の無い猫として、育てているようです。
そして、どうやら他のそれまで禁忌として、特別な資格のある人物しか取り扱えなかった、過去に人工的な遺伝子操作で作られた、禁忌の家畜?も多くが一般開放できるように、しているようです。
そして生まれてくる子供が、大きくなった時にこの世界は、今とは少しは変わった世界に成るのだろうか?
と、ヒロインは夫に問い掛け、彼は「成るに決まっている。しなくちゃいけない!」と、同意します。そして、かつて彼らも学んだ、そしてそこで悪鬼の要素を持つ子供を、次々と排除して行った学校?には、「想像力が全てを変える」という、今までとは大きく異なるスローガンが、掲げてあります。
正直、ここまでなら、ある意味では「めでたし、めでたし」で、犠牲も大きかったけど、得るものも多かった!
という、ありがちな大団円で済むのですが、いや明らかに主人公ヒロイン達は、そそのように締め括っています。ですが、なのです……。
正直、これまで〈人種差別〉という問題と、貧富・性別・階級・文化(民族・宗教・教育・地域・国家・言語などの違いによる)そして外見。
外見とは、肌や目・髪などの色、体格や骨格から生じる違いですが、これは地域や環境により、長年に渡って変化した、言語と同じくまさに外見上の違いで、根本的な人種の違いではありません。それでも、人間はこれらの違いから格差を生み、差別化を図り、やがてそれは社会的な差別として、定着しました。
これまで、「差別の問題」とはこのような言わば、「社会的な差別」の問題であり、全ては上位者による支配体制の強化の結果生み出された、言わば人工的な区別だと思っていました。
かつて(あるいは今も続く)〈人種差別〉の問題は、その後付け的な結果論であり、根本的な人間としての違いは、存在しない!から問題なのだと思っていました。特に遺伝子レベルでの研究が進んだ現在、生物としての根元的な種としての違いは、遺伝子レベルでの解析が可能となりました。
それは同時に、どんなに外見が異なっても、遺伝子レベルでは同じ種類であり、交配混血により新たな外見や特性が異なる種類が誕生する、猫や犬などのペットや家畜の品種改良を、科学的に裏付けました。
同時に、どんなに外見が似ていても異なる種では、基本的には遺伝的に交わらない事も、明らかになりました。もちろん、〈遺伝子操作〉と言う技術は、そこに人工的に手を加えて、交わらないものを敢えて交わらせる事により、新たな種を生み出す事を可能にしました。ですがそこに、様々な問題がある事もまた事実ですので、この問題には慎重になるしか有りません。
SFという分野は、そのような現在の科学的な状況を踏まえて、そこに大きく作者の想像力を加える事により、荒唐無稽とも言える過去や未来の事象を、より現実的に描き出す事を可能にしています。
時にそれは、人間の行く末に対する警鐘となり、あるいは未来への希望へと通じます。SFには、基本的にこの二つの相反する事象が、常に同時に表裏一体として描き出されると思います。それは時には、生み出した作者の、思惑を超えた存在として捕らえられる事も少なくありません。
今回のこの『新世界より』という物語で、原作者がどれほどの危機意識や、人種差別に対する配慮を行ったのかは、わかりません。
あるいは、まったく遺伝子操作による文字通り、別の種としての「人間」が誕生するかも知れない!という恐怖や危機感は、大して抱いていないのかも知れません。
言われるまでもなく、それは受け取る側の、勝手な妄想です。
ただこの最終回の場面のを見て、かつての多くの国や場所で見かけられて場面。
近いところでは、尊敬すマンガ家の森薫氏が描いた「エマ」という、19世紀後半のイギリスを舞台にした、恋愛物語り。それは、当時の(未だにその問題を英国は抱えていますが)社会的な階級格差により、禁断の恋であったメイドとジェントリと呼ばれた、当時勃興し始めた資産家の上流階級に属する若い男性との物語です。
この時、男性の父親は息子に言い聞かせます。
「この国には、同じ言葉を話す二つの国がある。同じ場所に住んではいても、両者が交わる事はない」
あるいは、また。
「葦(アシ)は水辺に、楡(ニレ)の木は丘に生えるものだ。その逆をしたら、どちらも生きて入られない」
これほど徹底的に、当時のイギリス社会だけではなく、多くの国々で身分や階級、性の差別は、自然のものとして、根付いていました。
ましてや肌や髪、目の色が異なり、話す言葉も違い、西洋の教育も受けていない為に、当然頭も悪いと決め付けられていた、他の大陸に住む人々や住んでいた人々は、当然如くもはや「人間」と見なされていませんでした。
〈野蛮人〉という侮蔑語は、ここから派生したと言われています。即ち彼らは、「人間」では無いのです。
神話や伝説の時代は別として、人間以外の動物や家畜から、人間は生まれません。
しかし、野蛮人からは当然のように、生まれます。にも関わらず、むしろだからこそ、美しい女性や逞しい男性は高値で売り買いをされ、混血児が誕生します。ですが、どちらかに野蛮人の血が混じっていると知られると、どんなに外見が白人種と同じであっても、人間扱いはされずに売り買いの対象となりました。
そして、やがて西洋の文化や教養を身に付けた、野蛮人の子弟が登場し、西洋人の子弟と恋に落ちると、その両親は我が子に、轟然と言い放ちます。
「お前はあの卑しい、猿の子と結婚するというのか!?」
かつて(今もかも知れませんが)、日本人もまた黄色い猿(イエロー・モンキー)と呼ばれ、蔑まれ人間扱いをされなかった時代があります。
そしてまた、ダーウィンの「種の起源」により、いわゆる「進化論」と「適者生存」の原理が、「人間の御先祖様は猿だ!」という、誤解とは別の大義名分を西洋人に与えました。
ダーウィン自身、イギリス植民地軍による現地人の一方的な一斉虐殺を、「これが進化の結果だ」と認めていた事が知られています。そして、現代に生きる我々が、どれほど人種を問題にしているか?と言えば、これはたぶん推測でしか有りませんが、せいぜいが先に挙げた「エマ」という作品に登場する、若い男性の資産家の父親程度ではないか?と、思うのです。
つまりそれは、社会的な区別であり、決して種の違いとしての区別ではない。
その為に、「同じ言葉を話し、知性と教養とを身に付けたならば、別の国の相手でも構わない」という、理性的な判断に、渋々かも知れませんが落ち着きます。飽くまでその父親に、そう判断する理性と知性があれば……と言う事ですが。
けれどもこれが、外見からして今回の『新世界より』という、TVアニメ・シリーズ作品に登場する、「バケネズミ」の様な姿をしていたら、どうでしょうか?まさに、「お前は、そんな猿と~」という、まさにその言葉通り、「種の違い」を指摘して、昔日本でも資産家や貴族階級の子弟が、身分の低い娘と恋に落ちると、方法を問わず娘を遠ざけると同時に、子弟が後を追わないように、土蔵や屋敷牢に閉じ込めた!と言う時代が、ありました。
この時の親の心境はまさしく、意志の通じる言葉を話す「バケネズミ」を前にした、この物語の中の人間達と、同じでは無いでしょうか?
結果から逆に言えば、禁忌(タブー)とされていた遺伝子レベルで、この「バケネズミ」と人は、「まったく同じ種」と言える可能性が、出て来ました。作品の中では、染色体の数が一致するという以上の言及はありませんでしたが、その後の主人公ヒロイン夫婦の会話が、ほぼそれを証明しています。
物語の中で、呪力(超能力の念動力やPK、サイコキネシスと呼ばれるものに近いらしい)を多くの人間が身に付けて生まれて来る事から、混乱が始まったとされています。
今までにも、超能力者VS通常人間と言う図式は、数限りなく描かれてきました。アニメでも、ついこの間まで「絶対可憐チルドレン」のスピンオフ(外伝?)とも言うべき、「THE UNLIMITED(アンリミテッド)-兵部京介」という作品が、放映されていました。
そして基本的には、戦力としては少数ながらも、超能力者集団の方が強いという図式は、ほぼ確立されています。それが良いのかどうかは、知りませんが……。
ここでも、それは同じです。しかし、圧倒的な能力者が出現しその力で、全てを支配すると誰も反抗できなくなり、究極の独裁政権が樹立してしまいます。ですが、「権力は腐敗する。絶対権力は、絶対に腐敗する!」の言葉通り、強力な能力者がそのまま優秀な施政者とは限らない事に、過去の絶対王制に似た問題が生じました。
ですが、いくら犠牲を払って強力な能力者を倒しても、後から後から能力者は誕生し、その中には生まれつき抑制の利かない、理性も知性も無い強力な能力者も当然含まれます。
そうなれば、能力者とそれ以外という区別は無く、一方的に惨殺されます。かと言って、生まれる能力者は皆殺しというのでは、能力者の方が黙ってはいません。ですが、非能力者を一掃したとしても、先ほどの無節操な能力者の問題は、解決しません。そもそも能力者同士が、必ず一致団結するという保証も確証も、どこにもありません。
下手をすれば、また強力な能力者による独裁時代に、後戻りです。
そこでまず、能力者同士を争えなくしていまいます。
方法は、遺伝子情報の中に他者・人間に対する、呪力攻撃を抑制する事と、さらにより強力な呪力で「同族である人間」を呪力で攻撃しようとした場合には、自分にその能力が作用し、最悪は死に至るというものです。ここでの問題は、人間が手に入れた超能力が後に呪力と呼ばれる、念動力(サイコキネシス・PK)の類(たぐい)だけだった事です。
これは一点に向けての攻撃には効果的ですが、防御には余り役に立ちませんし、モリや槍・弓矢や投擲などの、物理的な遠距離攻撃を防ぐ手段にはなりません。もちろん、火器銃器の銃弾のようなものも、無節操に跳ね返せる訳では無いようです。更に毒ガスなどの化学兵器のようなものにも、効果はありません。
こうなると、呪力保持者には厄介な敵が、残る事になります。
そう、つまり呪力を持たない、抑制遺伝子を持たない普通の人間です。彼らは、「同族の人間」ですから、肝心の呪力が使えません。
となれば後は、戦力の問題だけとなります。刀剣や弓矢や槍を持ち、あるいは銃器や化学兵器を使用する、「呪力を持たない同じ人間」は、呪力者同士の衝突を遺伝子レベルで回避した呪力者達にとって、最大で最強の敵と成り得る訳です。
そこで、どういう方法を用いたのかは分かりませんが、呪力を持たない人間は「同じ人間ではない」という遺伝子操作を、行ったのです。
全く人間とは、似ても似つかない容姿と、社会性を持つ「ハダカデバネズミ」の遺伝子が呪力を持たない人間の遺伝子に、組み込まれて行きました。
果たして同じ染色体の数だけで、交配が可能なのかどうかは分かりませんが、少なくとも次の一点に関して主人公ヒロインの村に反逆した、「バケネズミ」のリーダーの言葉は、正しかったのです。
「私達は人間だ!」
それを知りながら、ヒロインは最後に言い残し書き残します。
「私達は、果たして変わる事が出来たのだろうか?今から千年後に、あなたがこれを読んでいるとしたら、その答えを知っているだろう。願わくば、その答えがイエスでありますように」
そして無意識に強力な呪力を使う者、使える者、使う可能性がある者を、選別する為の学校。
今もまだ、同じ機能を有しているとすれば、これは多大な皮肉としか、受け取れませんがそこに掲げられた、この作品最後の言葉。
「想像力こそが、全てを変える」
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